第2章 囚われの術者

1.守るために(1)-シィナside-

 シャロットと別れてから、私は急いで王宮の奥の塔の一番上まで登った。

 ひときわ高いこの塔の頂上からは、ウルスラ全土がすべて見渡せる。


 今のところ、闇は広がっていない。南東の狩猟領土リユーヌの森林地帯の一部だけだ。

 でも、森林にはたくさんの野生の獣がいる。


 去年、兵士が操られて暴れたように、野生の獣が民の所まで来たら被害はさらに大きくなるかもしれない。

 そして、コレットは瞬間移動ができる。今はリユーヌだけだとしても、場所を移して闇をばら撒かれたら……。

 やはり、ウルスラ全土をバリアで覆うしかない。


 塔の中央まで進み、跪く。私は両手を組んで祈りを捧げた。


「美の女神ウルスラの輩下……女王シルヴァーナ。……我、汝に祈る。汝の血の継承で以って、我に汝の力を用いることを許し給え……!」


 北西のフルール、北東のロワーゾ、南西のブリーズ、南東のリユーヌ――それぞれの外れにある、ウルスラの扉に祀られた『ウルスラの血』。

 その力が私に集まって来ているのが分かる。


 ――究極結界……完全防御クイヴェリュン


 ウルスラの血から得られた女神の力と私の力が溶けあい――私の身体の中心からドーム状のバリアが広がる。私のオーラを纏って……紫色に輝く。

 これで……この完全防御クイヴェリュンで、ウルスラを守る――!



   ◆ ◆ ◆


 

 ユズから時の欠片を継承したとき――私は、女王の真実を知った。

 千年もの間失われていた、時の欠片……それは、予言の力だけではなくウルスラの扉の記憶も継承するものだったのだ。

 なぜ、皇女こうじょを変更してまで器をもつ私が女王にならなければならなかったのか――あのとき、トーマも言っていたけれど――継承して、すべてを理解した。


 各地の祠にある血の結晶は、女神ウルスラの一部。女神の力が宿ったもの。

 女神ウルスラが神剣みつるぎを携えて彼の地を訪れ、血を流したことで……女神の力と神剣の力が融合し、溢れ出た。


 なぜ女神ウルスラが自らの血を捧げたのかは、わからない。

 しかし……その力は絶大で、かなりの頻度で次元の穴が開いてしまう、とても不安定な場となってしまったのだ。

 そのため、ウルスラではこの穴に人が落ちて帰ってこれなくなったり、ミュービュリから人が現れて戻れなくなったり……そんなことが起こり、混乱を極めた。


 そんなとき――今から約1500年前、これまでに類を見ない、素晴らしい力を持った女王が現れる。

 この女王はこの場の力を少しでも減らすために、祠を設け、力を抑制した。

 そして、この力を――次元の穴を開けるためではなくフェルティガエが各地を巡るための力に変えたのだ。


 そしてもう一つ知ったこと。女神ウルスラの血に宿った力は、女神の直系の子孫の最高位である女王のみが使うことができる、ということ。

 時の欠片が継承されるべきは、やはり女王――。そして、女王の立場に立った者は、たとえその位を退いても……ウルスラを一生見守る義務がある。


 ユズから継承された瞬間……それを悟った私は、すべてを諦めた。


 どんなにトーマが好きでも、私達の間には絶望的な溝がある。

 ただの、ミュービュリの人間であるトーマが……私の宿命に巻き込まれてはならない。


 あのとき……そう、思った。

 だから、すべてを消して……トーマをミュービュリに帰した。

 ウルスラを――私を、すべて断ち切ってもらうために……。


   * * *


 結界の中心で祈りながら……いろいろなことが頭をよぎる。

 女王になってから……私は、何をしてきただろう。

 何もしていない。

 ――子も、生めなかった。


 女王に限らず、フェルティガエの懐妊は本人の意思にかなり左右される。

 個人差はあるけれど……相手への愛情や、子が欲しいという気持ち次第なのだと、教えられた。

 トーマへの愛情がある私は、結契けっけいの儀の相手に対する愛情なんて、とてもじゃないが持つことはできない。

 でも……時の欠片を継承して、女王の責務は理解したつもりだった。だから、絶対に子を産まなければ……そう、思っていたはずだった。

 だけど――できなかった。


   * * *


「――仕方あるまい。そうかもしれぬ、とは思っていた」


 結契の儀に失敗したことを、報告したとき。

 てっきり叱られると思ったのに……イファルナ様は、そう呟いただけだった。

 人払いをしたので、その場には私とイファルナ様の二人だけだった。ベッドの上で上半身だけ起こしてクッションにもたれかかりながら、イファルナ様は大きく息をついた。

 申し訳なさから俯いていた私は、驚いて顔を上げた。皺が深く刻まれ、目に見えて老け込んだイファルナ様の顔をまじまじと見つめる。


「どうして……」

「エレーナのときのことを考えると……それぐらいの歪みは生じるだろう、ということだ」

「母さま? 歪み?」


 40歳で私を生んだ母さまは、前のウルスラの動乱でかなり衰弱していた。

 今は王宮の奥で、静かに養生している。もう、起き上がることもできないのだ。


「三十歳までに産めなければ……という決まりは、知っておるな?」

「はい……」

「つまり、エレーナは少なくとも十年の間、お前を胎内で抱えていたことになる」

「……え?」


 私には、イファルナ様の言っていることがわからなかった。

 イファルナ様は少し溜息をつくと、ゆっくりと目を閉じた。察しの悪い私に、やや苛ついているようにも見える。


「わからぬか? その決まりがある以上、三十を越えてから儀式をする必要はないのだ。エレーナは軽薄な娘ではなかった。三十を越えてからは、誰とも交わっておらぬ」

「……!」


 私はようやく、理解した。

 母さまは三十になる前に儀式に臨んだのに、子供が生まれなかった。だからギャレット様が皇女になったんだけど……。

 でも、実は懐妊していたのにその兆候がなかったということ?

