1.防ぐために(1)-シャロットside-
「……新たなフェルティガエの仕官? どういうこと、シャロット?」
シルヴァーナ様が不思議そうな顔で私を見た。
「あのね……微妙な時期だけど、やっぱり人手が必要だって、神官長が言ってるんだけど」
「……」
シルヴァーナ様は黙ったまま少し考え込んだ。
紫色の瞳に影が差し、長い奇麗な金色の髪がさらりと流れる。
あれから――ウルスラの事件から、1年が経とうとしていた。
私は相変わらず古文書を調べたり神官たちと話をしたり……とにかく、忙しい日々を過ごしている。
イファルナ様は西の塔の奥で療養していらっしゃるけど、そろそろ危ないかもしれない。
微妙な時期というのは、そういう意味だった。
『ウルスラが闇に覆われる
もとの場所へ還る 異国の民と共に』
半年以上前のシルヴァーナ様の予言……これを現実にしないために、各地の『ウルスラの扉』付近に詰所を設けた。
ウルスラは中央に王宮があり、その周囲が四つの領土に分かれている。
北西の農耕領土フルール、北東の牧畜領土ロワーゾ、南西の鍛冶領土ブリーズ、南東の狩猟領土リユーヌだ。
これら四つの領土の外れに、『ウルスラの扉』と呼ばれる特別な場所がある。
かつて女神ウルスラが各国を巡った際、自らの血を結晶化して捧げた場所だと言われていて、その赤い珠からは不思議な力が溢れ出ている。
太古の女王はその赤い珠を奉納する祠をつくり、その力を利用してフェルティガエが王宮と各国を自由に行き来できる不思議な空間を作った。
これが、『ウルスラの扉』だ。
もちろん、勝手に利用されては困るから、常時見張りがついていて、
辺り一帯には幻覚も仕掛けられているから、ある程度の力がないと扉には辿り着けない。
この扉は各領土で非常事態が起こった場合に王宮からすぐに人を派遣するために設置したもの。
だけど、主な目的は各領土からフェルティガエを集めるためだった。
各領土でフェルティガエが生まれた場合、希望して認められれば王宮に仕官することができる。
フェルティガエを輩出した家には王宮から恩恵があり、その後その子孫にも再び強い力を持ったフェルティガエが生まれる可能性があるので、大事にされる。
だから民にとっては、王宮への仕官者を出すことはとても名誉なことらしい。
だけど、守秘義務があるから……仕官したらそれまでの記憶は奪われ、もう二度と自分の家には帰れない。
――それでも、王宮への仕官は魅力的なのか、希望する人が後を絶たない。
そのフェルティガエの選別に、『ウルスラの扉』は使われている。この扉を見つけられるぐらいの力がないと、王宮では働けないのだ。
母さまが女王代行を務めていた十年間、より強力なフェルティガエを必要としていた母さまは、『ウルスラの扉』を使い、積極的に仕官させていた。
だけどそのせいで精神的に未熟な者もかなりいたから……あの一件で闇の力を失うと共に自分の力も消滅してしまった者がかなりいた。母さまに、より深く操られていた人達だ。
彼らはそのまま、王宮の兵士や文官、女官として残っている。
もとの家に戻してあげたかったけど、その家の人にとっては不名誉なことになってしまうからだ。
そして1年前――先代女王のイファルナ様は、民の前で
「これよりしばらく扉を閉じる」
と宣言し、フェルティガエの仕官を一時止めた。
まずは王宮内部の神官たちをまとめ、体制を立て直すためだ。
そんな訳で、王宮のフェルティガエは一時期よりかなり減ってしまった。だけどまあ、昔に戻ったとも言えると思う。
そんな中、あの予言があって……不測の事態にも対応できるよう、各領土に王宮から兵士を派遣すべきだ、とイファルナ様は考えた。
だけど、私は反対だった。だっていきなり武装した兵士たちが王宮から各国に現れたら、これから何が起こるのかって民も不安になってしまうよね? いくら予防のためとは言っても。
だから、フェルティガエだけが通れるウルスラの扉から派遣し、ちゃんとした詰所を設けて、そこに待機させようということになったんだ。
各詰所には、王宮からの伝令を受け取るフェルティガエのほか、
でもそうなると、今度は王宮のフェルティガエが不足する。
だからジェコブが心配して、新たなフェルティガエを仕官してはどうか、と進言してきたんだ。
ジェコブ――神官長は60過ぎの男の人で、私が東の塔に離されていたとき、陰ながら支えてくれた人だった。
ウルスラ王宮の神官長を代々務めている家柄で、記憶を操る術に長けている。
フェルティガエが仕官する際に記憶を封じるのも、この家の役目だった。
去年の事件が起こる前に急に姿を見せなくなって、私の遠視でも居場所が分からなかったけれど……どうやら、他の兵士に監禁されていたらしい。
その後神官長に復職して、私がウルスラ王宮の中枢に馴染む手助けを随分してくれた。
でも、詰所の設置理由については、ジェコブには「各領土との繋がりを深めるため」という曖昧な説明しかしていない。
あの予言は私とシルヴァーナ様、それとイファルナ様しか知らない。『剣』と『異国』という、女王の血族しか知らない事実が含まれていたから、イファルナ様に止められたのだ。
そしたら、ジェコブが私達を心配して「新たなフェルティガエを」と言ってくれた訳だけど……。
でも正直なところ、今は外部のフェルティガエを審査している暇はない。
「詰所はどうなってるの?」
