3.聞くために(1)-朝日side-
「暁、準備はできた?」
二回ほどノックをしてから返事を待たずに扉を開けると、暁がぎょっとしたように私を見た。
「何だよ、朝日。いきなり開けるな」
「あ、もう準備はできてるね」
「人の話を聞けよ……」
暁が深い溜息をついた。
今年十歳になった暁は成長期に入っていて、もう私と同じぐらいの身長だ。
……まぁ、私が小さいってのもあるんだけどね。
夜斗によると、フェルティガエは結構早熟で、特に赤ん坊の頃から力に目覚めた暁はその傾向が顕著らしい。
「あ、朝日」
暁を連れて1階に降りると、リビングのソファで会社の資料を見ていたママが私に声をかけた。
ママは女社長として今でも現役バリバリで、店舗も海外を含め9店舗に増えていた。そして、9月からは10店舗になるらしい。
もう56歳なんだけど、奇麗だしとっても若く見える。
「もう行くの?」
「うん。お昼には着きたいしね。まず中平さんのところに行って、それからテスラに行って……。あ、でも、私だけ明後日には帰ってくる。研究のデータがまだ途中なんだ」
「そう……。忙しいのね」
「ママは? 明日から出張じゃなかった?」
「ええ。暁は夏休み中いないし朝日も忙しいから……この機会にまとめて色々回ることにしたのよ」
ママはそう言うと、ちょっと拗ねたように溜息をついた。
「二人とも、すぐ私を置いて行っちゃうんだもの」
「ばめちゃん、3週間ぐらいで帰ってくるからさ」
暁がちょっと慌てたように言った。
「あの、今度オープンするお店の……えーと……どこだっけ?」
「代官山のお店のこと?」
「そう! 帰ってきたら、あそこに連れてってね。オレ、一番最初のお客になりたいんだ」
「オープンは9月なのに……。もう、しょうがないわねぇ」
そう言いながらも、ママは嬉しそうに手帳でスケジュールを調べていた。
私は思わず、溜息をついた。
ママは暁にはかなり甘いのだ。暁もそれはよくわかっていて、上手に甘える。
……こういうところは、一体誰に似たんだろうと思う。
ま、でも……私が実習で忙しかった時期に時間をやりくりして助けてくれたのは他でもないママだから、それも無理はないんだけど。
「ちょっと、私の予定も聞いてよね」
「朝日は忙しいんじゃなかったっけ? オレ、別に……」
「ご飯食べる時間ぐらいあるわよ!」
「まあまあ、二人とも」
ママは機嫌が直ったようで、嬉しそうに微笑んだ。
「お店の準備とかもあるから、また調べておくわ。それより、バスの時間は大丈夫?」
「あっ、いっけない!」
「じゃ、行ってくるねー」
暁は靴を履くと、元気に飛び出した。私もママに手を振って、玄関から外に出た。
8月の太陽がジリジリと照りつける中、私は暁と並んで歩きだした。
「T県に行くんだっけ?」
「そうよ。前に話した、中平さんっていうおじいさんに会いに行くの。テスラは、その後ね」
「ふうん……何で?」
「多分、私が知らない世界のこと、教えてくれると思うの」
「……普通のおじいさんだよね?」
「うん、そのはずだけど。でも絶対、話を聞くべきだと思うから。女王さまの許可もちゃんともらったしね」
去年の夏、フィラの真っ黒い穴から落ちたとき……辿り着いたのは、たくさんの樹に囲まれた神社の境内だった。
そこで出会ったのが――中平圭吾さんっていうおじいさんだった。
私はとにかく無事だよ、ということを知らせたくて理央と話してるところだったから、すごく驚いたっけ。
そしてそのおじいさんと話してたら――急に聞かれたんだ。
「――ジャスラという国……ご存知ですか?」
……って。
私は一瞬、頭が真っ白になった。
確か……アメリヤ様が言っていた、パラリュスにある国の一つ……慈の女神ジャスラが造った国。今は遠く、切り離された……。
どう返したらいいのか言葉にならなかった。この……普通にミュービュリに暮らしている――確か元は警察官だと言っていた――このおじいさんが、なぜそんなことを?
