8.入るために(2)-ソータside-

 目の前の崖を眺めたあと、俺は朝日の方に振り返った。


「……で、どうす……」

「よし! 行きますよ!」

「どわっ、何だー!」


 朝日が急に俺を担ぎ上げた。

 こんなちっちゃいのに、どこからそんな力が……!


「私が崖を越えるんで」

「――はあっ!?」

「……暁、今だけ許可する。私の真似をして、崖を越えるのよ」

「……うん」

「とにかく思い切りね。飛び過ぎても、絶対受け止めるから」

「多分、大丈夫。イメージできたし」

「そっか」


 慌てる俺を無視して会話する。

 ちょっと待て、崖を越えるって……。


「……では!」


 朝日の集中力が高まるのが分かった。

 気になることはいろいろあったけど、邪魔してはいけないような気がして息を呑んで見守る。

 すると……。


「――はあ!」


 朝日が強烈な蹴りを繰り出し――俺を担いだまま、空高く舞い上がった。

 目の前に崖がぐんぐん迫る。

 ぶ、ぶつかる……!


「もう一丁!」


 崖のわずかな窪みに足をかけ、再び高く飛び上がる。


「よし、越えたー!」

「どわああーっ!」


 下を見ると、崖を越えた先はかなり大規模な森林だった。

 そして……その一部はどす黒い闇が漂っていて、より鬱蒼として見える。


「闇だ……! 朝日、できればもう少し左へ……」

「それは無理ー! 後は落ちるだけだからー!」

「はあーっ!?」


 朝日は俺を抱えたまま物凄い勢いで落下していく。


「し、死ぬ……!」

「大丈夫!」


 不意に、辺りを何かが取り巻くのがわかった。森の中に突っ込んだが、葉や枝は俺たちに当たるより前に不自然に折れて行く。

 それより、こんなスピードで落ちて……無事で済むのかよ!


「よっ……とー!」


 落ちるスピードが緩やかになった瞬間、地面にぶつかった。

 すると、まるでトランポリンにでも乗ったかのように弾かれる。

 どこも痛くはないのだが……飛ばされてグルグル回り、天と地がごっちゃになる。


「あれっ、ちょっと失敗しちゃった!」

「うおーい!」

「大丈夫!」

「どこがだー!」

「ちょっと勢いが強すぎただけだからー!」

「ぐわーっ!」



 ――そんなこんなで二、三回バウンドしたあと、俺達はどうにか地面に着地した。


「ふう!」

「……し、心臓が……」


 なぜか満足げな朝日の横で、俺は思わず左胸を押さえた。

 何て無茶苦茶しやがるんだ。こんなにビビったの、長いジャスラの旅の間でも無かったぞ。


「……ちょっと久し振りだったから……。あ、暁!」


 見上げると、暁が落ちてくるのが見えた。

 そして俺達を見つけると、身を翻してスピードを緩め……ニッと笑って軽やかに着地した。


「あらよっと」

「暁、本当に器用ねぇ……」

「まあね……」


 そう答えながら、暁が気の毒そうな顔で俺を見た。


「朝日、力の加減ってものを知らないからさ」

「……できれば先に聞いておきたかったが……」

「怪我することはないだろうから、まぁいいかって」

「……」



 どうにか心臓の動悸が治まるのを待って、俺は辺りを見回した。

 かなり深い森の中だ。この辺はそうでもないが……奥に、闇が蠢いている場所があるようだ。気配で伝わる。


「とにかく、闇が広がっている場所に向かおう。何かあるはずだ」

「あっちだね」


 暁が左の方を指差した。俺はギョッとして暁を見た。

 そんな俺に気づいた朝日がちょっと微笑んで、暁の肩を抱いた。


「この子は……模倣と浄化の能力者なの」

「浄化!?」


 こんなガキがか?

 水那は19歳だったけど、習得するのにかなり時間がかかった。レジェルだって、目覚めたのは14歳のときだぞ?


「お前、いくつだ?」

「10歳」

「10歳!?」


 しかも見た目より相当ガキじゃねぇか!


「だから基本、フェルを使うのは禁止していたの。でも、今は非常事態だから仕方ないわね」

「それよりさ。朝日、障壁シールドできないじゃん。今から闇の中に入るのにどうするのさ。絶対、吸い込んじゃ駄目なんだからな」

「とにかく弾く、跳ね飛ばす。これで行く」


 朝日がぐっと拳を握りしめた。

 ……要するに、気合いで乗り切るってことか?


