4.話すために(1)-ユズルside-
つけっぱなしだったテレビから急に軽快な音楽が流れてきて、僕はハッとして時計を見た。
もう昼の1時だった。
ずっと集中して本を呼んでいたから、時間を忘れていた。そう言えば何だか、お腹も減っている。
ご飯でも炊こうかなと思って流し台の下を開けたけど、何もなかった。
……そうか、米はちょうど切らしてたんだっけ。
僕はふと、トーマはどうしてるかな、と思った。
トーマはアパートの隣に住んでいる。確か十時過ぎに出て行った気配がしたけど、もう帰って来たかな?
玄関を出ると、ムッとした熱気が僕を包んだ。やっぱり真夏の昼間は外に出るもんじゃないな、と思いながら、隣のトーマの部屋のチャイムを鳴らす。……反応はない。
まだ帰って来ていないか……。
確か、今日の夜までバイトだと言ってた気がする。出かけてそのまま戻らないのかもしれないな。
トーマがいれば昼食を一緒に、と思ったけど……わざわざ連絡するまでもないか。適当に済ませよう。
僕は自分の部屋に戻ると、財布を持ってそのままぶらりと買い物に出かけた。コンビニは歩いて五分ぐらいのところにある。
あっち――僕とトーマが住んでいた山奥では、コンビニまで30分以上かかるから大変だ。
そういえば、お正月はそれでトーマがいなかったんだっけ。
トーマがいない間、僕は去年の夏に僕とトーマに起こったこと――シィナに出会ったことやウルスラに行ったことを、おじいさんに話した。
僕がウルスラの人間だったせいでトーマを巻き込んでしまったことを謝ると、おじいさんは
「いや……それはきっと、なるべくしてなったのだと思うよ」
と穏やかに微笑んでいた。
「そうでしょうか……」
「そうだとも。スミレさんは……そうか、ウルスラの女王だったんだね。何かを感じて、この町に来た。――恐らく、ユズルくんと十馬を引き合わせるためだろう。何だか、納得したよ」
「どうして……」
どうしておじいさんは、こんなにすんなり受け止めてくれるんだろう。
トーマを危険な目に合わせた僕を――僕たち母子を許してくれるんだろう。
「ユズルくんのような不思議な力を持っている人たちのこと……フェル……えっと……」
「フェルティガエですか?」
「そう、それだ」
おじいさんはポンと手を叩くと、にっこり微笑んだ。
「十馬は……実は、パラリュスの血を引いている。十馬の母親が……何ていう国だったかは忘れたけど……ジャスラでもウルスラでもない、もう一つの国の血を受け継ぐフェルティガエだと言っていた」
「えっ!」
じゃあ、トーマは普通の……ミュービュリの人間じゃないってことなのか?
僕がびっくりして目を白黒させていると、おじいさんはゆっくりと話し始めた。
トーマのお父さん――颯太さんの話だった。
今から20年近く前――三種の神器の一つ、勾玉に呼ばれてジャスラに召喚された颯太さんは、水那さん――そのフェルティガエであるトーマのお母さんらしい――と一緒に1年近くの間、闇を集める旅をしたそうだ。
その旅の中で、颯太さんと水那さんの間にトーマが生まれた。
旅を終えたら三人でこの世界に帰ってくるはずだったけど……闇を浄化できる唯一の存在だった水那さんは、ジャスラに留まり、自分の時間を止めて闇を浄化し続ける使命を選んだ。
そして……おじいさんは颯太さんをジャスラに残し、トーマと二人だけでこの世界に戻って来た。心おきなく、颯太さんに水那さんを助けるための旅をしてもらうために……。
颯太さんは『ヒコヤ』という太古の人間の生まれ変わりで、神器を使える唯一の存在。
故に、その使命は颯太さんにしか成し遂げられないことだったから、だそうだ。
つまり――トーマの両親は、ともにジャスラで生きているということになる。
でも、トーマは両親は死んだと思ってる。
だって……颯太さんたちがこっちの世界に帰ってくることは恐らくないだろうと、おじいさんは考えたから。トーマには何も話さなかったそうだ。
おじいさんは僕が何か知ってるんじゃないかと思ってたみたいだけど、残念ながら僕にとっては初めて聞く話ばかりだった。
ウルスラの他にも国があるとは思わなかったし……それに、あのとき王宮から一歩も外に出なかったから、そもそもウルスラがどういう国でどういう状況にあるのかもわからないままだった。
ただ、僕が知っているウルスラ語とおじいさんが知っているパラリュス語は、多少イントネーションが違うところもあるけどほぼ一緒で……僕は、ウルスラという国がパラリュスという広い世界の一つだということを初めて知った。
つまり、パラリュスという広い世界にウルスラもジャスラもあるんだ。
そして、もう一つある。水那さんと――恐らく、朝日さんが関係している国。
去年の夏に会った――僕の力が全く効かなかった、不思議な女の人――それが、朝日さんだ。