知っていると言えばいいのかシラを切るべきなのか迷っていたとき、おじいさんのお孫さんが現れてその話は終わってしまった。
中平さんは、お孫さんの前ではその話をしたくないみたいだったから。
私は中平さん達と別れたあと、すぐにテスラに戻ってミリヤ女王とアメリヤ様にこのことを話した。
私個人としては、中平さんと話がしたいと思ったけど……勝手にテスラのことを話す訳にはいかないと思ったから。
だけど、ミリヤ女王とアメリヤ様の出した答えは「近寄るな」だった。
ジャスラと交流を断ってから、あまりにも長い年月が流れている。ジャスラの現状が分からない以上、テスラの敵となる可能性だってある。迂闊に近付くべきではない、という考えだった。
でも……闇に塗れたことのあるジャスラの話を聞けば、今、テスラのキエラ要塞に封じ込められている闇の対処に役立てるかもしれない。
私は、細心の注意を払ってテスラの情報は漏らさないようにするから、どうにか中平さんと話をさせてもらえないか、と必死に頼んだ。
ミュービュリに戻ってからこっそり中平さんについても調べたけど、その経歴には不審な点は一つもなかった。
S県でずっと警察官をしていて、奥さんをかなり早くに亡くしている。息子さんが1人いたけど、その人は大学2年の時に中平さんに自分の子供を残したまま行方不明に。
その後、中平さんは警察官をやめてT県の山奥に引っ越し、孫のトーマくんを育てた。
強いて言えば行方不明の息子さんが少し気になるぐらいで、中平さん自身には何も後ろ暗いところはない。
そのことを踏まえてお願いして……やっと、ミリヤ女王が許可をくれた。
ただし、テスラのことは一切話さない、という条件付きで。
そして今日……やっと、おじいさんに会いに行けるのだ。
「何で、オレも一緒に行くの?」
額の汗を拭いながら、暁が不思議そうに聞いた。
「闇に関する話が聞けるかもしれないから……そうなると、実際に視える暁にも知っておいてほしいし」
「まぁ……」
バス停に着くと、椅子にドカッと腰かけた暁が
「T県かぁ。遠いよね」
と、ちょっと面倒臭そうに呟いた。
暁はテスラをかなり気に入ってるから、本当はさっさとテスラに行きたいのだろう。それに、テスラだとゲートですぐに行けるし……。
「北陸新幹線が開通すれば、乗り換えなしで行けるんだけどね。でも、3時間半ぐらいで行けるんだから文句言わないの。それに、魚が美味しいんだって。今日の夜はお寿司を食べようね。お店も調べてあるから」
と少し宥めるように言うと、
「お寿司! やった!」
とバンザイしてニカッと笑った。私も笑った。
年齢よりかなり大人っぽく見えるけど、こういうところはまだまだ子供だ。
暁は背が伸びて、どんどんユウに似てきた。
それは嬉しいけど……ちょっと淋しくも、ある。
私は、今朝見た……夢の中の海と花畑――そして、ユウの姿を思い出した。
ねぇ、ユウ。
ユウが眠っている間に……私も暁もどんどん年齢を重ねていて、テスラも大きく変わろうとしている。
ユウは……いつ目覚めるの? そのとき……また、私を選んでくれる?
* * *
列車がT駅に着いたのは、ちょうどお昼頃だった。
中平さんの家はかなり山奥にあって、ここから電車に乗り、さらにバスに乗り換えて行かなければならない。
「面倒だよね。タクシーで行けば?」
「すっごくお金かかるんだけど……脛かじりの身としてはちょっと……」
「そこはほら、ちょっと
「馬鹿なこと言わないの!」
私はゴンッと暁に拳骨を食らわした。
「イッテー!」
「そういう悪いことに使っちゃ駄目なんだから!」
「使わないんじゃなくて使えないんでしょ? 朝日、不器用だから」
「そういう問題じゃないの!」
「へいへい」
「――暁」
私が腕組みをして睨みつけると、暁がギョッとしたように私を見た。
「修業をちゃんと頑張るのは、いい。だけど……何か悪いことにフェルを使ったら、私は容赦しないわよ」
「……悪いことも何も、オレは見ないと真似できないし……」
「――黙りなさい。いい? 私は、やると言ったらやるわよ。ボコボコに。――で、二度とテスラには連れて行かないから」
「……わかった」
暁は、頭をさすりながら今度は素直に頷いた。
……そう。私がちょっと心配しているのは、暁のこういうところだ。
暁のフェルは模倣で、暁が言う通り見なければ真似できないから使えない。
だけど、暁はユウに似てかなり器用だし、要領がいい。
――そして何より、知恵が回る。
うまく組合せさえすればどうとでもできるのだ。――暁が本気になれば。
まあ、幸い、暁は夜斗にとても懐いている。そして夜斗は曲がったことが嫌いだから、夜斗に怒られそうなことはしない、とは思うんだけどね……。
「ま、とにかく、電車の時間を調べてからお昼にしようか」
