7.補うために(2)-夜斗side-

 マオを抱えたリオと一緒にエルトラに戻ると、二人の神官が中庭まで出迎えてくれていた。

 ずいぶん丁寧だな、と思っていると


「申し訳ありません! 女王が……ついさきほど、託宣の間に入られました」


とガバッと頭を下げる。


「ええ? そんな急に?」


 リオが驚いて目を見開く。

 女王は、遅くとも前日までには告知をしてから託宣の間に入る。

 俺がエルトラを出たときは何も言っていなかったから、こんなことは稀だった。戦争中でもなかったかもしれない。


「じゃあ、今日は無理ね。出直そうかしら」

「いえ……できれば、滞在していて欲しいとのことですが……」

「そうなの?」


 今のフィラをまとめているのはリオだ。エルトラだけではなく、このテスラ全体に関わる託宣かもしれない、とミリヤ女王は考えているのだろう。


「どうする?」

「ミリヤ女王がそう仰ってるのだもの。待たせていただくわ」

「フィラは大丈夫か?」

「うん……多分。ジルバに連絡しておくわ」


 そう言うと、リオは神官に連れられて中庭を後にした。

 何か妙な胸騒ぎがして……中庭に立ち尽くしたまま、俺は白い空を見上げた。

 エルトラ王宮と西の塔。その荘厳な佇まいは、これまでと何ら変わりない。


 今日は本当なら朝日と暁に付き合う予定だったから、特に仕事はない。

 だけど……。


 仕方ない。とりあえず、サンをヤンルバに置いてくるか。

 ヤンルバとは飛龍が飼育されている場所で、サンも普段はここにいる。

 ただ、エルトラの飛龍達とは違って、かなり自由に飛び回っているみたいだが……。


「サン、ヤンルバに戻ろう」


 このままここに立っててもな、と思いそう声をかけると、サンが

「キュウ! キュウ!」

と急に慌てたような鳴き声を上げた。


「何だ?」

「キュウー!」


 実際に育てたユウとは違い、俺はサンの言いたいことが細かいところまではわからない。

 とにかく、何かを恐れている風ではあるが……。

 俺は辺りをキョロキョロ見回した。特に、いつもと変わらない風景な気がする。


 ――そのとき、王宮の中から……ペタッペタッという足音が聞こえた。


 変な足音だ。裸足で歩きまわっているような……。

 王宮内ではみんな靴を履いている。裸足でなんて、歩く訳がないのに……。


 そう思って注意していると……その、足音の主が現れた。


「な……!」

「キュゥゥ、キュゥゥ……」


 俺は言葉を失った。隣のサンが、ひどく怯えた声を出した。

 そこに現れたのは――眠り続けていたはずの、ユウだった。




「キュウゥゥー!」


 サンが今にも逃げ出しそうにジタバタしている。

 それを感じながらも……俺は、ユウから目を逸らすことができなかった。

 上半身裸のユウが、俯いて気だるそうに歩いてくる。ずっと眠っていたので、素足だ。

 あのとき切り裂かれた身体は……もうすっかり、治っていた。


 自力で部屋を出てきたのか? あの部屋には、朝日と神官のエリンしか出入りできないようにフェルティガで鍵をかけてある。

 いや……ユウならそれぐらい壊せるか。

 でも、雰囲気が違う。本当に、本物のユウなのか……? 誰かが幻惑でなりすましているんじゃないのか……?


 どうしようもない違和感を感じて、俺は一歩も動けなかった。喜ぶこともできない。

 そのとき……ユウが左手で前髪を払った。小指の指輪が赤く光った。



 ――それ、どうした? 指輪なんてしてなかったよな。

 ――これは……ヒールの形見。もともとは瑠衣子さんの指輪だけど……。

 ――へえ……。

 ――ヒールがヤジュ様だったとき、ずっと指にはめていたんだ。……夜斗、これ何色に見える?

 ――え? 赤色だろ?

 ――そうだけど……ほら。

 ――青緑色に変わった!

