12.知るために(1)-ユウside-
初めて意識が戻ったのは、かなり昔だった。
痛みも疲れもなくなって……そんなとき、自分の左肩に何か違和感を感じた。
それが日ごと大きくなり、俺を支配しようと迫ってくるのを感じて、ある日突然、意識を取り戻した。
取り戻したと言っても、五感すべてを取り戻せたわけではない。視界は真っ暗だった。
かろうじて、声が聞こえるだけ……。
「暁? どうしたの?」
朝日の声だ。
暁……え、暁?
「え、朝日、見えない?」
少年の声が聞こえる。
これが……暁の声。そうか、もうそんなに上手に喋れるんだね。かなり成長したんだろう。
いったいあれから、何年経ってるんだ……?
「何が?」
「肩……左肩に、黒い塊がうごうごしてる」
「えっ……」
二人のやりとりがだんだん遠くに聞こえて……俺は再び意識を失った。
* * *
次に目覚めたのは――陰湿な、暗い声が聞こえたからだった。
“ヒコヤ……メ……”
消えたはずの……黒い、闇の声だった。
“ワタシノ……分身……マタモ……”
お前、誰だ。どこに潜んでいるんだ!
不快感を露わにすると、闇が少し笑ったようだった。
“ソウ、カ……。ココニ、マダ……”
何の話だ。なぜ俺に纏わりつく?
“オマエ……自由ニナリタクハ、ナイカ”
――どういう意味だ。
“ワタシガ、チカラ、ヲ、貸シテヤル”
――要らない。嫌な予感しかしないし。俺は……自分の力で朝日の元に帰る。
“アサヒ……ホウ……アノ、女カ。ソウカ、アレ、カ……”
何だ。お前、何を知ってるんだ。朝日に、何を……!
“――隙アリ……ダナ”
次の瞬間、ぐらりと……何だか酔ったような、宙に放り出されたような、変な感覚に陥った。
気がつくと……俺は、目の前の扉を壊して部屋を出て行くところだった。
“オ前……強イ。イイナ”
いったい、何を……え? 動いているのか?
“ウルスラノ姫ハ眠ッタママ、ダッタガ……オ前、強イ。目覚メテナオ、ワタシニ呑ミ込マレナイ、トハ……”
そうか。こいつが勝手に俺の身体を動かしているんだ。
おい、俺の身体でいったい何をするつもりなんだ!
“本来ノ力ヲ、取リ戻ス。ヒコヤニ、一番ノ分身、封ジラレタ。モウ、取リ返セナイ。チカラガ、全然、足リナイ”
だから、どうやって……おい、待て!
俺は必死に止めたが、自分ではどうすることもできなかった。
この後、俺は――もとい、俺の身体を奪った闇の分身は、夜斗を殺しかけ、朝日と対峙することになる。
そして俺は――朝日の色仕掛けの一部始終を、歯軋りしながら目撃することになるのだった。
* * *
「だから……色仕掛けじゃないのに……」
エルトラ王宮の廊下を歩きながら、朝日が困ったように溜息をついた。
「いや、ハタから見ても色仕掛けに見えた」
ソータさんが腕組みをしながらうんうん頷いていた。
この人は……携えている剣を使って闇を封じることができる唯一の人間で――詳しくはまだ聞いてないけど、とにかく、俺を助けてくれた人らしい。
どう見ても25、6歳の若者だが、実年齢は40近いんだそうだ。
「そんな拘束の仕方があったか、と目から鱗だった」
「違うのに……違うのに……」
朝日が必死に弁解するのが面白くて――可愛くて、俺は笑いを堪えるのに必死だった。
「それで、これからどうするんだ?」
「夜斗に女王との面会を頼んだけれど、女王は託宣の間から出てきたばかりでしばらくは無理みたいなの。だからソータさんは夜斗の部屋にいてね。他の人に姿を見られるとマズイから」
「だから俺は犯罪者かっつーの……」
「夜斗、いるー?」
ソータさんの愚痴を無視して、朝日はある部屋の扉をノックした。
「おう……おおっ!?」
扉を開けた夜斗が、俺を見て仰け反った。
「あ……夜斗」
「…………」
「さっきは殺しかけて、ごめん」
「ええっ!」
隣の朝日が素っ頓狂な声を上げる。
夜斗は、じーっと俺を見つめたあと……朝日とソータさんの方を続けて見た。
「……本物か? まとも?」
「うん、まともな本物」
「俺が保証する」
二人が返事をすると、俺の方に向き直る。
夜斗は、相変わらず背が高くてカッコよかったけど……少し、老けたような気もする。
少なくとも、ソータさんよりは年上に見えた。
