12.追うために(2)-暁side-

 歩きながら、ソータさんが剣を抱えた女の子と会ったときの話をしてくれた。

 5、6歳の小さな女の子で、闇に乗っ取られてとても凶悪な表情をしていたらしい。


「つまり、その子の身体だけ支配している感じだ。紫の瞳ということは女王の血族だから、精神までは乗っ取れなかったんだろう。……ジャスラの闇とは明らかに違うな。闇自身が意思を持って動いている」

「やっぱり。オレが思った通りだ」


 オレがうんうん頷くと、ソータさんが不思議そうにオレを見た。


「ユウに憑いてた闇がそんな感じだったから」

「ユウ……?」

「この子の父親。怪我をして、眠ってるの。……十年間」

「――テスラでか」

「そう。……あれっ? 言ったっけ?」

「ヴォダが二人はテスラの民だと教えてくれた」

「さっきの鯨くん?」


 朝日がテキトーな表現をしたせいか、ソータさんがちょっと呆れたような顔をして溜息をついた。


廻龍かいりゅうな。飛龍と廻龍。ヒコヤの神獣だよ」

「飛龍なら知ってる。テスラに何頭かいるもん。そうか……もとは、ヒコヤのものだったんだ」

「それより……その、ユウに憑いていた闇はどうしたんだ?」


 ソータさんがオレを見て真剣な顔をして聞いた。


「闇? 浄化したよ。わりと小さかったし。そのとき、何かその闇が喋ったみたいな感じがしてさ」

「……」

「だから……闇自身に意思があるのかもって……」

「それ……」


 ソータさんが何か言いかけた、そのとき。

 右手の奥から、何かが凄まじい勢いで走ってくる気配がした。多分、闇にまみれた獣だ。こっちから向かう前に向こうから仕掛けてきたってとこだね。


「……!」


 ソータさんが弓矢を構える。朝日も、ソータさんが見つめる先をじっと見つめた。

 力を溜めているのがわかる。多分、ソータさんが矢を放ったら突撃する気なんだろう。


「――こっちだ!」


 急に女の子の声が聞こえてきて、全く別の方向からガサガサと音がした。

 何かと思って振り返ると、何人かの集団がいきなり現れた。

 赤い髪の、オレと同じ年ぐらいの女の子――後ろには四人の大人を従えている。


「お前ら、こっちに来るな!」


 ソータさんは獣の方に視線を向けて弓を構えたまま、大声で叫んだ。

 その声と獣の足音に大人たちはギョッとしたように足を止めたが、女の子はキョロキョロ辺りを見回しながらフラフラとこっちに向かってくる。


「ここにも、闇が……!」

「――馬鹿!」


 オレは朝日の真似をして、フェルを足に溜めてその女の子の元に飛び込んだ。

 ガッと腕を掴んで

「ちょっと引っ込んでろ!」

と頭を下げさせる。


「だって、闇が……」

「それを今どうにかしてるんだろ!」


 怒鳴ったあと、ふとその台詞の違和感に気づく。オレは思わず、女の子の顔をまじまじと見つめた。

 こいつ……闇が見えるのか?


