7.入るために(1)-ソータside-

 ヴォダが海中をものすごいスピードで泳ぐ。

 俺はヴォダの角に掴まりながら、ずっと変化のない海の景色を見回した。


「なぁ、ヴォダ。もう三日もこのままなんだが」


  パラリュス中の海を廻る廻龍かいりゅう

 その三代目となるヴォダはまだ幼いが、その分好奇心いっぱいで元気だ。

 ヴォダの周りは不思議な空間に包まれていて、海の中でも俺は濡れないし、呼吸もできるし、普通に話もできる。


“うん。ホントなら、もっと、かかるの。でもヴォダ、頑張ってる”

「ウルスラって……遠いんだな」

“でも、もうすぐ。上がる、ね”


 ヴォダはそう答えると、身体を斜め上に向けた。


「どわーっ!」


 急に負荷がかかって、俺は慌てて両手でヴォダの角に掴まった。


「もう少し、もう少し、て、い、ね、い、にー!」

“ソータ、わがまま”

「そういう問題じゃねー!」


 ざっぱーんという激しい水音と共に、ヴォダの身体が水面に飛び出した。


「ぐわーっ!」

“ほらー、ウルスラだよー”


 ヴォダがはしゃいで海面をピョンピョン跳ぶ。


“かなり頑張って泳いだよー。エライ?”

「エライ、エライ……だけどちょっと落ち着いてくれ、頼むから!」


 角に掴まりながら必死で叫ぶと、ヴォダは「ニュウ」と鳴いて静かに海面を泳ぎ始めた。

 俺は荒い息をつきながら、ヴォダの背中に座り直した。ホッと息をついて、正面を見上げる。

 確かに、巨大な陸地が目の前にあった。

 ただ……上陸できるような海岸はなく、とてもじゃないけど登れなさそうな崖がそびえ立っていたが。


「これがウルスラか……。だけど、ここからじゃ俺は入れないぞ」

“でも、ココが一番、近いの”

「近いって?」

“変なモヤモヤ”

「……!」


 ハッとしてもう一度崖を見上げる。

 変なモヤモヤ……まさか、ウルスラにも闇が広がり始めているのか?

 だけど、まず上陸できないと意味がないしな。


「ヴォダ、少し海岸線を回ってみてくれないか」

“ん、わかった”


 どこか俺でも入れそうな砂浜とか……と言いかけた、そのとき。


『あれー! 何で海の上ー?』

『何やってんだよ、朝日ー!』


という日本語の声が頭上から降ってきた。

 ぎょっとして見上げると、白い空が切り開かれて……その穴から、若い女性と中学生ぐらいの少年が落ちて来るところだった。


「うわっ、何だ!」

『きゃーっ!』

『うわーっ!』


 二人はそのままドッパーンと海に落ちた。


「………………」


 ――しばらく茫然としていたが、ハッと我に返る。


「……ヴォダ!」

“……なあに?”

「なあに、じゃない! 早くあの二人を追ってくれ!」


 よくわからんが、このままじゃ死んでしまう!


“でも、まだ、死んでない。海に還さなくても……”

「まだ死んでないから助けるんだよ!」

“……そっか”


 ヴォダがザブンと海に潜る。辺りを見回すと、下の方に丸い珠みたいなものが見えた。

 近付くと、少年の手を引いた女性が驚いたように目を見開いて海面を見上げている。

 まさか……フェルティガエ? とっさにバリアでも張ったのか?


「俺に掴まれ!」


 右手でヴォダの角に掴まりながら珠に向かって左手を伸ばすと、女がハッと我に返って左手を伸ばした。珠の中から突き出た手を握る。

 ぐいっと引っ張ってヴォダの背中に乗せる。かなり小柄な女だったから、あまり力はいらなかった。パチンと、二人を包んでいた珠が消える。

 俺が二人を助け出すのを確認して、ヴォダは再び海面に向かって泳ぎ出した。


「大丈夫か?」


 あ、しまった。ついパラリュス語で話しかけてしまった。

 確かさっき、日本語を喋っていたのに。


 通じないかも、と言い直そうとしたが

「あ、ありがとうございます……」

と女は特に慌てる様子もなくパラリュス語で答えた。

 そして俺の顔を見るなり

「え!? ソータさん!?」

と大声で叫ぶ。


「そうだけど……あんた、いったい……」

「でも若い!」

「それは……」

「どうしよう、アキラ! 間違いじゃないけど、間違えた!」


 この女、人の話を全然聞かないな。


「……ウルスラに拒否されたんじゃない?」


 アキラと呼ばれた少年も綺麗なパラリュス語で返す。


 この二人、何者だ? 服装はどう見ても、ミュービュリの人間なのに。随分と流暢にパラリュス語を話すな……。

 ……そう言えば、さっきのアレ……。


 海面に上がったので、白い空を見回す。

 しかし、さっき見た切れ目はどこにもなかった。


 ……ひょっとして、あれが噂のゲートってやつか?

