6.話すために(2)-ユズルside-

 列車に揺られながら、ひとまず心を落ち着ける。

 事前に何を話すか考えるんじゃなくて、その場に着いて、おじいさんや朝日さんの顔を見てから決めよう。


 そんなことを考えながら列車に揺られていると、やがて子供の頃から眺めていた山と森が、出迎えてくれた。

 もうすぐ、この電車は僕の育った場所に着こうとしている。


「……ふう」


 一息つくと、僕は席を立ってドアの前に移動した。

 多分、それほど待たずにバスに乗り換えできるはずだ。


 ドアの小さな窓から見える景色。流れるスピードが、ゆっくりになる。

 田園風景からコンクリートのホームに変わり……やがて、電車は大きな音をさせながらゆっくりと止まった。


 僕はドアが完全に開ききるのを待たずにホームに降りた。むっとした熱気とうるさい蝉の声が僕を出迎える。

 確か、バス乗り場は左から行った方が早いんだよな……。


「やっぱり、ユズだ!」


 急に声が聞こえ、僕は飛び上がるほど驚いた。

 振り返ると……何と、トーマがリュック片手に立っていた。


「えっ! 何で……」


 トーマは今日の夜までバイトがあるはず。どうして、ここにトーマが?


「何でって、予定していたバイトがパーになったからさ。じいちゃんのところに帰ろうと思って」

「え……」

「ユズも誘おうかと思ったけど、電話に出ないからさ。とりあえず、じいちゃんには電話したけど」


 そうか……。僕が家を出たあとに……。

 少し離れた車両に居たから、全然気付かなかったんだな。

 僕は自分の携帯の履歴を見たけど、トーマの着信しか残っていなかった。あと、トーマの「電話くれ」っていうメールだけ。おじいさんからの電話はかかっていない。

 多分、もう朝日さんが到着していて話をしているのだろう。

 乗り降りする人が少ない田舎だから、どうせこうやって駅で鉢合わせしてしまうし。


「でも、ユズは何で戻って来たんだ?」

「えーと……中学校のときの担任の先生に呼ばれて」


 僕は口から出まかせを言った。


「将棋部の子が全国大会に出ることになって……僕と将棋をしてほしいって」

「ふうん……?」


 トーマは少し不思議そうな顔をしている。僕はトーマから目を逸らすと、バス停に向かって歩き始めた。


「誰も相手にならないからって……」

「そのためにわざわざ? 珍しいよな、ユズにしては」


 トーマが走って僕の隣まで来た。並んで一緒に歩く。


「暇だったし。話をする訳じゃないし将棋は嫌いじゃないし」


 僕は早口でそう答えると、続けざまに「それにしても暑いよね」と呟いた。

 できることなら、あまり深く突っ込まないでほしい。嘘を吐くことに慣れていないので、ドキドキする。


「まあな……」


 トーマはそう答えながら、僕の方をちらりと見た。


(まあ、ずっと独りでいるよりいいよな。ユズが積極的に人と会うなんて……かなり珍しいけど)


 トーマの心の声が聞こえて少しギクリとしたけど、僕は気づかない振りをした。

 普段、他人の心の声は聞かないようにしてるけど、近くに居るし、トーマはかなり聞こえやすい方なのでどうしても飛び込んできてしまう。


(でも……何か違和感を感じる)


 やっぱり、変だったかな?

 あまり口に出さない僕との付き合いが長いせいか、トーマは結構、察しがいい。


(俺がずっと感じている違和感と、同じな気がする。ユズは――俺が聞いたら答えてくれるだろうか?)


「……トーマ!」


 僕は思わずトーマの思考を遮った。これ以上このことについて考え込まれるのはマズい気がする。


「えっ、何だ?」

「バス停、ここだよ。バスはもうすぐ来る。……何か、通り過ぎそうだったから」

「あ……」


 トーマは恥ずかしそうに頭をポリポリ掻いた。

 僕は立て続けに

「そうだ、トーマ。僕、今日は用事が終わったらアパートに戻るつもりだったけど、トーマの家に泊まってもいいかな?」

と聞いた。

 とにかく何か話して、トーマの気を逸らしたい。


「それは勿論……もともと誘うつもりだったし」

「じゃあ、おじいさんに先に挨拶に行くよ」


 トーマが帰ってくることについて、おじいさんがどうするつもりかはわからない。

 朝日さんが家に居たら、トーマはびっくりすると思うけど……。その前に帰すのかな? 

