2.守るために(2)-シィナside-
「シルヴァーナ様……すべて、終わったよ」
女神ウルスラに祈り、
ふと、背後でシャロットの声が聞こえた。
「闇も剣に封印された。コレットも無事。今は、詰所のフェルティガエで被害状況を確認しているけど……リユーヌの獣が大量に死んだ以外は、大丈夫だと思う」
「……そ……う……」
よかった……。私は、ウルスラを守りきれた。
――初めて、女王らしいことができた気がする。
私はホッとして祈りを解いた。ゆっくりと……紫の結界が端の方から消えて行くのが見えた。
「それで……あの……」
珍しく、シャロットが何だか口ごもっている。
「……どうしたの?」
ずっと祈りを捧げていたから……少し眩暈がする。
私は塔の壁に寄りかかると、ウルスラを見回した。
シャロットは私の隣に来ると
「予言……正しかった。異国の民が現れて……剣は、もとの所有者に還る」
と言って、北東のロワーゾを指差した。
かなり遠くでよく見えないけど……何人かの人が草原に佇んでいる。
「今回助けてくれた、異国の人達。結界があるから入れなかったんだ」
「そうなの……。では、お礼をしなくては。剣のことや、闇のこと……聞かなければならないことも、たくさんあるもの。是非、迎えを出してあげて」
「うん。それは、結界が消えたらってことで、もう手配してある」
「そう。ありがとう。さすがシャロットね」
私が微笑むと、シャロットもちょっと照れくさそうに笑ったけど
「で……それで……」
と言って、何だかそわそわしていた。
「どうしたの? さっきから……何か変よ、シャロット」
「うん……あのね」
シャロットは私の顔をじっと見ると、覚悟を決めたかのように口を開いた。
「ユズ兄ちゃんとトーマ兄ちゃんも来てるんだ」
「え……」
私はぽかんとしてしまった。
トーマが……来てる? え? どうして?
トーマは、ただのミュービュリの人間で、もう、ここには……ウルスラに来ることは、できないはずで……。
私は草原を振り返った。
シャロットが手配した馬車がもう着いていた。乗り込もうとしているみたいだけど、ここからじゃ遠すぎて……全然見えない。
「……はい」
シャロットが手を翳して、彼らの様子を映してくれた。女の人と少年が乗り込んでいる。
「この人達が凄かった。ちょっとウルスラにはいない、珍しい力を持った……信じられないぐらい強いフェルティガエ」
「そうなの……」
そしてユズが心配そうに振り返ったところに……気絶した男の人を抱きかかえた、トーマがいた。
「トーマ……!」
「トーマ兄ちゃん……フェルティガエだった」
「――え?」
予想外のことを言われて、私は思わずシャロットを見つめた。
「私がユズ兄ちゃんと話していて……その干渉を受けて、目覚めたみたいなんだ。トーマ兄ちゃん、自分でウルスラに来たの」
「どうやって……」
「次元の穴を開けて」
「えっ!?」
私は映像を再び見た。1年前より……少し痩せた気がする。
「ただ、記憶についてはわからないから……」
「……そう……」
「――戻っててほしい?」
シャロットの言葉に、胸がドキリと大きな音を立てたのがわかった。
私は一瞬だけ目を見開いたけど……すぐに目を伏せ、首を横に振った。
シャロットが、じいっと心配そうに私を見つめている。
この子は……いつも、私を気遣ってくれる。
「……いいえ。多分……甘えてしまうと思うから」
見てはいけない夢を、見てしまうから。
「……そっか」
シャロットはポツリと呟いた。
「それで……トーマ兄ちゃんが抱えている、この人が剣の本来の所有者みたい。フェルティガエではないけど、この人が最終的に闇をすべて鎮めてくれたんだ」
「そうなの……。じゃあ、剣や闇についてはこの人に話を聞かないと駄目なのね」
「うん。……で、剣なんだけど」
シャロットが気絶している男の人の左手を指差した。見ると、剣と手をロープみたいなものでぐるぐる巻きに縛ってある。刃の方は黒い布で覆われていた。
「この人が持っていないと駄目みたいなんだ。でも、何だか危ないし……」
「……そうね。じゃあ……私の方で剣ごと結界を張りましょう。そしてどこかで休ませてあげないと……」
「剣があるからさ。王宮の奥の方がいいかな」
「……そうね……」
「わかった」
シャロットは映像を消すと、再び王宮の中に姿を消した。
私は王宮に向かって走り出す馬車を見つめながら……さっきのトーマの姿を思い出していた。
トーマがいる。トーマに会える。
もう……二度と会えないと思っていた、トーマに。
どうしよう。私……どういう顔をしたらいいの?