 こいつらたった今、ミュービュリから来たってことか?


 事情を聞こうかと振り返ったが、生憎二人はそれどころではないようだった。


「朝日、ゲート失敗したんじゃない?」

「してないわよ!」

「だって今回のゲート、変だったじゃん」

「変って……」

「出口が一度消えちゃったじゃん」

「確かに……。でも、どうしよう!」

「どうする?」

「うーん……とにかくもう一度、入り直してみようか」

「もう一度って……」

「だからあっちに戻って、もう1回二人を追いかけてゲートを開いて……」

「え? マジで?」

「とにかく私だけもう1回行ってくる。どうにかしてウルスラに……」

「ちょ……待て待て待て待て!」


 女が再びどこかにすっ飛んでいきそうな勢いだったので、俺は慌てて二人のやりとりを遮り、女の腕を掴んだ。

 女は振り返ると、ガッと俺に詰め寄った。


「ソータさん、あなたにも用事があるんですけど、今は私、どうしてもウルスラに行かないといけないんです。だから、また後で……」

「落ち着け! あれが、ウルスラ!」


 俺は目の前の崖を指差した。


「……へ?」


 女が不思議そうな顔をして目の前の崖を見上げた。

 そして俺の方を見ると


「ソータさん、ジャスラで旅をしてるんじゃなかったんですか? 何でウルスラ? それにどうしてこれがウルスラってわかるんですか?」


と続けざまに質問した。


 とりあえず、全部について答えてやった方がちゃんと落ち着いて話を聞いてくれそうだな。


「ジャスラでやれることは終わって、神剣みつるぎと浄化者を見つけるためにウルスラに来た。俺が来れたのはこの廻龍かいりゅうのヴォダが連れて来てくれたからだ」


 溜息をつきながらポイントだけ簡潔に説明する。女は

「廻龍……」

と呆然とした様子で呟いた。


 隣にいる少年が

「顔がサンに似てるよね。仲間かな?」

と言って嬉しそうにヴォダの背中を撫でる。ヴォダも気に入ったらしく、「ニュウゥ」と機嫌良く鳴いた。


「それよりお前達、何者だ? 何で俺の事情にそんなに詳しいんだ?」

中平圭吾なかひらけいごさんから話を聞きました」


 女はぺこりと頭を下げた。そして、隣の少年にも頭を下げさせる。


「えっと、私は上条朝日かみじょうあさひといいます。この子は、私の息子のあきらです」

「こんにちは」

「あ、どうも……。って、親子? え? 親父から? 上条さん、あんた……」

「朝日でいいです。それで、さっきまでお話を聞いてて、写真と指輪を預かって……あ!」


 女は大声を出すと、急に慌てだした。


「それで、トーマくんとユズルくんがウルスラに来てるはずなんです。それを追いかけてきて……」

「え!」


 トーマが来てる? どういうことだ?


「だから、あのすぐ近くの岩まで連れて行って下さい。ウルスラに入りますから」

「ちょっと待て! あんな崖からどうやって入るんだ。ちょっと回って……」

「時間がないです! 私に任せて!」


 女――朝日が、妙に力強く言った。


“ソータ。この人達……テスラの、人”

「えっ!」

“女神テスラの、気配、する。かなり強い、フェルティガエ”

「マジか!」

「何、独り言を言ってるんですか……」

「朝日、多分この子と会話してるんだと思うよ」

「え、そうなの?」


 本当に緊迫してるのかよくわからない、呑気な会話を繰り広げる二人を見る。

 とてもじゃないが、そうは見えないが……。

 元気過ぎないか?


“ホント、だもん”


 俺の心の声に応えて、ヴォダがちょっと拗ねたような声を出した。


「――わかった。とにかくヴォダ、岩まで頼む」

“うん”


 ヴォダが崖の近くに付き出ている岩まで連れて行ってくれた。

 そして俺達三人を下ろすと

“どこにいても、いいから、海岸で笛を吹いてね”

と言って、ヒレでパチャパチャと海面を叩いた。


「かわいー……。ありがとう!」


 少年――暁が嬉しそうに手を振った。ヴォダが「ニュウゥ」と鳴いて暁に応えた。

 ……言葉は通じないはずなのに、妙に意気投合しているな。


 ヴォダが海の中にトプンと消えて行くのを見送ると、後ろを振り返る。

 目の前には、断崖絶壁。抜け穴や、上陸できる浜辺すらない。

 こんなところで、この女――朝日は、どうするつもりなんだろう。

 俺は溜息をつきながら、目の前にそびえ立つ崖を見上げた。

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