5.託すために(1)-ネイアの語り-

 勾玉の記憶は……テスラの南の海岸にヒコヤが現れたところから始まる。

 それ以前に、ヒコヤがミュービュリでどのように過ごし、そしてなぜパラリュスに現れたのかは……わからぬ。

 しかし、それは大した問題ではあるまい。


 三人の女神がパラリュスに降り立ち、それぞれの国を順調に築いていたある日のこと。

 ヒコヤが……宝鏡ほかがみ神剣みつるぎ勾玉まがたま――いわゆる三種の神器を抱え、パラリュスに降り立つ。

 それが、すべての始まりだった。


 その海岸にいたのは……青い瞳の、知の女神テスラだった。

 ちょうどヒトの形をして降り立ったところで……ヒコヤは一目で女神テスラに恋をした。


 テスラはヒコヤを元の世界に返そうとしたが、ヒコヤは頑として譲らなかった。

 この三種の神器には素晴らしい力がある。これをあげるから傍にいさせてくれ、と頼んだ。

 女神テスラは悩んだ挙句、二人の女神――美の女神ウルスラ、慈の女神ジャスラと引き合わせた。

 一目見てヒコヤを気に入ったウルスラは、ヒコヤを歓迎した。ジャスラは微笑むだけだったが、ウルスラと同じ意見だったようだ。


 ヒコヤは三種の神器のうち「あなたには宝鏡がいいだろう」と女神テスラに手渡した。

 ウルスラは見事な細工の神剣を欲しがり、ヒコヤから受け取った。ジャスラは残った勾玉をもらうことになった。

 それは……女神ジャスラにとっては、何にも変えられない宝となった。


 ここから先は、女神ジャスラの視点での話となる。女神ジャスラが、つねに勾玉を持ち歩いていたからだ。


 密かにヒコヤに憧れていたジャスラだったが……ほどなく、それは叶わない想いだと知る。

 ヒコヤの瞳には、女神テスラしか映っていなかったからだ。

 そして、同じくヒコヤに想いを寄せるウルスラにもそう告げたが……好奇心旺盛で積極的な性格のウルスラは耳を貸さなかった。

 テスラがヒコヤに応えない限りは、自分にも可能性があるのだと……。


 しかし、ジャスラには分かっていた。

 テスラが……もうとっくに、ヒコヤに心を奪われていたことを……。

 だが、自分の立場やウルスラ、ジャスラのことを思い、ヒコヤの想いに応えることに躊躇していたことを……。


 それからしばらくして――あるとき、ウルスラの女王から「女神ウルスラが狂ってしまった」という報せがくる。

 テスラとヒコヤ、そしてジャスラは急いでウルスラに向かった。


 見ると……神剣を手に、ウルスラが自分の築いた国で暴れ回っていた。

 自分の身体も傷つけたのだろうか……腕も足も腹も赤く染まっている。


 ウルスラで「捧げられた」と伝えられているウルスラの血は、このときのものであろう。

 捧げたのではなく、正気に戻るために自分を切りつけたことによって生まれた……女神ウルスラの良心のようなものかも知れぬ。


 また、ウルスラでは各地で次元の穴が開くようになったということだが……これも、このときのことが原因だと思われる。

 ヒコヤが三種の神器を持ってパラリュスに現れたことで、ミュービュリとパラリュスは非常に近い存在となった。

 三種の神器が、二つの世界をつないだのだ。その神器を持ってウルスラは国中を暴れ回ったから、そのような不安定な場がいくつもできてしまったのだろう。


 女神ウルスラはテスラとヒコヤを見ると、神剣で襲いかかろうとした。

 いち早く気づいたジャスラは身を挺して庇ったが、そのとき肩を切りつけられてしまった。

 ジャスラの血で我に返った女神ウルスラは……ポロポロと涙をこぼした。


 ――このままでは周りすべてを傷つけてしまう。こんなことをしたい訳ではないのだ。私は、ただ……。


 そこまで言うと、ウルスラはヒトの形を保てなくなり……霞のようになってしまった。


 ――せめて……私を封じてほしい。私がこれ以上私でなくなる前に。ヒコヤがくれたこの神剣に……私を。


 ウルスラの願いを聞き入れたヒコヤは、テスラの協力を得て……剣の宣詞を唱え、神剣にウルスラを封じた。


 事の次第を聞き、神剣を受け取ったウルスラの女王は、女神ウルスラを失い、自分の国を荒らされたことにひどく怒り……もう二度とこの地に現れてくれるな、と女神テスラに言い放った。