「……来る!」


 ソータさんの声で、オレはハッと我に返って二人の方を見た。

 今まで見た中で、一番大きな獣がみるみる近づいてくる。

 それは、二階建ての家ぐらいの高さはある、真っ黒な熊に似た獣だった。

 だけど口からはみ出さんばかりの牙がギラついていて、とても恐ろしい顔をしている。


「――!」


 ソータさんは弓を引き絞ると、狙いを定めて放った。うなりを上げて飛んだ矢が、獣の額に突き刺さる。


「グオウ!」


 獣は一瞬苦しそうに頭を振ったが、そのまま足は止めなかった。


「……!」


 朝日が前に出て獣を待ち構える。拳に力を込めると、ジャンプして思い切り獣の鼻っ面に打ち込んだ。


「はあーっ!」

「ギャオーッ!」


 自分の勢いとも相まって、獣が後ろに飛ばされる。


「そいつ……喉! 喉の白い所が急所だから!」


 隣の女の子が叫んだ。朝日が「オッケー!」と叫んで喉に蹴りを入れようとしたが、獣は再び起き上がってしまった。喉が見えなくなる。


「もう!」

「朝日、もう一度そいつを仰向けにして拘束してくれ! 俺がやる!」


 ソータさんが怒鳴って……今度はもっと大きい重そうな矢を二、三本取り出した。


「分かった!」


 突進してきた獣を左手一本で押さえると、朝日は獣の胴体を思い切り蹴り上げた。思い切り過ぎて獣の巨体が宙に舞う。


「やり過ぎた!」

「加減しろ!」


 朝日が「ごめん!」といいながらジャンプして、空中で獣の身体を蹴り飛ばした。獣の身体が後ろの大木に叩きつけられる。


「……っ!」


 ソータさんが矢を放った。喉に突き刺さり、大木にはりつけになる。

 地上に戻った朝日が、獣の下半身を大木に押さえつけた。

 ソータさんが続けざまに二本、矢を放ち……それらがすべて獣の白い喉に突き刺さった。


「……グォウ」


 獣がガックリとうなだれて……その重みと朝日の力に大木が耐えられず、後ろにゆっくりと傾いだ。

 バキバキバキ……と激しい音を立てて、獣ごと大木が倒れてゆく。


「すごい……」


 女の子は呟くと、バッと立ち上がって獣に駆け寄ろうとした。


「待てって!」


 オレはその子を引っ張って先に前に出ると、ジャスラの涙を掲げた。獣の身体から漏れ出た闇が、珠に吸い込まれる。


「これでよし……と」

「それ……何? あなたたち、いったい……」

「だから、闇の回収をしてるの。そうだ、この森林一帯はもう終わったぞ」


 オレが成し遂げた訳じゃないけど、何となく胸を張る。


「シャロット様、我々は……」


 ずっと身を潜めていた大人たちが少女の傍に近付いてきた。

 女の子はそれらを制すると、オレの方に振り返って

「闇は――なくなった? 本当に?」

と小声で聞いてきた。


「うん。ただ……朝日が倒した獣が散らばってるけど」

「――わかった」


 オレの言葉に頷くと、女の子は大人たちに振り返った。


「この人達の話は私が聞きます。あなたたちは、リユーヌの森林を手分けして見て来て。危険な場所はないか、確認してほしいの。何かあれば神官長に連絡を。終わったら、詰所に待機して」