 まぁとにかく、とりあえず家まで一緒に行った方がいい気がする。


「まぁ……いいけど」


 トーマは何か言いたそうだったけど、そのときちょうどバスがやって来た。

 僕は「じゃあ、行こう」と言ってさっさとバスに乗り込んだ。


 バスの中で、僕は目を閉じて眠ったフリをした。

 トーマがあれこれ聞いてきたらボロが出そうだったし……ちょっと落ち着いて考えたかったからだ。

 幸いトーマもボーっとしているようで、特に気になる思考は入ってこなかった。



 おじいさんは、トーマに両親の話をするべきかどうか、かなり悩んでいたそうだ。

 もう年だから、自分が死んでしまったらトーマは独りになってしまう。……実の両親が生きていることも知らずに。

 だけど、話したところで会える訳ではない。

 向こうはトーマのことを知っているし、多分、時々は様子を見てくれているらしいけど、それをトーマは感じることができない。

 知らずにいた方が幸せなのか、会えなくても知っていた方が幸せなのか。


 正直、僕にもよくわからない。それでも……事情を知っている人間が傍にいることは幸運だと言って、おじいさんは笑った。


 僕の話を聞いて、おじいさんは「これで安心して死ねるよ」と冗談めかして言った。「縁起でもないですよ」と僕が言うと、おじいさんは首を横に振って、僕の手をガシッと握った。


「ユズルくんに会えて本当によかった。申し訳ないけど……これからもよろしく頼むよ」

と言って少し涙ぐんでいた。

 警察官をしていたおじいさんは年齢の割にかなり元気な人だと思っていたけど……それでも、夏に会った時よりグッと年老いたように見えた。


 今は――トーマに両親の話をすることはできないだろう。

 トーマはウルスラでの記憶を失っていて、まだ安定していない。余計な知識は、トーマの精神を揺さぶってしまうかもしれない。

 颯太さんは今、どうしてるんだろう? どうにか、おじいさんに颯太さんの様子を知らせることはできないだろうか?


 僕がパラリュスに行って颯太さんを見つけられればいいけど――パラリュスとミュービュリを行き来することは、容易ではない。

 ゲートを開いたことはないから、ちゃんと颯太さんのところに行けるかも……そして無事に帰って来られるかもわからない。

 それに……多分、そんなに何回も行ったり来たりできるものじゃないような気がする。


 そこまで考えて――僕は、朝日さんのことを思い出した。

 朝日さんは確かに、このミュービュリで生活している。大学に通っているって話だし。

 だけど……彼女はパラリュスとも積極的に交流しているようだ。おじいさんが聞いたことが、本当ならば。

 彼女がどんなフェルティガエかは分からないけど、ひょっとしたら、稀有な『パラリュスとミュービュリを自由に行き来できる人』なのではないだろうか?

 やっぱり、彼女が肝のような気がする。僕がしっかり、彼女と話をしなくては。


 そして、こう自然に思えるのも……彼女がパラリュスの人間なのだろうと思う重要な理由だった。

 幼い頃から僕は、周囲の人と交流するのが苦手だった。

 自分の力のことや紫色の左目のことがあったからだけど……それ以前からずっと、馴染めないものを感じながら育ってきた。


 そんな中で、トーマだけは特別だった。それは勿論、トーマ自身の性格によるところが大きい。

 だけど、話をする前から、トーマは他の人と雰囲気が違っていた。その居心地の良さは……パラリュスの血を引いているからじゃないだろうか。


 それは、去年出会ったシィナやシャロット、コレットにも言える。

 僕は、特に女性はかなり苦手だったはずだけど、三人には素直に接することができた。三人は言うなれば僕と先祖が同じということになるから……特にそう感じるのかもしれない。

 僕が朝日さんと話してみようと思えるのは……そういうことじゃないだろうか?