 女神テスラがヒコヤに唆されてヒトになり、地に堕ちてヒコヤの御子を懐妊したから……そのような愚行を晒すから、女神ウルスラが狂ってしまった、と……。

 女王の言葉を受け入れ――女神テスラは己の力と宝鏡の力で、ウルスラを遠ざけた。


 この事実――テスラがヒコヤとの御子を身籠っているという事実――をこのとき初めて知ったジャスラは……ひどく衝撃を受けた。

 肩から流れ出る血と同時に、何かが失われる気がした。

 黒い闇に支配される恐怖におののき、女神ジャスラは勾玉を地中深くに埋めてしまった。

 今の自分はこの神器を持つ資格はない……と。


 よって……勾玉の記憶は、ここからかなり途切れてしまう。この間、ジャスラがどうしていたかはわからない。

 ただ……古文書によれば、泣きながらジャスラの国を彷徨い、涙と共に力を失くし、やがて闇と化していったと伝えられている。


 勾玉を持ったままであれば……これほどジャスラに闇が広がることはなかったかも知れない。

 女神ジャスラもまた、癒されたかもしれない。

 しかし……結果として、女神ジャスラは壊れてしまった。


 そして……女神ジャスラの異変に気付いたジャスラの女王は、どうにかしてジャスラを救おうとしたが、どうにもならなかった。

 女神ジャスラが勾玉を手放したことに気づいた女王は、勾玉の在処を突き止めるために女神テスラとヒコヤに協力を求めた。

 ヒコヤは神器の力の源を辿り……地中深くに埋められていることに気づいた。


 ――わらわが女神ジャスラを鎮める。心が癒されるまで……ずっと傍にいる。


 そう言って……ジャスラの女王は、女神ウルスラのように女神ジャスラを勾玉に封じてくれと頼んだ。

 女神テスラはヒコヤの協力を得て、勾玉があった地中深くに神殿を作った。

 ……そしてヒコヤが珠の宣詞を唱え、ジャスラを封じた。


 女神ジャスラ自身は封じられたものの……ジャスラの国には女神ジャスラが生み出した闇が広く蔓延はびこっていた。

 その後、何代かに渡り……ジャスラの涙を祠に祀り、闇を回収する仕組みを作っていくことになる。


 ジャスラの女王は地上を放棄し、地中の神殿でヤハトラの巫女として闇を管理することになった。

 そして……ウルスラ同様、蔓延る闇を刺激しないために、テスラと距離を置くことを願い出た。

 こうして……ジャスラも遠く切り離された。


 後に、巫女は勾玉が完全な形になっていないことに気づいた。

 そして何百年か経ったあと、最初のヒコヤの生まれ変わりが勾玉の欠片を持って現れ……そこから、ヒコヤの想いを知ることになる。


 ヒコヤの想い……それは、女神ウルスラや女神ジャスラを追い詰めた原因が自分にあることの、自責の念だ。

 そして、ウルスラともジャスラとも離れてしまったあと……ヒコヤは欠片の残りを見つけた。


 ――勾玉がもし完全な形であったなら、ジャスラが闇に囚われることはなかったかも知れない。あのように心を壊すこともなかったかも知れない。せめて、勾玉を元に戻さなくては……。


 しかし、そのときのヒコヤはもう、ジャスラに近付くことはできなかった。

 そのため、ヒコヤは勾玉の欠片を呑み込み……後世に託した。

 そうして二千年以上の時をかけて……勾玉はジャスラに運ばれた。

 今、ソータの中にある勾玉の欠片……それが、最後の欠片。勾玉の――ヒコヤの最後の記憶だ。



 併せて……神剣を包んでいた黒い布の記憶についても説明しておこう。

 二千年ほど前、一人の男が祠の前に立っていた。どうやら、祠の神剣を管理する、神官の中でもかなり上の位の男だったようだ。


 この男が誘惑に負け、祠から神剣を取り出す。そして、鞘を抜いてしまった。

 このとき、神器の力により次元の穴が開いてしまう。

 驚いた男は、鞘を次元の穴に落としてしまった。しかし……到底追いかけることはできなかった。


 その頃、ウルスラでは各所に開いた次元の穴に人が落ちて帰って来れなかったり……また、見知らぬ人間がウルスラにやってきたりといった出来事が多発していて、男は次元の穴の恐怖をよく知っていたからだ。