 ――これ……アレクサンドライトっていう、珍しい宝石なんだ。光によって赤色に見えたり青緑色に見えたりするんだよ。

 ――ふうん……ミュービュリって、珍しいものがいっぱいあるんだな……。



 俺は、ユウとの会話を思い出した。

 とても大事そうにしていた、指輪……。

 この指輪に誓って、戦争が終わったら朝日と一緒にミュービュリに帰ると言っていた。


 ユウはゆっくりと……中庭の俺とサンの方に向かって歩いてきた。

 テスラの白い空から降り注ぐ光がユウを照らして……指輪は、青緑色に変わった。


 指輪は、本物だ。……ということは、幻惑なんかじゃない。

 幻惑では、ここまで再現することなんてできない。

 つまり、本物のユウだ。でも……その表情はひどく暗く、歪んでいる。


「ユウ……」


 俺が声をかけると、ユウの肩がピクリと震えた。ゆっくりと顔を上げる。


「……やあ」


 ユウがにこりと微笑んだ。それは……昔見た、ユウの笑顔だった。

 さっきまでの歪んだ陰湿な表情とは、比べものにならない。


「キュウゥゥー!」


 隣にいたサンが俺の手を振り払って飛び立った。ハッとして見上げると……物凄いスピードで逃げて行く。

 そして……白い空に溶けてあっという間に見えなくなった。


 ユウが育てたサンが、怯えたようにユウから逃げる。

 それは……あれがユウではない、ということを示しているんじゃないのか?


「ああ……残念。乗せてもらおうと……思った、のに……」


 ユウがゆっくりとした口調で言った。


「……!」


 ――その時、気づいた。

 俺は……無意識に障壁シールドしていた。


「お前……ユウじゃないよな」

「……ユウだよ」

「違う。身体はそうだが……中身が、違う」


 俺は咄嗟に身構えた。俺が障壁シールドしたのは……キエラ要塞で感じた淀んだ気配を捉えたからだ。

 あのどす黒いものが……ユウを乗っ取っている!


「……」


 ユウの表情がみるみる歪んでいった。凶悪な……どこか狂気さえ感じる顔に変わる。


「……ウルスラノ王女モ……コノ男も、言イナリニ、ナラナイ」


 ユウの言葉が……急にたどたどしくなる。


「オマエ……ジャマ」


 ユウが左手を振り上げた。


 ――夜斗、俺から、逃げろ……!


 どこからか、ユウの絞り出すような声が聞こえたような気がした。

 俺は最大限の防御ガードをしたが、堪え切れなかった。ユウが放った衝撃波に吹き飛ばされる。王宮の頑丈な壁にたたきつけられ、激しく背中をぶつけた。


「ぐっ……!」


 一瞬視界がぐらりとする。地面に倒れたのがわかった。かなりのダメージだ。

 これはまさしく……ユウの力だ。

 いや、それ以上かもしれない。あいつ自身の力も上乗せされているんだ。

 あいつが……ユウの力を、悪用している。


 どうにか膝をついて立ち上がろうと顔を上げると――いつの間にか、目の前にユウがいた。

 右手にものすごい力を溜めているのが分かる。


 ――俺を、殺すのか。


「――ぐっ……!」


 そのとき、ユウが急に顔を歪めた。俺は咄嗟に瞬間移動でユウから離れた。とは言っても、せいぜい中庭の端に逃げたぐらいだが。


「……イツ、マデモ、抵抗ヲ……」


 ユウが忌々しげに舌打ちした。そして遠く離れた俺の方を見ると

「マァ、イイ……ワタシノ目的ハ、オマエヲ殺ス、コトジャ、ナイ」

と言い捨てた。


「目的……」

「命拾イ、シタナ」


 にやりと笑うと、ユウは中庭から外に飛び下りた。


「ユウ――!」


 俺は外壁まで走ると、下を覗きこんだ。ユウは地面に着地したが、バランスを崩して転がっていた。

 そして呻きながらゆっくりと立ち上がると……飛ぶように走り始めた。

 あいつはユウの身体を乗っ取ってはいるが、うまく扱えていないらしい。ユウが必死で抵抗しているからだ。

 俺はすぐさま朝日から預かった携帯を取り出すと――必死で連絡を繋げた。


“――夜斗?”


 ひどく声が遠い。かなり聞きづらい。


「朝日、お前、どこにいる?」

“どこって……えっと……”

「ああ、それはいい! とにかくすぐに俺のところに来い!」

“え?”

「ユウが目覚めた!」

“――え?”


 朝日の弾んだ声が聞こえた。

 意味が違う。嬉しい事じゃないんだよ、朝日。

 俺は慌てて首を横に振った。


「でも違う! ユウじゃない! 何かがあいつの身体を乗っ取っている!」

“なっ……!”


 朝日の息を呑む音が聞こえた。

 俺は続けて説明しようとしたが、朝日は

“わかった。どうにかする。どうにかして、そっちに行くから!”

と叫んでそのままブツンと連絡を切ってしまった。


 ロクに説明できなかったのに、何かを察したのだろうか。ひょっとして、俺に隠そうとしていたことに関係あるのか。


 俺はユウの姿を目で追った。

 時々よろめきながら……ずっと走り続けている。


「――な……!」


 ヤツの目的――それがわかり、俺は背筋が凍るのを感じた。

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