5.聞くために(2)-朝日side-

 中平さんの話は想像以上に壮大で、すべてを理解するのにかなりの時間を要した。

 疑問に思ったことは残らず聞いて――そして中平さんも、その一つ一つに丁寧に答えてくれたからだ。

 でも、実際に旅をしたのは颯太さんだから、中平さんもすべてを把握している訳ではないみたい。

 でも、その……ヤハトラの巫女のネイアさんやジャスラで出会った人、颯太さん、水那さんから聞いた話を、知っている限りきちんと説明してくれた。



「――だいたい……これぐらいかな? わたしの知っているジャスラは……」


 そう言うと、中平さんは麦茶をぐっと飲み干した。


 ――闇の……浄化者。ジャスラで、唯一の……存在。パラリュスとミュービュリの血が混じったフェルティガエ。

 今、水那さんはたった独りで浄化してるんだ。

 颯太さんが捜しているのは、暁のこと……?


 ふと隣の暁を見ると、暁は首を捻り、顔をしかめていた。暁には少し難しい話だったかもしれないけど、そんなに飲み込みの悪い子じゃないのに。


「暁、どうしたの?」

「んっと……何かさ。違うなって」

「違うって、何が?」

「闇の話。その……ジャスラの闇は、女神さまの闇が漂ってるんでしょ?」


 暁が不思議そうに中平さんに聞く。


「そうだね。わたしが行った場所はすでに颯太が回収したあとだったから、殆どなかったそうだが。どっちみち、わたしには見えない。あくまで、颯太やネイア殿、ジャスラの人々から聞いた話だ」


