2.防ぐために(2)-シャロットside-

「イファルナ様はこれより一週間、この場でお眠りになります。あなたたちも共に寄り添い、イファルナ様を守っていて下さい」


 シルヴァーナ様が二人の神官に命じた。

 イファルナ様が眠っていた十年間も、ずっと傍についていた神官だった。


 私はイファルナ様の部屋を出ると、中央の大広間に戻った。

 控えていた神官の前を足早に通り過ぎ、奥の女王の一族の居住区に入る。

 辺りに誰もいないことを確認してから、手を翳す。

 何もなかった空間に映像が映し出される。四つの領土を順番に見回した。

 私から神官長に出した指示は民にも伝わったらしく、外に出ている人間はいないようだ。


「……シャロット。どう?」


 シルヴァーナ様が戻って来た。


「一応、喪に服すということで民には家から出ないように伝えたけど、それは大丈夫みたい。あとは、裏の祠を……」

「――恐れ入ります! 女王様!」


 急に扉の奥からジェコブ神官長の慌てた声が聞こえた。いつも冷静なジェコブのこんな声を聞いたことは、ない気がする。


「どうしましたか?」


 扉を開けないまま、シルヴァーナ様が答えた。


「コレット様が王宮のウルスラの扉を使おうとなさって……」

「えっ!」


 私とシルヴァーナ様は顔を見合わせた。

 コレット……そうだ。イファルナ様のところに一緒にいたはずなのに……いつの間に?


「閉鎖を伝えると……目の前で消えてしまわれた、とのことです」


 瞬間移動だ。使うことは禁じていたはずなのに……。

 でも、一体どこへ……?


 私は慌ててコレットの姿を映像に映し出した。何だか薄暗い。今はまだ、白い昼の時間なのに……。

 このような黒い霧が立ち込めたような光景……見覚えがある。

 ――1年前のウルスラ王宮だ。

 私は腰から背中にかけて、ぞっとしたものが駆け上がるのを感じた。


「これは……リユーヌよね?」


 シルヴァーナ様がポツリと言った。シルヴァーナ様にも闇は視える。

 そのことを口には出さなかったけど――多分、気がついてる。顔がひどく青ざめていた。


 狩猟の領土リユーヌは大半を山と森が占めている。そこには野生の生き物が数多くいて、人々は狩りで生計を立ててるんだ。

 見ると、黒い霧に包まれた森から獣の唸り声のようなものが聞こえる。

 そして……コレットが、楽しそうに笑っていた。


「コレット!」

「どうして!」


 私達は同時に叫んだ。

 コレットがいたのは、リユーヌのウルスラの扉からも遠く離れた森の中だった。


 コレットの瞬間移動は、あくまで「会ったことのある人のところへ跳ぶ」というものだ。誰もいないリユーヌの山奥に跳ぶことなんてできないはずなのに……。


「あれ……あのつるぎじゃない?」


 シルヴァーナ様がある一点を指差して呟く。

 私はギョッとしてコレットの姿を大きく映した。

 コレットが両腕で抱えているもの……それは、裏の祠にあったはずの剣だった。


 1年前、トーマ兄ちゃんが使って、私とシルヴァーナ様で闇を封じた剣。

 私達フェルティガエはこの剣に直接触ることはできない……はずなのに。

 黒い布で巻かれた状態とはいえ、どうしてコレットが……?

 それに、この剣の重要性はコレットだって分かっていたはず。何故持ち出したの?


「シャロット。コレットは……操られてるんじゃないかしら?」


 シルヴァーナ様が青ざめた顔のまま言った。


「前に、ギャレット様にとり憑いたように……」

「でも、コレットには皇女の加護がある。そんな簡単には……」

「だけど、明らかにコレットの表情じゃないわ。身体を乗っ取られているのかも……」

「……!」


 私はそのとき、生前イファルナ様が言っていたことを思い出した。


 ――ギャレットが多くのフェルティガエに幻惑をかけることができたとは、信じられん。あの娘の力は、あまり強くはなかった。その、とり憑いていたという闇が力を増幅させたのかも知れんのう。


 つまり、闇が力を貸してコレットを跳ばせている。そしたら、リユーヌが終われば、他の領土にまた跳んで……。

 でも、コレットは今まで王宮内しか跳んだことがない。各領土を行き来するほど繰り返したら、皇女の加護で精神は守られていたとしても身体の方がもたない。

 止めなきゃ……私が止めなきゃ!