「わかりました」


 女の子のてきぱきとした指示に四人の大人は頷くと、人間とは思えないスピードで森の奥に消えて行った。多分、フェルティガエなんだろうな。

 しかし……この女の子、凄いな。あんな大人たちを顎で使って。


 感心していると、女の子がオレたちをじっと見つめた。

 ショートカットの赤い髪が目立つ、奇麗な女の子だ。

 切れ長の茶色い瞳がまっすぐにオレを捉えているのがわかって、オレはちょっとドキッとした。


「私はシャロット。このウルスラの、王女です」

「王女? お……君が……?」


 ソータさんが不思議そうな顔をした。


「あなたたちは、異国の民……ですよね?」

「……まあ……」

「黒い布に包まれた棒を抱えた小さな女の子、見ませんでしたか?」

「見たぞ。俺の目の前で消えた。あの剣は俺にしか扱えないから、探してるんだ」

「えっ!」


 女の子――シャロットは真っ青になると、バッと手を翳した。

 空中にスクリーンみたいなものが現れて……何かが映し出される。

 小さな女の子が男の人の腕を振り払って逃げ出したところだった。手には何も持っていない。


「こいつだ!」

「ユズルくん!」

「コレット!」


 ソータさんと朝日とシャロットが同時に叫んだ。

 映像の中の女の子はギッと男の人を睨みつけると、すっと姿を消した。


「いったいどこに……」


 シャロットが呟くと、映像がパッと切り替わった。

 洞窟みたいなところの前に、女の子が現れる。どうやらかなり疲労しているらしく……ヨロヨロしていた。


「これは……ブリーズだ」

「おい、シャロット。さっきの男をもう1回映せるか?」


 ソータさんが聞くと、シャロットは

「そうだね。……こっちも確認しないと」

と言って映像を切り替えた。

 色白の綺麗な顔をした男の人が、うずくまっているもう一人の男の人に近寄り、何か会話している。


「――トーマ……!」


 ソータさんが驚いたように声を上げる。

 見ると、その人は両手で剣を掴み、歯を食いしばっていた。

 その両腕はロープみたいなものでぐるぐる巻きにされている。


『――ユズ兄ちゃん!』


 シャロットが急に日本語で叫ぶから、オレはびっくりしてしまった。

 画面の中のユズルさんがハッとしたように天を仰いだ。


“――シャロットか? ごめん、剣は取り返したけどコレットは逃がしてしまった”

『うん、視えた。剣はトーマ兄ちゃんが押さえてるの?』

“ああ。こっちはしばらく大丈夫。早く、コレットを捕まえないと……闇に身体を乗っ取られてるんだ”

『わかった! 後はオレがやるから!』


 急に映像が途切れる。

 驚いていると、シャロットがすっくと立ち上がった。すぐさまどこかに駆け出そうとする。


「ちょっと待て! 俺じゃないと、闇は……」


 ソータさんがシャロットの腕を掴んだけど、シャロットはバッと振り払った。


「ウルスラの扉はフェルティガエしか通れない。お兄さんだけは、無理なんだ!」


 そう叫ぶと、林の奥に消えて行った。

 オレ達はシャロットの背中を慌てて追いかけた。


 そんなに足が速そうには見えなかったのに、全然追いつかない。

 そして途中までは姿が見えていたはずなのに……気がつくと、シャロットは完全に消えてしまっていた。


「あれ?」

「どこに消えた?」


 オレとソータさんがキョロキョロと辺りを見回す。朝日が

「こっちの方だったような……」

と呟きながら歩いて行った。

 すると……木々の一角が急に消え、細い道が現れた。


「わっ!」

「何だ?」

「多分、幻覚。この道を隠してたのよ」


 見ると……ずっと奥の方に、シャロットの後ろ姿が見えた。しかし、しばらくするとまた煙のようにかき消えた。


「また消えた!」


 オレが思わす叫ぶ。


「多分、何重にも幻覚を仕掛けてあるのね。追っていけば、そのウルスラの扉とやらに辿り着けるとは思うけど……」


 朝日は呟きながら、腕組みをして考え込んだ。


「あの子、ソータさんだけは無理って言ってたわよね。つまり、私と暁はフェルティガエだけど、ソータさんは違うって見抜いてたんだ」

「そうは言っても、俺が、コレット……だっけ? あの子を捕まえないと」

「でも、無理と言うからにはきっと無理なのよ」

「おい……」

「まあ、聞いてよ。ウルスラの扉は……多分、フェルに反応して作動する装置みたいなものじゃないのかな。そもそもフェルティガを持っていないソータさんには使えないってことだと思うのよ。……どうする?」

「どうするって言われても……」


 二人が会話する横で、オレはさっきの映像を思い出した。

 コレットがユズルさんの前から消えた瞬間。そして……洞窟の前に現れた瞬間。


「――オレが連れて行く」


 オレが言うと、朝日がハッとしたような顔をしてオレを見た。


「見たから……コレットの瞬間移動。多分、できる」

「本当に? でも、大丈夫かな」

「だってそれしかないじゃん。二人とも、オレに掴まって」


 朝日はじっとオレを見つめると

「……わかった」

と言って、背後からギュッと抱きしめた。

 もしものために――自分のフェルをオレに預けるつもりなんだ。


「……ソータさんも掴まって」

「……頼むぞ」


 ソータさんはちょっと笑うと、グッとオレの左手を握った。


 目を閉じる。

 オレはもう一度、さっきのコレットの瞬間移動を思い出した。


 ――大丈夫。跳べる。

 オレの右手のジャスラの涙が、温かく感じる。


 ……コレットの、元へ……!


 カッと目を見開く。

 まわりの景色が……サーッと音を立てて消えて行くのが見えた。

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