 中平さんが言葉を選び、慎重に答える。暁はそれを聞いて

「やっぱり違うなあ」

と独り言のように言った。


「どういうこと?」

「あのさ、ユウの身体に憑いていた闇は、もっとぎゅっとしてるっていうか……核があるんだよね」

「ん?」

「何か、自らが意思を持っているっていうか……。だから、ふわふわ漂って広がっているっていうジャスラの闇とは、何か根本から違うというか……」

「じゃあ、暁には浄化できない?」

「わかんない。やってみないと」


 そう答えると、暁はお茶をごくごくと飲んだ。中平さんがギョッとしたように暁の方を見た。


「君は……闇の浄化ができるのかい?」

「うん。でも、まだ修業中だから止められてる。去年、ユウに憑いてたのを1回、祓っただけ」

「……ユウ……?」

「オレの父親。ずっとテスラで眠ってる」

「――暁」


 これ以上はまだ、中平さんに話さない方がいい。ミリヤ女王の許可も得られてないし。

 私は暁の肩を掴んで、そっと首を横に振った。

 暁は首をすくめると

「ごめん、しゃべりすぎちゃった」

と言って舌を出した。


「……君たちは……一体……」


 中平さんがとても驚いたように私たち二人の顔を見比べた。


「あの……いろいろ事情があって禁じられていて、こちらから話せることは今のところないんです。……これ以上は」

「……そう……ですか……」


 中平さんが淋しそうに俯いた。中平さんは、去年会った時よりも……ずっと痩せたように見えた。

 ――胸がズキンと痛んだ。


 眠り続けるユウが目覚めるのを待っているこの十年間……勉強したり、暁を育てたり、忙しくてとにかく一生懸命だったけど、心の隅にいつも不安があった。

 それでもユウの姿を見ることができただけで、私は随分救われたと思う。

 でも中平さんは、姿を見ることもできず、もう二十年近く待ってるんだ。

 ただひたすらに……トーマくんを育てながら。


「ただ……」


 言いながらも、私は少し悩んだ。

 中平さんは、もう二十年近く連絡の取れない颯太さんを心配している。

 きっと、もう元のように暮らせるとは思っていない。ただ、元気にやっているか知りたいんだ。

 ……本当に、それだけなんだ。

 私だからできることが……私にしかできないことが、ある。


「私はちょっと特別で、こっちの世界とパラリュスを自由に行き来できるんです。だから……颯太さんを探すことは、できるかも知れません」


 私は思い切って口に出した。隣の暁が驚いたように私の腕を掴む。


「そんなこと言っていいのかよ」

「ジャスラに行っては駄目とは言われてないから、いいわよ」


 自分にも言い聞かせるように、強く言い切る。すると、中平さんの顔がパッと明るくなるのがわかった。暁は


「絶対、後で怒られるパターンだよ、それ……」


とぼやいていたけど、私は聞こえない振りをした。


「ただ、私はジャスラには行ったことがないので何か繋ぐものが必要かも。颯太さんの顔も分からないですし」

「写真なら多分あるが……」


 そう言うと、中平さんは立ち上がって和室から出て行った。


「……本当にいいの?」

「だって中平さん、私と同じだもの。私はユウに会えるけど、中平さんは会うこともできないのよ?」

「……」

「会って、ほら、ちょっと動画を撮ってくるとかするだけでも全然違うと思う。私なら、嬉しいもん」

「……朝日って絶対人の言うこと聞かないよね……」


 暁が大きな溜息をついた。その言い方がユウにそっくりで……私は思わず、暁を抱きしめた。


「わっ、何だよ!」

「……暁が、ユウと同じこと言うから……そっくりな顔で……」

「そりゃ、朝日の周りの人間はみんな同じこと言うよ! 暑い!」

「――取り込み中かな?」


 中平さんの声に、私はハッとして顔を上げた。

 中平さんがアルバムと何か小さな箱を抱えて部屋に入って来たところだった。


「あ、いえ……ちょっとした母子のスキンシップです」

「朝日がおかしいんだよ」


 暁が「あちぃ~」とぼやきながらTシャツの襟元をパタパタさせていた。


「この箱は?」

「私の家内の形見で、まだ幼かった颯太にやったものだ。是非これを持っていってほしい」


 中平さんが白い箱を開けて、私に見せた。鎖に繋げられたダイヤの指輪が入っていた。


「颯太はいつもこれを首にかけていて……ジャスラに飛ばされた時も、もちろん身に着けていた。でも旅に出ることになって、失くしたらマズいからとわたしに預けていった。そしてそのまま、わたしが持ち帰ってしまったんだ」

「……あの、こんな高価な……大事な物、私に預けて……」

「わたしは、自分の勘を信じてるんでね。……あなたはとても素直で正直な人だ」


 中平さんはにっこりと微笑んだ。


「もし颯太に会えたら……渡してほしい」


 中平さんと、奥さんと、颯太さんの想いがつまった指輪。

 これなら……確かに、颯太さんの元に繋げてくれるかもしれない。

 私は中平さんから預かった小さい箱を、鞄に仕舞い込んだ。


 絶対に見つけて、颯太さんに渡そう。早く……早く、中平さんを安心させてあげたい。

 大学院の修論が忙しいからあまり時間は取れないけど、これだけの想いがあれば、きっとすぐに……。


「それで、写真だがね」


 中平さんの声で我に返った。慌てて目の前に広げられたアルバムを見る。


「颯太は19でいなくなってるから、今は違うとは思うんだが……」


 そう言いながら、中平さんがパラパラとアルバムをめくった。

 見ると、部活の――弓道の仲間との写真や、友達との写真が多い。

 いなくなる直前……大学生の頃になると、コンパの様子らしく、大半が女の子と一緒の写真ばかりになる。


「これ、中平さんが整理したんですか?」

「颯太のアパートを引き払う時に、たくさん出てきたんでね」

「……モテたんですね」

「フラフラした息子でね、ほんとに……。弓道だけは、真面目に取り組んでいたけれどもね。……あ、この写真が一番ちゃんと写ってるだろうか」


 中平さんが写真を取り出して渡してくれた。

 見ると、颯太さんと女の子のツーショット写真だった。確かにはっきり写ってる。少し小柄で、かわいい感じの顔だ。


「でも、今は二十年近く経ってるんですよね」

「そうだね。十馬が19だから……38だ」



 ――そのときだった。


 不意に、空間がねじ曲がるような、変な気配を感じた。

 私がハッとして顔を上げると、暁も「朝日、外!」と叫んで立ち上がった。


「中平さん、すみません!」


 私は鞄を掴んで立ち上がると、慌てて玄関に出て靴を履いた。

 外から「トーマ!」という少年の声が聞こえて――中平さんも慌てて出てきた。

 私と暁が玄関から飛び出すと――


「トーマ、ウルスラに行ったかもしれない。とにかく――僕も行くから!」


 少年がそう叫んで黒い穴に飛び込むのが見えた。

 私は慌てて走ったけど、間に合わない。目の前で穴はすうっと消えてしまった。


「朝日……あれ、フィラの次元の穴と同じ?」


 追いかけてきた暁がハアハア息をつきながら言った。


「――そうかも。何でこんな町の中で開いたのか、わかんないけど……」


 次元の穴は、フィラの岩穴やこの町の神社みたいに、特殊な条件を満たした場所にしか開かないものだと思ってた。

 いや、開いたんじゃなくて、まさか開けた……? 掘削ホール


「朝日さん、今の、ユズルくん……いったい……」


 私達を追いかけてきた中平さんが荒い息をついている。


「あの……中平さん。とにかく私、行ってきます」

「えっ!」

「マジで!?」


 中平さんと暁が同時に声を上げた。


「だって、このままにはしておけないじゃない。いちかばちか、ゲートで。暁は……」

「オレも行く! オレの力が役に立つかもしれないじゃん!」

「……わかった」


 私は中平さんの方に向き直った。


「トーマくんとユズルくん、多分一緒なんだと思います。とにかく行って……何か分かったら、必ず知らせますから。中平さんは家で待ってて下さい」

「……わかりました」


 自分はパラリュスに追いかけられないことを重々わかっていたから……中平さんは、苦しそうに頷いた。

 その表情を見るだけで、私は胸がいっぱいになった。


「絶対に――何とかしますから!」


 重ねて力強く言うと、中平さんは「よろしくお願いします」と頭を下げた。

 その姿を、脳裏に焼き付ける。すべては、私にかかってる。


「……行くよ、暁!」

「ウッス」


 素早くゲートを開くと、私は暁の手を引いて飛び込んだ。

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