「――よかった……本当に……そうか!」
「うわっ!」
ガバッと抱きついてきたので、俺は思わず声を上げた。
「何をする!」
「わー、この可愛くない感じも変わってねえ!」
「どういう意味だ!」
夜斗は俺を離すと、わはは……と豪快に笑った。
「そっか……よかったな、朝日」
そう言って微笑むと、朝日の頭をぐしゃぐしゃっとする。
「うん!」
「……だからむやみに触るなと……」
俺が夜斗の腕を掴んで朝日から引き剥がすと、夜斗が
「めんどくせぇ所もそのままだ……」
とかなり可笑しそうにしていた。
そっちこそ、相変わらず、だよ。
「……で? 暁には会ったのか?」
「今から行くの。ソータさんが親子水入らずで会った方がいいだろって言うから、夜斗、ソータさんを預かって」
「俺はペットかよ」
ソータさんがボソッと呟く。
このソータさんて人……言動は少々ぶっきらぼうだけど、何か憎めない人だな。
「わかった。神官から連絡が来たら、そっちに行く」
「うん、お願い。
「了解」
夜斗の部屋の前で二人と別れ、俺と朝日は再び歩き始めた。
そしてしばらく歩くと、朝日が「ここよ」と言ってある部屋を指差した。扉を小さめにノックする。
「理央ー……」
「はいはい」
中から声が聞こえ、赤ん坊を抱えた理央が現れた。
「えっ……ユウ!」
思わず大声を出して、慌てて自分の口を押さえる。そして深呼吸すると
「……起きたの? 身体、大丈夫?」
と小声で聞いてきた。
「うん。……きっと、朝日と暁がすごくお世話になったんだよね。ありがとう」
「……どういたしまして」
理央がにっこり微笑んだ。少し、涙ぐんでいるようにも見える。
理央は昔から奇麗だったけど、雰囲気が柔らかくなったような気がする。
俺に「自分と闘え」と詰め寄ったときとは大違いだな、と思った。
そうか……母親になったからかな。
「うー……ん?」
そのとき、理央の背後から少年の声が聞こえた。
理央はハッとして振り返ると「じゃあ、私は席を外すわね」と言って部屋を出て行った。
朝日は理央に「看ててくれてありがと!」とお礼を言うと、急いで部屋に入っていった。
「……暁?」
朝日が枕元に駆け寄る。
『んー……朝日、いま何時? ばめちゃんは?』
暁が寝ぼけながら日本語でぼやく。
「ここはテスラよ。……大丈夫?」
朝日がパラリュス語で返すと、暁は「そっか」とパラリュス語で呟いて、もそもそと起き上がった。
「……そうだった。よく寝た」
暁はそう言うと、俺達の方を見て――そのまま固まった。
一方俺も、固まっていた。
俺の記憶の中の暁は生まれたばかりの赤ん坊で、青い瞳で、俺の真似をして宙を飛んだり暴れたりして、すごく元気で可愛かったのを覚えている。
でも、目の前の少年は、茶色い瞳で……自分の幼い頃にそっくりだった。
「え……ユウ? 本物? マジで?」
「そうよ」
硬直している俺の代わりに、朝日が返事をした。
「うわー……」
暁はベッドから飛び下りると、俺の傍に来てまじまじと見上げた。
背も高い。すでに朝日と同じぐらいある。
「写真で見たけど、実物はもっとカッコいいね!」
「だから言ったじゃない。暁とそっくりで凄くカッコいいよって」
「――暁……暁!」
ぐうっと喉の奥に詰まっていたものが、急に弾けたような感覚。
俺は思わず、暁を抱き上げた。
「うわっ……何だよ!」
「重い!」
「そりゃそうだよ! オレもう赤ん坊じゃないぞ!」
「こんなに大きくなったのか……。えっ、でもちょっと待て……いくつになったんだ?」
「――10歳」
「――えっ!」
俺は暁を抱え上げたまま、驚いて朝日の方を振り返った。
「10年!? あれからそんなに!? 朝日……27!?」
「そう。……やっぱり、老けた?」
「いや、全然。可愛いまま」
俺が素直に言うと、朝日が真っ赤になった。
「せいぜい、3、4年だと思ってた。――暁に会うまでは」
「もう……そういうのはいいから」
「あ、でも、色気が上がったから、前よりもっと可愛いよ」
「だから、もう……」
「――あの……」
俺の肩の上の暁がげんなりした顔をしていた。
「いい加減、下ろして……」
「あ、ごめん」
床に下ろすと、暁が深い溜息をついた。
「そうか……オレの両親ってこういう感じだったのか……」