「私、コレットを捕まえに行く!」

「シャロット!?」


 私は扉から慌てて飛び出した。驚いた表情の神官長と目が合う。


「あの、いったい……」

「私が今からウルスラの扉を使ってリユーヌに行く」

「ですから、いったい何が……」

「――コレットが操られて、リユーヌに跳んで逃げたの」

「……!」


 ジェコブが息を呑む。


 昨年の事件――監禁されていたジェコブにだけは、母さまが何者かに操られてそのような行動をし、西の塔で暴れたという事実だけは伝えていた。

 シルヴァーナ様を本気で殺そうとしたことは……さすがに言えなかったけれど。

 私やシルヴァーナ様が極秘で動かなければならない事態になったとき、ジェコブだけは協力してもらわなければならなかったからだ。

 だから、これが外聞をはばかる事態であるということは理解できたと思う。

 王宮の奥深くに閉じ込められていた「何者か」がコレットを操ったとなれば、ウルスラ王家の権威の失墜に関わる。……そう考えてくれるはず。


「各詰所のフェルティガエは必ず障壁シールドするように伝達して。そして、その場で待機よ」

「……承知いたしました。では伝達後、わたしは王宮のウルスラの扉にて待機いたします。――不測の事態にすぐ対応できるようにいたします」


 私の意図を読んでくれたらしく、ジェコブはそう言って深く頭を下げた。


「そして……私が王宮から結界を張ります」


 後ろから凛としたシルヴァーナ様の声が聞こえた。

 私は慌てて振り返った。扉からいつの間にか出てきていたシルヴァーナ様が、じっと私達を見据えていた。


「結界?」

「あらゆる攻撃を防ぐバリアをウルスラ国内に張ります。これで、危害が主要区画に及ぶことはないわ。そして……民がを目撃することもない」

「……」

「だけど、私は動けなくなる。だから――後は、シャロットの指示に従うように」

「御意」

「わかった!」


 シルヴァーナ様は再び扉の奥に消えた。王宮の一番高い塔に上がり――そこからバリアを張るためだ。

 ジェコブは私に会釈をすると、詰所のフェルティガエに指示を出すために足早に去っていった。

 私は王宮のウルスラの扉に向かって走り始めた。


 でも……どうしよう。闇は浄化できる、はず。でも、私が浄化しきれないほど広がってしまったら……!


 ――何かあったら……僕を呼んで。必ず、力になるから。


 私の脳裏に、ユズ兄ちゃんの顔が思い浮かんだ。


 どうしよう、どうしよう、どうしよう!

 私はウルスラを守りきれるだろうか。どうしたらいいの、ユズ兄ちゃん!


“――シャロット?”


 不意に、驚いたようなユズ兄ちゃんの声が脳裏に響いた。私は思わず足を止めた。

 そっか……無意識にユズ兄ちゃんに繋げてしまったんだ!


“どうしたの、急に。何かあったのか?”


 慌てふためいたようなユズ兄ちゃんの声が聞こえる。

 急に私の声が聞こえたから、びっくりしたのかもしれない。

 久し振りの日本語……ユズ兄ちゃんの、優しい声。

 ぐっと涙が込み上げてきた。


『コレットが……剣……それで、ウルスラが闇に、また……』


 走って息が切れていたのと、私の不安が爆発したのとでうまく言葉にならない。


“ウルスラが……闇?”

『うん』


 右手でグッと目を擦る。

 でも……言ってしまってから、ここで泣いている場合じゃないことを思い出した。


『でも、とにかくオレが、頑張るから!』


 慌てて力強く叫んだ。

 ユズ兄ちゃんに頼る訳には行かない。

 だって――遠い、ミュービュリにいるのに。


“ちょっと待っ……トーマ!?”


 急にユズ兄ちゃんがギョッとしたような声を出した。

 その声に、私もギョッとしてしまった。傍に、トーマ兄ちゃんがいたんだ。

 トーマ兄ちゃんはもう何も覚えていないはずなのに、変に思ったに違いない。


“トーマ……トーマ!”


 ユズ兄ちゃんがひどく慌てて何度も名前を呼ぶ。


「ユズ兄ちゃん!?」


 私はユズ兄ちゃんのところに声を飛ばしただけで、何が起こってるのかまでは視えてない。

 夢鏡ミラーを出して覗こうとしたそのとき、ユズ兄ちゃんの声が聞こえてきた。


“トーマ、ウルスラに行ったかもしれない。とにかく――僕も行くから!”


 そして、ぶつんと声が途切れた。


 トーマ兄ちゃんが、ここに……?

 でも、ユズ兄ちゃんと違ってトーマ兄ちゃんは普通のミュービュリの人間だ。ウルスラに来ることなんて、できないはずなのに。

 まさか……シルヴァーナ様のこと、思い出して?


「――駄目!」


 私は慌てて頭を振った。

 トーマ兄ちゃんとユズ兄ちゃんのことは気になるけど、今は考えている場合じゃない。

 早くコレットのところに行かないと!


 私は正面を見据えて、再び走り出した。

 やがて、空気が変わり……濃度の高いフェルティガが漂っている空間へと、辿り着く。


 王宮のウルスラの扉――ここから、とにかくリユーヌへ跳ばなきゃ!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る