そのとき……白い空がだんだん暗くなり、藍色の夜に変わった。
と同時に、浮足立っていた私の気持ちも、濃く塗りつぶされたような気がした。
いえ……駄目よ。浮かれては、駄目。
女王として……すべてを諦めたはずでしょう?
夜になり、各家では灯りが灯されたようだった。辺り一面、光の雫でいっぱいになる。
私には……この光の数だけの民を守る、使命がある。
「……私は、女王なんだから」
ポツリと呟いて、私は塔を後にした。
* * *
大広間と、それにつながる女王の血族が暮らす奥の塔は、すべて人払いをした。
トーマが剣の男の人――ソータさんというらしい――を王室の牢屋に運んだとの知らせを受けて、私はその部屋に向かっていた。
他の人は、別の一室で待ってもらっている。牢屋にいるのは、眠っているソータさんとトーマだけだ。
……シャロットが気を遣って、そうしてくれたみたいだった。
扉の前には、マリカが立っていた。
マリカはこのエリアでずっと、ギャレット様の世話をしてくれていた。
今日からしばらく、ソータさんの世話もしてもらうことになる。
「……こちらです」
マリカは会釈すると、すっと離れて行った。
私は扉を見上げた。
いったい、どんな顔をすればいいんだろう。
――心が決まらないまま、トーマに会いたいと言う気持ちが先走って……私は、扉をノックした。
『――はい』
トーマの声が聞こえた。
……久し振りに聞く、日本語だった。
私は扉を開けると、中を見ずにすぐに後ろを向き、ゆっくりと扉を閉めた。
胸がドキドキする。いつ振り返ったらいいかわからない。
『あの……』
困ったようなトーマの声に、私はハッとして振り返った。
――トーマは、ベッドの傍の椅子から立ち上がっていた。
やっぱり、ちょっと痩せたのかもしれない。でも……背は伸びた気がする。
違うかな。あの時、私はしばらくの間小さかったから……その印象が、強いのかな。
そんなことを考えていたら、知らない間に――ポロポロと涙がこぼれていた。
駆け寄って抱きつきたい。でも、駄目。だってトーマは私の事を憶えてるかどうかもわからないのに。
……馬鹿ね。自分で忘れさせたくせに。今さら何を言ってるんだろう。
シャロットには偉そうなことを言ったのに……私はやっぱり、トーマに憶えていてほしかったのかもしれない。
いつまで経っても、私は甘ったれで……覚悟が足りなくて……。
『……ご、ごめんなさい……何でもないの』
トーマの困ったような表情に気づいて、私は涙を拭った。
きっとトーマは……何も憶えていないんだ。
『ウルスラの女王、シルヴァーナです』
『――初めまして。トーマといいます』
トーマがペコリと頭を下げた。
『あの……この人なんですけど』
トーマが眠っているソータさんを指差した。
『俺の……父親らしくて』
『えっ!?』
私は眠っているソータさんをまじまじと見た。
かなり若い。トーマのお兄さんと言った方がいいぐらいだ。
『ユズにそう言われて、だからとりあえず女王が来るまで傍についてろって』
『そう……なの……』
私とトーマを二人きりにするために、ユズとシャロットが協力してくれたのね。
『あの……トーマ……さん……』
『トーマでいいです。敬語もいいですよ』
『……じゃあ、トーマ。……トーマも、普通に話して。……お願い』
『え……じゃあ、まあ』
トーマは照れくさそうに笑うと、頭をポリポリ掻いた。
一緒にいたとき……この仕草、何回も見た気がする。
――再び出会えた。それだけで……十分。
私が涙ぐみながら微笑むと、トーマは何か言いかけたけど……そっと首を横に振った。
そして
『これから……よろしく』
とだけ言って、私に――一番いい笑顔を見せてくれた。
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