気を取り直してそう言うと、暁は「うん」と言って小さく頷いた。
* * *
昼食を取ってから電車とバスを乗り継ぐ。
中平さんのお宅に着いたのは、1時25分頃だった。
おじいさんは嬉しそうに私達を出迎えてくれた。
「こんな遠くまで、ようこそ。……さあ、どうぞ」
それは古い、小さな古民家だった。八畳の畳の部屋の横に縁側があって、庭が見える。茶色い地面の日陰には、緑の苔が。そしてその日陰を作っている緑の樹々は、夏の日差しを受けて黄緑、深い緑と美しいグラデーションに。
和室に通され、「わあ」と見惚れていると、遠くの方で電話の音が聞こえた。
中平さんは「ちょっと待ってて下さいね」と言って、奥に引っ込んだ。
私はじっくりと部屋を見回した。
ママの趣味で私の家は洋風になってるから、こういう昔ながらの和室は初めてだ。何だか……旅館みたいに落ち着く感じ。
床の間には滝の水墨画の掛け軸が掛けられていて、とても涼しげだ。夏用なのかな。季節ごとに掛け変えるのかもしれない。床の間の真ん中には、大きな陶器の壺が置いてある。
そして少し横に、古い写真立てがあった。三十代ぐらいの女の人が写っている。多分、中平さんの奥さんだろう。
写真はそれだけで、息子さんのものはない。消息不明って話だから――絶対どこかで生きているって信じてるんだろうな。
床の間の隣に仏壇があったので、前に座った。暁も隣に座らせる。
作法がよくわからなかったから、とりあえず手を合わせてお参りした。暁も、私の真似をして手を合わせていた。
再び立ち上がると、色々な賞状やトロフィーが置いてある棚が目に入った。近付いてよく見ると、「第五十九回全国高等学校剣道大会三位・中平十馬」と書いてある。
「申し訳ない……かなり待たせてしまったね」
中平さんがお茶を乗せたお盆を持って和室に入って来た。
「急に十馬から電話があってね」
「十馬……お孫さんですよね」
私は見ていたトロフィーを指差した。
「これ、そうですよね。剣道やってらっしゃるんですね」
「そうだよ。わたしがずっとやっていたのでね。十馬にも教えたんだ」
「私、空手やってるんです。だから暁にも教えて……今も二人で道場に行くもんね」
「うん。……でも、朝日は最近サボってるけどね」
「研究が忙しいから仕方ないのよ」
「えー……」
そんな私達のやり取りを見て、中平さんが「ははは」と笑った。
中平さんに座布団を勧められたので、私達二人は座った。
冷房はついていない。でも、開け放たれた窓から気持ちのいい風が吹いていた。
「えーと、暁くんだったかな。ジュースでも用意しておけばよかったんだが……何しろ、年寄りの一人暮らしでね。麦茶でよかったかね?」
「はい! 外は暑かったから、喉が渇いちゃった。いただきまーす」
暁は愛想よく中平さんからお茶を受けとると、ごくごくと飲み干した。
「おいしー」
「もう少し飲むかね」
「いただきまーす」
「はっはっはっ」
中平さんは楽しそうに笑うと、暁のコップにお代わりの麦茶を入れてあげていた。暁は「どうも」とでもいうような軽い感じでコップで受け止めている。
さすがに馴れ馴れしいんじゃ、と思って暁を叱ろうとすると、中平さんは
「いやいや、いいんですよ、朝日さん」
と言って、首を横に振った。
「今日は朝からそわそわしていて、落ち着かなくてね。……おかげで少し、ホッとしました」
「そうですか? でも……」
「ほーらね」
「ほーらね、じゃないわよ。調子に乗らないの」
中平さんは私たちのやりとりをどこか懐かしそうに眺めている。
そしてお茶を一口飲むと
「朝日さん……去年、十馬と一緒に居た男の子を憶えていますか?」
と言った。
確か……十馬くんの後ろに居た、大人しそうな、奇麗な顔立ちの男の子だ。
私を見て、何だか不思議そうな顔をしてたっけ。
「はい。名前は……忘れちゃいましたけど」
「彼は高坂譲くんと言ってね。――ウルスラに縁の人だそうだ」
「――!」
急に本題に入ったので、私はびっくりしてしまってお茶が入ったコップを取り落としそうになった。
「今日は一緒に話をしてもらうつもりだったんだけど、連絡が取れたのがついさっきでね。こっちに向かってはいるが、遅れてくる。ただ……十馬も一緒だから、どうかな……」
「……そうなんですか……」
とりあえず相槌を打つ。
中平さんはもと警察官だからなのか分からないけど、どうもこっちの反応を探られているような感じがして、少し緊張しちゃう。
「だから……まず、わたしの――わたしと、息子の颯太の話をしようと思う」
息子さん……ジャスラに関係があるんだ。
「――お願いします」
私は少し背筋を伸ばして、じっと中平さんを見た。
隣の暁も、めずらしく少し緊張しているようだった。
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