「――ユズ」

「……あ……」


 隣に居たトーマが僕の肩を揺らした。

 僕はうっすらと目を開けた。結構じっくり考え込んでいたから、何だか現実に戻るのに時間がかかる。


 窓から外を見ると、見慣れた景色だった。バスがブレーキをかけてゆっくりと止まる。


「降りるぞ」

「あ、うん」


 僕は立ち上がると、ポケットから財布を取り出した。小銭を投入口に入れてから運転手に会釈をし、バスを降りる。


「……何か、着のみ着のままで来たって感じだな」


 僕の後に続けて降りたトーマが不思議そうに僕を見た。


「だって――将棋をしに来ただけだから。アパートに戻るつもりだったし」

「まあ……」


 腑に落ちないらしくトーマが首を捻る。

 やっぱりトーマは侮れないな……僕の微妙な変化に敏感なんだ。昔から。

 心を覗かないと察することができない僕とは、大違いだ。


「学校には行かなくていいのか?」

「――まだ時間があるから、先にトーマの家に行くよ」


 どう動くかは、とりあえず家に行ってから考えよう。

 僕たちは並んで歩きだした。


 去年の夏も、こうして歩いたっけ。

 あのときトーマは記憶が混濁していて、とても不安定な状態だった。

 そして1年経った今も、決して忘れようとはしない。……シィナのことを。

 記憶はないはずなのに、完全に消されることを必死で防いでいる。

 これからどうすることが――トーマにどう話をすることが、トーマにとっての幸せなんだろう?


 そんなことを考えていると、おじいさんの家が見えてきた。

 さて、と覚悟を決めた瞬間、不意に


“どうしたらいいの、ユズ兄ちゃん!”


という切羽詰まった声が脳裏に響いてきた。


「――シャロット?」


 僕は驚いて、思わずシャロットの呼びかけに応えた。

 ひどく慌てているようだ。


 1年近く前、シャロットは僕に一度だけ連絡を寄こしてきた。僕たちが何の挨拶もせずミュービュリに戻ってしまったからだ。

 いつでも頼っていいんだよ、と言ったけど、それ以来、彼女は一度も連絡を寄こさなかった。

 つまり、頼ってはいけない、と思っているんだろう。まだ十歳なのに、しっかりし過ぎてるんだ。

 そのシャロットが――僕を呼んでいる。


「どうしたの、急に。何かあったのか?」


 よほどのことがあったに違いないと慌てて聞くと、シャロットは


“コレットが……つるぎ……それで、ウルスラが闇に、また……”


と途切れ途切れに言った。少し泣きそうになっているのが伝わる。


「ウルスラが……闇?」


 それに、剣……。剣って、あのとき闇を封じた、あの剣?

 ひょっとして、せっかく封じた闇がまた広がろうとしている。

 ……そういうことか?


“うん。でも、とにかくオレが、頑張るから!”


 シャロットは、僕に迷惑をかけられないとでも思ったのか、急に強気な口調で言うと、連絡を切ろうとした。


「ちょっと待っ……」


 僕がそう言いかけたとき。

 独り言を言う僕を心配し、僕の肩に手を触れたトーマが――急に頭を抱えて苦しみ出した。


「トーマ!?」

「ウルスラ……闇……」

「トーマ……」

「ぐっ……」


 トーマが苦し紛れに空間を叩く。すると……そこに、真っ黒な穴が現れた。


「えっ……」

「俺が……」


 トーマはそう低く呻くと、その真っ黒な穴に飛び込んでしまった。


「トーマ!」

“ユズ兄ちゃん!?”


 シャロットが慌てて叫んでいる。僕は

「トーマ、ウルスラに行ったかもしれない。とにかく――僕も行くから!」

とだけ言って、連絡を切った。


 穴が消えかけている……追いかけないと!

 僕はもう半分ぐらいになってしまった真っ黒な穴に、急いで飛び込んだ。


 どこに繋がっているかはわからない。でも……ここに飛び込む以外の選択肢はない。

 ――トーマ……待ってくれ!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る