 何となく……この女の性格が読めてきた。

 猪突猛進、思い立ったらすぐ行動の、かなり無茶をするタイプだ、絶対。

 それに……こんな生命力に溢れた元気なフェルティガエ、ジャスラでは見たことがない。


「暁は力を使わないで、温存しておいて。どうしても危険な時だけ、助けてね」

「わかった」

「ちょっと待った。闇を吸い込むって何だ? とり憑かれたことがあるのか?」


 ふと疑問に思って聞くと、朝日は首を横に振った。


「違うの。私……自分に向けられたフェルを吸収する体質なの。際限なく」

「……は?」

「闇とフェルは性質が同じだから気をつけろって言われてたの。防ぐには障壁シールドしかないけど、できないから……闇には近付くなって」

「どうするんだよ!」

「だから、とにかく頑張って跳ね飛ばす」

「根性論かよ!」

「大丈夫。いざとなれば、あらゆるフェルが使えるって言われてたし」

「……絶対、大丈夫じゃねえ……」


 朝日の性格を考えると、仮に闇を取り込んでも簡単にとり憑かれるようなことはないだろう。相当前向きな感じだし。

 ……だけど、取り込むだけでなく積極的に吸収してしまう、となると……。

 どうしたものか……浄維矢せいやは一度に一回しか打てない。朝日が闇にとり憑かれてそれを祓うのに使ったら――もう、ウルスラの闇は押さえられないぞ。


 ――そういえば……。


 ふと思い出す。

 旅立ちの前に、ネイアから『ジャスラの涙』と『ジャスラの雫』を渡されてたんだった。


   * * *


「これ、レジェルのジャスラの涙だろ? いいのか?」

「念のためだ。ウルスラには闇がある。剣に封じられたはずだが、再び広がる可能性も捨てきれん」

「うーん……」

「ジャスラの涙に勾玉の力を込めて掲げれば、ある程度の範囲の闇なら回収できる」

「そう言えば……そうだな」

「ただ、祠の条件は満たしていないから、そのまま放っておいては再び漏れ出してしまうがな。しかし……ソータの浄維矢は乱発できない。そのジャスラの涙に集め、それをまとめて一度に回収するのがよいだろう」

「なるほど。……で、この雫は? 俺がベレッドで集めた分だよな。まだ珠にしてなかったのか」

「雫には雫の使い道がある。……ミズナの胸の中の雫、覚えているだろう」

「それは……勿論」

「……で……」

「え、まさか、あのときと同じことを誰かにしろとか? 絶対、無理だからな!」

「違う!」

「……じゃ、なんだよ」

「あのときはもう浸食が始まっていたから、他に手段がなかったのだ。しかし闇に触れる前なら……ソータが勾玉の力を込め、飲み込ませれば護符になる」

「……ん?」

「つまり、多少闇を取り込んでも雫が吸い取ってくれる。とり憑かれるのを防いでくれるのだ」

「なるほど、ね……」

「どんな旅になるかはわからぬが……フェルティガエと闇に立ち向かうようなことがあれば、使うとよいだろう」


   * * *


 俺は荷物からジャスラの雫が入っている袋を取り出した。

 十粒ほど手の平に取って胸の中の勾玉の力を込め、朝日に渡す。


「これ飲み込んどけ。多少なら、闇から守ってくれる。……まぁ、自力で弾いてくれるなら、それに越したことはないが」

「これが……ジャスラの雫」


 受け取った朝日が自分の手の平を見つめながらポツリと呟いた。


「何で知ってるんだ?」

「ミズナさんに飲ませて助けたって、中平さんから聞いたから」

「えっ……」


 親父、どこまで喋ったんだ?

 俺の顔色が変わったのが分かったのか、朝日はちょっと慌てた様子でぶんぶんと手を振った。


「あ、私が根掘り葉掘り聞いちゃったんで、それで……。でも、暁もいたんで、その辺のくだりはかなりオブラートに包んで……」


 じゃ、全部聞いてるんじゃねぇか……。

 思わず頭を抱えると、朝日が急にギョッとしたような顔をした。


「えっ、ちょっと待って。まさか、今から……」

「やらねぇ! あれは、相当な非常事態! これは予防策だから必要なし!」

「……よかった」


 朝日はホッと胸を撫で下ろすと、雫をごっくんと飲み込んだ。

 横で暁が

「何の話?」

と不思議そうな顔をしていた。


「……まぁ、なんつーか……」

「お互い頑張ろうって話よ。さ、暁、行くよ!」

「朝日……方向、逆」

「あ、ごめん、ごめん」


 暁が朝日の腕を引っ張って、蠢く闇の方に向かって歩き出した。

 俺は溜息をつくと、二人の後についていった。


 ――水那。

 浄化者……一人、見つけたよ。すげぇガキだけど。

 あと……力強い味方もな。


 ただ、力強すぎて――何が起こるか、全く予想がつかないけど。

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