「建物は完成してて、従来通りの見張りが一人いるだけ。派遣する人は神官長と相談してこれから決めるつもりだったから。それで、神官長が人は出せるけどどうしても王宮内が手薄すぎるって……」
「じゃあ、各国で審査するという名目で詰所に集めるというのはどうかしら?」
「え?」
シルヴァーナ様はにっこり微笑んだ。
「王宮からは審査官だけを派遣して、扉を見つけられた者を詰所に集める。そのあと、審査するという名目で各詰所に留まってもらい、鍛錬をしてもらう」
「……なるほど」
「いろいろなフェルティガエがいるとは思うけど……各国の審査官が交代で見ていけば能力も把握できるんじゃないかしら? 何か起こった時も、審査の一環だと思えば積極的に動いてくれるかもしれないわ」
「そうだね。でも……そんなに集まるかな? 王宮に来るともう戻れないから、力の強い人が来てくれるとは限らないんだけど」
「……」
シルヴァーナ様は少し溜息をつくと
「私が……出ればいいかしら?」
と言った。
「えっ……」
私はびっくりして声を詰まらせた。
シルヴァーナ様は、即位してからあまり表に出ていない。
これだけの美貌とオーラがあるから出てほしいんだけど、そういう場はどうも苦手らしいんだ。
ずっと閉じ込められて少人数の中で暮らしてきたから、大勢の人の前に出るのが苦痛みたい。
だから自ら出るという発言は、かなり驚きだった。
「あさっての水祭りで、話をしてみようと思うの。そうしたら、少しは希望者が増えるかしら?」
「それは……多分……すごく、増えると思うよ」
「本当? でも怖いから、シャロット、傍にいてね」
シルヴァーナ様は私の手を握ると、その奇麗な紫色の瞳でじっと私の顔を覗きこんだ。少しドギマギしながらも「うん」と答え、首を縦に振る。
シルヴァーナ様は女王になってから、女王らしくなければならないってちょっと無理していた感じがする。……いろいろあったしね。
でも、もともとはとても無邪気で可愛らしい人なんだ。
ずっと年下の私が言うのもおかしいけど……何か、助けてあげようって気になってしまう。
いいな、シルヴァーナ様は……奇麗で、可愛くて。私も大人になったら、少しは奇麗になれるかな?
「どうしたの? そんなにじっと見て」
私の視線に気づいたシルヴァーナ様が、不思議そうな顔をした。
「シルヴァーナ様はすべてが可愛いなって……」
「もう! どこでそんな言葉を覚えてくるの? 男の子みたいよ」
シルヴァーナ様は真っ赤になると、私の手を離してパッと自分の顔を両手で覆い隠した。
……というか、そういう仕草自体がかなり可愛いんですけど……。
「あはは……そうかも」
確かに、何か口説き文句みたいだよね。
私もちょっと恥ずかしくなって頭をポリポリ掻いていると、今度はシルヴァーナ様がじっと私の顔を見つめた。
「……何?」
「――シャロットは、奇麗になるわよ。これから、もっと」
「へっ」
意外なことを言われて思わず変な声が出た。
「初めて会ったときから、現実と正面から向き合っているシャロットが羨ましかったの。シャロットみたいに強くなりたいって……。でも、違うのよね。シャロットは元々強い訳じゃなくて、ウルスラを守れるくらい強くなりたいと望んで動いてるから、強いのよね」
「……」
「だから、シャロットの茶色い瞳には凄く力があるの。それは、女王の血とか関係ないの。シャロット自身が持っている力よ。すごく奇麗」
「そうかな……?」
自分ではよくわかんないな。
「そうよ。楽しみね」
シルヴァーナ様はそう言うと、ふふふっと嬉しそうに笑った。
* * *
水祭りの日……白い昼から藍色の夜に変わった瞬間、シルヴァーナ様は王宮のバルコニーから姿を現した。
紫のオーラを纏って、まるでこの世の人ではないかのように奇麗だった。
それまで祭りで賑わっていた人々も、美の女神ウルスラが降臨したような女王の姿に、シン……と静まり返った。
シルヴァーナ様は祭りの口上を述べたあと、にっこりと微笑んだ。
そして静かに
「わたくしを助けていただける方々を、望みます。王宮の扉は今、開かれました」
と述べた。
フェルティガエを求める報せに、民はしばらく反応せず、静まり返っていた。だけどようやく意味がわかったのか、わーっと騒ぐ声が聞こえた。
あちらこちらから歓声が上がっている。民がこの知らせにとても喜んでくれている様子が伝わってくる。
これなら、いい人材が集まるかもしれない。やっぱり、シルヴァーナ様ってすごいよ。
祭りが終わったあと、シルヴァーナ様は
「大丈夫だった? 変じゃなかった? 緊張して声が震えてしまったの」
と半分泣きそうになっていた。
本当だったらこういう感じのシルヴァーナ様をみんなに見せたかったけど……これは、私達女王の一族の秘密、だよね。
私の予想通り――シルヴァーナ様の力は絶大で、次の日からかなりの人が扉を探したみたい。
でも、実際に辿り着いたのは各領土で三、四人ずつということだった。詰所のまわりにはかなり厳重な幻惑を施したから、これを乗り越えてきた人たちは精神的にもかなり熟練していると思う。人数的にも、一人一人に目が届く範囲内だし……。
ここまで、かなり順調に来ている。そう思って安心した矢先――イファルナ様の容体が急変した。
そして間もなく……偉大な先代女王は亡くなってしまった。
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