 これは想像でしかないが……今も、女神ウルスラは神剣の中で眠っていると思われる。

 自ら壊れて闇と化してしまったジャスラとは違い、女神ウルスラは最後は自我を取り戻していた。

 恐らく、神剣の中には女神ウルスラとウルスラにとり憑いた闇の二つが封じられていたのではないだろうか。


 話を戻すが……鞘を呑み込み、次元の穴は閉じてしまった。

 よって鞘がミュービュリのどこに辿り着いたのかは、この記憶からはわからぬ。

 やはりソータが神剣と共にミュービュリに赴くしか見つける方法はないだろう。


 そして男は、取り返しのつかないことをしてしまったという恐怖から、咄嗟に持っていた黒い布で神剣を覆った。

 鞘がなくなったことを隠すためだ。

 そして慌てて祠に戻したが……鞘を失ったことにより神剣は明らかに均衡を保てなくなったようだ。

 一度祠から出したことで結界も緩み始め……封じ込められていた闇はゆっくりと漏れ出ていった。

 その男にもすでにとり憑いていたのかも知れぬが……そこまではわからぬ。


 そして……長い年月を経て、神剣に関する言い伝えも完全に失われてしまったのだろう。

 何も知らない一人の女性が祠から神剣を取り出し、そのまま無造作に捨て置いてしまった。

 無造作に……いや、驚いて投げ捨ててしまったと言った方がよいかも知れぬ。

 今の状態を見たら分かるように、フェルティガエが触れることはできぬ代物になっていたからであろう。


 ウルスラの話と合わせて考えると……これが、太古の女王ヴィオラだったのだろう。

 このときヴィオラは闇に支配され、自分の意思とは無関係にミュービュリに向かったと思われる。

 とにかくこれで――完全に神剣は力を失い、闇はすべて放たれた。

 闇がその後どのようになったのかは……この黒い布からでは分からぬ。

 神剣は黒い布と共にずっと庭の隅で捨て置かれていたからだ。


 そして、時を経て……幼い姉妹が捨て置かれた剣を見つけることになる。

 未だ傷ついて眠る女神ウルスラの魂に触れ、幼い姉妹のフェルティガが発現……浄化の力を持ったシャロットは、母に遠ざけられてしまう。

 しかし彼女は、ただならぬ力を持つ剣に何か意味があると、大事に持っていた。

 そして、昨年の事件で……ソータの息子、トーマの手に渡された。


 未だヤハトラの神殿で闇を浄化し続ける、ミズナ……その伴侶の契約に、トーマは関わっている。ソータやミズナには遠く及ばないものの、神器を扱う資格を持っていると思われる。


 そして、闇は再び神剣に封じられたが……これは一時しのぎにすぎなかった。

 やはり、肝心の鞘がなくてはどうにもならなかったようだ。

 祠と女王の結界でどうにか持ちこたえていたが――女王の死によりすぐさま緩み始めた。

 そこへ……ウルスラの王女、コレットが現れた。


 シャロットによれば……先代女王がコレットに剣を守れと遺言し、それを受けてコレットはすぐに祠に向かったそうだ。

 しかし、幼いコレットでは闇に太刀打ちできず、すぐさま身体を乗っ取られてしまったらしい。

 皇女の加護というウルスラ王家に伝わる力で闇の浸食は防いだが、コレットの意識は眠り続けることになった。

 これが……先日ウルスラで起こった事件の発端だ。


 ただ、ウルスラでの長い闘いの中で闇も力を失っていたようで……女神ウルスラにとり憑いていたときほどの勢いは、もうない。

 そして今はソータが神剣を所持している故、闇が漏れ出すことはないだろう。

 ただ鞘がないゆえ、ソータが片時も手放せない状態だ。ミュービュリへ赴き、鞘を見つけることは最優先すべき事柄だと思われる。


 以上が……わらわが記憶を視、ジャスラの伝承と合わせた上での話だ。

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