 そして……それだけ特殊な状況で生まれた私だから、私が八歳になるのを待とうと……譲位を遅らせたということ?


「こたびの闇の話を聞いて……何となくだが、わかったのだ」


 イファルナ様が深い溜息をついた。


「わたしに闇は見えぬが……眠りに着く前から、王宮が何となく淀んでいる気配は察していた。だからこのままではお前が成長するまで身体がもたないだろうと思い、眠りについたのだが……」

「……」

「女王の一族に闇がとり憑けるとは思わなかった。勿論、ギャレットの心の問題なのだが……わたしがギャレットから皇女の加護を奪ってしまったから、というのもあるかも知れん」

「あの闇が……私の出生に何か、関係が?」

「お前の懐妊がようやくわかったときに、エレーナが言っていた。確かに強い力を感じたのに、何かがそれを押さえつけてしまった、と」

「それが、闇の意思……ということですか」

「そうじゃな。多分、お前が時の欠片を継承する器をもつ、稀に見る力の持ち主だと気づいて生まれるのを妨げた、ということではないかと思う。事実……エレーナはその十年間でかなり身体を悪くした」


 確かに……私が知っている母さまは、身体が弱かった。

 それなのに、フェルティガでミュービュリを覗かせてくれて……そして、ゲートを開いて私を送り出してくれた。


「しかしお前は闇に打ち勝ち、この世に生まれてきた。お前が生まれてしばらくの間、王宮は淀んでいなかったように思う。多分、闇が力を失っていたのだろう」

「……私は、闇が見えるのに……まったく気づきませんでした。隔離されてしまう前も、後も……ずっと……シャロットに会うまでは……」

「闇が恐れて近づかなかったからだろう。直接勝負をして、負けたのじゃからな」


 イファルナ様はふんと鼻をならした。


「何故かは分からぬが、闇はこのウルスラを滅茶苦茶にしようとしているようじゃな。だから隙を見てギャレットにとり憑き、お前を亡き者にしようとしたのだ」

「……」

「あの剣といい、闇といい……わたしたちは知らないことが多すぎる」

「あの、今……シャロットが一生懸命古文書を調べています。だから、何かわかるかも……」


 常日頃――イファルナ様は、器をもつコレットを可愛がっているけど、シャロットにはあまり優しくない、と思っていた。

 だからこの機会にもっとシャロットのことを見てほしいな、と思ったのだけれど、イファルナ様は


「――そうじゃな。それぐらいしか、あの娘には取り柄はないであろうしな」


とひどく冷たく言い放った。

 そのあまりの冷たさに、胸がズキリと痛み、ほのかに怒りが湧き出てくる。


 シャロットがいなければ……このウルスラは、今の平和を手に入れることはできなかったのに。

 それに、シャロットはいろいろなものを視る力に長け、浄化もできる。

 頭の回転も速いし、勇気も行動力もある。

 女王になる資質は十分にある子だった。――今までならば。


「まあ、とにかくじゃな」


 私が不機嫌になったのが分かったのか、イファルナ様はごほんと咳払いをした。


「お前は胎児の時点で闇に関わり、闇に打ち勝ってこの世に生まれたのだ。つまり……唯一無二の存在として、お前が在る。お前が自ら子を産めない理由は、ここにあるのではないか、ということじゃ」

「……それが、力の代償……ですか」

「そうだ。それに……あまり小さいうちからフェルティガに干渉されると歪みが生じるということは、よく言われておることだ」

「……」

「よって……わたしはもう、お前に無理に結契の儀を勧めることは……せぬ」

「……はい……ありがとうございます……」


 私はお礼を言った。

 私にとっては――儀式はかなり、苦痛だったから。


「その代わり……シャロットとコレットには頑張ってもらわねばの……」

「あの……」


 これ以上イファルナ様の話を聞いているのが辛くて、私は言葉を遮った。


「何だ」

「今日は……イファルナ様、たくさんお話して下さってありがとうございました。ただ……そろそろお休みになりませんと」

「ん……そうじゃな」


 イファルナ様が横になるのを見届け、静かに会釈をする。廊下に出ると、人払いされていたため誰もいなかった。

 合図をして神官を呼ぶと、私は足早に西の塔を出た。


   * * *


 私は、女王の一番重要な義務を果たせない。辛い。

 シャロットやコレットに、その分皺寄せが来る。申し訳ない。

 でも……自分の気持ちを裏切らなくていいのだ、という安心感もある。

 こんなことじゃ、駄目なのに。女王として……駄目なのに。

 でも……少し、嬉しい。


 ――トーマ。あなたを好きなままで、いいみたいなの。


 でも、もしミュービュリを覗いて、トーマが誰かと一緒にいたら……今度こそ、私の心は潰れてしまう。

 自分が、忘れるように仕向けたのに。


 だから、私はもう二度と……ミュービュリには関わらない。

 ずっと……あなたの思い出を抱えて、生きて行く。

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