おじいさんは、朝日さんは確かに『ジャスラ』を知っているようだったと言っていた。
そしてそのときの僕の様子が変だったから、てっきり僕に関係のある人かと思っていたらしい。
でも、僕はあれが初対面だった。ただ、力を呑み込まれて……驚愕しただけ。
その朝日さんも、おじいさんの聞き違いでなければパラリュス語を喋っていたらしい。
だから、彼女も絶対にパラリュスに関わってるはずなんだ。
そして、僕の力を呑み込んだことから言って――かなり高位のフェルティガエのはずだ。
きっと彼女が――僕たちをパラリュスに繋げてくれる。
そう言えば、この夏休み中に朝日さんが息子さんと一緒におじいさんのところに来るって話だったはず……。あれ、どうなったんだろう? もう8月に入ったけど……。
僕はポケットをまさぐったけど、出てきたのは家の鍵と財布だけだった。携帯は家に忘れて来てしまったらしい。
仕方ない。アパートに戻ったら、おじいさんに電話してみよう。
コンビニに入ると、あまり大したものは残っていなかった。仕方なく残り物のおにぎりを買うと、僕は急いでアパートに帰った。
携帯は机の上の隅に置いたままになっていた。積み重なっていた本と本の間に挟まっている。
見ると、サイレントモードになっていた。
どうせトーマは隣に住んでるから直接僕の部屋にやって来るし、かかってくるとしたら大学の知人か迷惑電話ぐらいだから、と音を消してしまっていたのだ。どうやらそのまま放置していたらしい。
慌てて開くと、おじいさんからの着信履歴がずらりと並んでいた。
一昨日、昨日……そして今日に至っては10時、12時、1時、と三回も着信がある。
マズい。トーマの件で、何かあったのかもしれない。
僕は慌てて、おじいさんの家に電話した。
“もしもし? 中平ですが……”
「おじいさんですか? ユズルです」
“ユズルくん!? 何度も電話したんだよ!”
おじいさんが急に大声を出した。
やっぱり、何か大事な要件があったんだ。
「すみません。ずっと音を消したままにしていたみたいで……」
申し訳なくて小さな声で謝ると、おじいさんが
「あ……いやいや」
とちょっと落ち着きを取り戻したような声で答えた。
「何回もお電話いただいたみたいで……何かありましたか?」
“今日、朝日さんがわたしの家に来るんだ”
「えっ!」
“さっき連絡があって……そうだな。多分、1時半には……”
「そうなんですね。うわ……」
僕は思わず部屋の時計を見上げた。――1時10分。
“一昨日、連絡があってね。そのことを知らせたくて……できれば一緒に話をしてほしいんだが……”
「そうか……。そうですよね」
今から急いで出ても、電車とバスを乗り継いで1時間半はかかる。
あと20分足らずで朝日さんが来るとなると、どう考えても間に合わない。
「えっと、今はまだアパートなんですけど……とにかく、今からそっちに向かいます。かなり時間がかかると思うんで、僕にしてくれた話を朝日さんにしてみたらどうでしょうか? あと、僕が話したことも話してもらって構いません」
言いながら、僕は財布と鍵をポケットに突っ込んだ。
とにかく、早く家を出なくては。
“そうだね。……そうするよ”
「じゃあ、今から出ますね。ちょっと時間がかかるかもしれないけど……」
“わかったよ。でも、慌てずに気をつけて来るんだよ”
「はい、それじゃ!」
僕は電話を切ると、そのまま大急ぎでアパートを飛び出した。
まず市電に乗って、T駅へ。
しかし残念ながら、乗りたかった電車には間に合わなかった。
仕方なく30分程待って、次の電車に乗り込む。
何だかそわそわして、落ち着いて座っていられなかった。車両には入らず、通路の狭い壁に寄りかかる。
何から話せばいいだろう? ウルスラのこと? 僕のこと?
いや、おじいさんが颯太さんの話をしている訳だから……トーマのことをまず話した方がいいのかもしれない。
でも、トーマのことを説明するためにはシィナのことを説明する必要があるし、そうなると母さんのことも……。
考えているうちに、ちょっと眩暈がしてしまった。それに……焦ったって電車のスピードが急に上がる訳ではないんだから。
僕は溜息をつくと、一番近くの車両に入った。夏休み中の昼間だからか、ガラガラに空いていた。
出入り口のすぐ近くの席に座ると、背もたれに寄りかかった。大きく深呼吸をする。
僕がいろいろと考えを巡らせていた間にも、電車は着実に進んでいた。いつの間にかビルや交通量の激しい道路などはなくなり……田んぼが広がる中にポツンポツンと家が建っている光景が僕の目に映る。
とにかく一度落ち着こう、と僕は考えるのをやめて……電車の窓から外の景色をぼんやりと眺めていた。
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