「何だ?」
「何よ?」
俺と朝日が同時に返事をする。
暁は俺達を見回すと、楽しそうに笑った。
「この二人は全然人の話を聞かなくて放っておくと何をしでかすか分からないって、夜斗兄ちゃんが言ってたから。何か、納得!」
* * *
三人で俺が眠っていた部屋に戻り、朝日がずっと撮ってくれていたアルバムの写真を見ていた。
そして、藍色の夜になってだいぶん経ってから、夜斗が現れた。姿は見えないが、ソータさんもいるようだ。
「こっちにいたのかよ。探したぞ」
「あ、ごめん。アルバムがこっちだったから」
朝日が申し訳なさそうに笑う。
「ミリヤ女王の面会の許可が出た。行くぞ」
「うん。そのあと、私だけでアメリヤ様に会いに行けばいいの?」
「いや、アメリヤ様も大広間におられるそうだ。――俺は、初めて会うな」
「そっか……」
「女王――ミリヤ女王?」
ちょっと不思議に思って聞くと、朝日が
「戦争が終わった後、フレイヤ様は譲位されたの。今もお元気よ」
と説明してくれた。
「そうなんだ。……それより夜斗」
「何だ?」
「放っておくと何をしでかすか分からないって、どういうことだ。それは朝日だけだろう?」
俺が言うと、朝日が「失礼ね!」と少し怒っていた。
「暁……喋ったな」
「つい、うっかり……そのまんまだったから」
「だろう?」
「だろう、じゃない」
俺達のそんなやりとりの横で、朝日が嬉しそうに微笑んでいた。暁も面白そうに眺めていた。
そんな二人を見て、俺もやっと帰ってこれたんだな……と実感できた。
――ようやく、一緒にミュービュリに帰ることができるんだな。
とはいっても、このソータさんという異国の人が来たところをみると、テスラでは何か問題が残ってるみたいだけど……。
それさえ片付けば、きっと。
そんなことを考えながら歩いていると懐かしい大広間の扉が見えてきた。
そうだ、新しい女王と謁見するんだった、と慌てて顔を引き締める。
俺達が中に入ると、控えていた神官がザーッといなくなった。人払い、ということだろう。
外聞を憚る何か、があるということだろうか。
これは本当に浮かれている場合じゃないのかもしれない。
自分に言い聞かせ、ピシッと背筋を伸ばす。
跪いて礼をし玉座を見上げると、若い女王とその母が、その青い瞳で俺達を真っすぐ見下ろしていた。
「急な謁見を叶えていただき、ありがとうございます」
夜斗が再び丁寧にお辞儀をした。
「なに、こちらも言わねばならんことがあったからな」
ミリヤ女王はそう言うと、扇で口元を隠しながらふふっと笑った。
ちらりと横目で俺を見る。
「しかし……ユウディエン、長き眠り、御苦労だったの」
「は……ご迷惑をおかけして、大変申し訳ありません」
「アサヒ、やっぱりわれにくれる気はないか?」
「……は?」
「ありません!」
何のことか分からず間抜けな声を上げると、隣にいた朝日が顔を真っ赤にして叫んだ。
「それにしても……こうして見ると、すごい顔ぶれだな。その……隠れている者も、含めてな」
ミリヤ女王が扇で夜斗の隣を指差す。
「……失礼しました。他の者に姿を見られないよう、念のため……」
夜斗はそう言うと、おもむろに自分の左側に手を翳した。ソータさんの姿がすーっと現れる。
しかしソータさんは俺達と違って跪いてはおらず、なぜか胡坐をかいていた。
「アサヒ、世界征服でもするのか?」
「しませんよ!」
「くくく……」
この女王は……かなり、独特だな。
「――ミリヤ女王。ヒコヤイノミコトの最後の生まれ変わり、ソータといいます」
ソータさんはすっくと立ち上がると、ミリヤ女王に頭を下げた。
「勾玉はジャスラに。最後の勾玉の欠片は俺の中に。そして……
「……」
「だから、テスラにあるはずの
「――いきなり要求だけ述べられても困る」
ミリヤ女王は真顔になると、ピシャッと静かな口調で切り捨てた。
「テスラは他国の状況を把握しておらぬ。まず、お前が経験したことをすべて語るのじゃ」
「……わかった」
ソータさんは再び胡坐をかくと、覚悟を決めたようにゆっくりと息をついた。
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