第21話
「分離不安症ですね」
柔らかな椅子に掛けた私に、カウンセラーは穏やかに言った。ネムが呼ばれるまでの待ち時間を鑑みるに、私たち以前にそれなりの数の患者とその家族を相手にしているはずだが、彼女の顔にはこちらを落ち着かせるための微笑がきちんと浮かんでいる。
ネムは〈REM〉の設定を調整するための検査を受けるために、私と入れ違いで退室しており、カウンセリング室には私とカウンセラーしかいない。
白を基調とした室内には、薄手のカーテン越しに柔らかな陽光が注いでいる。病院の外壁に面していないにも拘らず。つまり、これもホログラムだ。カウンセリング中、患者や付き添いの精神を良好に保つための。
それでも私の心が一向に安らがないのは、所詮その効果が気休め程度のものであるからか、あるいは目の前の女性に疚しいところを突かれることを、私が異常に恐れているためか。おそらくは後者だろう。
「奥さんは、息子さんの幻が消えてしまうことに、強い恐怖を覚えています。これは、あの件をきっかけに受診された方のほとんどが訴えられていることであり、〈REM〉のストレス緩和作用で解消されますので、特段心配はいりません。ストレス緩和作用というのは……ああ、これについては、以前お話ししましたね」
「ええ、理解しています」
それは、〈REM〉が〈登録者〉に提供する優しさのひとつ。
〈REM〉はデータベースに眠る故人の記録を頼りに、本人と見紛うほど精巧な幻を生み出す。そのことを、全国民が理解している。つまり、当然〈登録者〉も、自らが見ているものがリランに過ぎないことを知っている。
その事実を正面から受け止め続けられるほど、〈登録者〉は、人間は、強くできていない。己が愛でているものが贋物に過ぎないという事実は、やがて〈登録者〉に強い虚無感を芽生えさせ、故人がもう存在しないことを強く意識させてしまいかねない。
遺された者を癒すべく設計されたシステムが、却って彼らの傷を抉るのでは元も子もない。そこで政府は、〈REM〉にこういう仕掛けを施した。
幻を幻であると、あるいは、故人を故人であると認識することが快復の妨げになるのなら、それらの思考を抑制してしまえばいい。
〈登録者〉の意識が快復の妨げになる方向へ向いていることを感知した段階で、〈REM〉は彼らの脳神経に働きかけ、思考を一時的に鈍らせる。そうして、〈登録者〉の思考が都合の悪い方向から逸れた際に、思考速度を元に戻しつつ、報酬系を刺激する。
これを繰り返すことで、〈登録者〉は故人が故人であるということに、段々と意識を向けなくなる。とはいえ、既に亡くなった彼や彼女が生きていると錯覚するまでには至らない。言ってみれば〈登録者〉は、蘇らせた対象が生きているか、あるいは死んでいるかということに意識を向けることを「忘れている」状態であると言える。
たとえば、ネムはサヨが隣にいることを「戻ってきた」と表現する。「蘇った」とは表現しない。そして、どこから戻ってきたのか、ということに言及することもない。そもそも、「どこから」というところにまで、彼女の意識は届いてないのだ。それは、〈REM〉の用意したベビーフェンスの外側にあるのだから。
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