12.還るために(2)-ソータside-

 午後4時半――。

 深い森の中。立ち並ぶ樹々……じめっとした一角。


「――近い。ユウ、離れててくれ」


 俺はそう言うと、背中から神剣みつるぎを下ろした。

 空を見上げる。

 もう太陽は傾きかけて、西の空が真っ赤だった。


 仮の鞘から抜くと、神剣の刀身が夕陽に照らされて怪しく光った。そして、その光が……波動に変わるのが分かった。

 神剣が――咆えている。


『顕れ給え……!』


 神剣を構え、祈りを捧げると……土に埋もれた一角が、ボコリと音を立てた。そして土をまきちらしながら……黒い長い鞘が浮かび上がる。


『此処へ……!』


 鞘が物凄い勢いで俺の方に飛び込んでくる。

 俺は神剣を右手で構えると、左手で鞘を受け止めた。ずっしりとした重みが伝わる。

 ――記憶の中の、鞘の重みだ。神剣の波動を抑える……。

 刀身を収めると、ピタリとはまった。

 そして、一瞬だけ光ると……神剣は元の姿を取り戻した。


「……よっしゃ!」

「よかった……」


 ユウがガクリと膝をつく。

 俺は「お疲れさま」と声をかけ、ユズルが用意してくれた仮の鞘を拾い上げた。

 本物が見つかったら連絡してくれと言ってたよな、確か。


「間に、合った……」


 ユウはそう言うと、ぺたりと座り込んだ。


「……間に合った?」

「……」

「お前……そう言えばさっきからずっと、そんなこと言ってたな。急がないとギリギリ、とか」

「……そうだね」

「――何の期限だ?」

「……」


 俺の問いには答えず、ユウはすっくと立ちあがった。

 膝や手についた土を払う。

 俺の方は……見ようともしない。


「とりあえず、見晴らしのいいところに出よう。あの白い建物がいいかな」

「おい……」

「……もうすぐヘリが来るから。急いで」

「は?」


 意味が分からず聞き返そうとしたが、聞けるような雰囲気ではなかった。

 そして――ユウはそれ以上、何も言わなかった。


 俺達は黙って歩き続け、やがて森を抜け出た。

 荒れ果てた原っぱが広がり……崩れた白い建物が目に入る。


 ――そのとき、遠くからバラバラ……という音が聞こえた。

 見上げると、ヘリコプターがこっちに向かってまっすぐに飛んでくる。


 そして、建物の横の駐車場のような、広いスペースに降り立った。

 中は……操縦している兵士みたいな人間が一人いるだけだ。

 恰好からすると……自衛隊?


『T県のN病院に頼む。……急いでくれ』


 ユウは日本語でそう言うと、いつの間にか用意していた二つ目のフェルポッドを開けた。

 何となく……ヘリコプター全体を取り巻いたのが分かった。


 ――病院……。

 心臓が、ドキリと音を立てた。


「……おい」

「……何?」

「何、じゃない。俺の質問に答えろ。――何の期限だ?」


 ユウはさっきから俺と目を合わせようとしない。

 それでも俺は、隣のユウの顔を覗き込むようにしてじっと見つめた。

 ユウは……眉間に皺を寄せると、ちらりと俺を見た。


「……ソータさんの……」

「俺の? 俺がどうした」

「……」


 黙って首を横に振る。


「……何だ。早く……言えよ」


 いや……本当は、聞きたくなんかないが。

 でも、知りたい。

 いや……聞くのが怖い。

 胸の鼓動が早い。頭がグラグラする。


「――ソータさんのお父さんの……命の、刻限」


 ユウが、静かにそう告げた。



   * * *



 気がついたらもう夜で、外は真っ暗で、俺は転びそうになりながら廊下を走っていた。

 ユウの背中を必死に追う。


 そして……ある病室の前で、ユウは静かに扉を開いた。

 どうぞ、というように手で示したから、俺は勢いよく入った。

 俺達の姿は消えている。

 でも……扉が開いたことで気づいたのか、朝日がハッとしたようにこっちを見ていた。


『――朝日!』


 俺はつかつかと近寄ると、朝日の腕を掴んだ。

 多分、隠蔽カバーが吸い込まれて姿が現れたのだろう。

 すぐ近くにいたトーマの「父さん……」という日本語が聞こえた。


『何で先に言わない? 何でこんな手の込んだことをしたんだ?』

「やめろよ、父さん。朝日さんは……じいちゃんのために、ずっと動いてくれてたんだから」


 俺が朝日に文句を言ったことはわかったのだろう。

 トーマが俺の両肩をガッと掴んだ。

 トーマの日本語で、ふと我に返る。

 見ると……親父は、驚くほど痩せた変わり果てた姿でベッドに横たわっていた。


『ごめん……なさい』


 蚊の鳴くような声で、朝日が言った。……声が震えていた。


『私……出てるね』


 そういうと……朝日は逃げるように、病室を出て行った。

 俺は呆然として親父の姿を見下ろしていた。

 すると……瞼がぴくりと動いた。


「――颯太」

「あ……」


 親父は目を開くと、トーマの顔を見て……それから俺の顔を見た。


「鞘は……手に入れたのか」

「……うん」

「水那さんは……元気か」

「――元気。まだ……あのままだけど。でも……四年後には……」

「そうか。――なら、よかった」


 いや……こんな話をしたいんじゃなくて……そうじゃなくて!

 何か言おうとしたけど、言葉が何も浮かばなかった。


「――ありがとう、颯太」


 親父がポツリと言った。うっすらと微笑んでいた。

 意味が分からなくて……どう返したらいか分からなかった。



   ◆ ◆ ◆



 ずっと……何の執着もなくフラフラしていたお前が……拘っていたのは、弓と……水那さんだった。

 その二つが……ジャスラで繋がって……闘うお前の姿を見て……お前の生きる場所はこの世界なのだろう、と……思った。

 その後十馬が生まれた話を聞いて……お前は、家族と共にジャスラに残ると言うかもしれない。

 そんな覚悟を……していた。


 水那さんが……闇に消えて……お前は水那さんも十馬も選べず、苦悩していて……わたしは気づいた。

 颯太が両方選べるように……わたしが十馬を預かる。

 いつか、出会うために……いつかの、ために……。

 それが、颯太の親たるわたしの使命だと……そう思えた。


 わたしに……十馬を育てさせてくれて……ありがとう。

 十馬は、わたしの光だった。



   ◆ ◆ ◆



 弱々しいが……一言一言思いを込めた力強い親父の言葉を、必死に受け止める。


「親父……そんな……だって……俺……」


 ――俺の方が、ありがとう、なのに……!


「朝日さんに……感謝しろ。最期にお前と話せる力を……時間を、残してくれた」

「……最期って……」


 嫌だ、俺はそんなの認めないからな!


 そう思ったけど――こぼれていく。

 掌からこぼれていく……命の砂が止められない。


「十馬……お前には、両親がいる。遠く離れているけれど……誰よりもお前を想う……両親がいる……」


 親父がゆっくりと目を閉じるのが……スローモーションのように見えた。


「ずっと……伝えたかった。伝えられて……よかった……」

「じいちゃん……」


 トーマが親父の手をそっと握った。

 俺の視界はあっという間にぼやけていった。


「親父……もっと早く……ごめ……」


 涙が溢れ出る。俺の頬を伝い……親父のやせ細った皺だらけの頬に落ちた。


「何度言えば……わかる。こういうときは、ごめんではなく……あり……が……」


 ―― 一瞬、音がすべてなくなった。

 そして……最期の砂が落ちた音だけが、聞こえた。


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