第19話
母親を背負うということ。両親とも健在である私には、その重みは想像もできない。臆病者であるはずのクレサシは、しかし、それを懸命に抱えようとしている。自らの未来をそれに捧げることを当然としたうえで、それだけでは足りないのではないかと悩んでいる。おそらく、母親が倒れてから、ずっと。彼に比べれば、私やメザマシはずいぶんと気楽なものだ。
何か言葉をかけてやりたかった。だがこういう時に限って、私は何も言えなくなってしまう。思い浮かぶ言葉全てが、ひどく軽率な、ふさわしくないものに思えてしまう。何も言わないよりはマシだと、どこかで分かっているはずなのに。
「……やめだ。将来のことなんて、今日はどうだっていいだろう。俺たちは、この社会に確かな一撃を加えてやったんだ。それを祝うことは、未来の話よりも、いや、他のあらゆることよりも優先されるべきだ。違うか?」
メザマシがわざとらしくカラリと言うと、クレサシの顔色が多少は和らいだ。
「うん、そうだね。ねぇ、僕さ、母さんに何かあっても、〈REM〉にだけは頼らないよ。データベースから引っ張り出さなくったって、母さんのことは、僕がちゃんと憶えておくから」
「よく言った!」
メザマシは嬉しそうにクレサシの肩を抱き、声を上げた。
「正しくそのとおり。贋物に縋ろうなんざ、故人に対する不義に他ならん。おまけに、あの講師ときたら、妻子のある身でありながら――」
「いい加減にしろ」
また要らぬことを喚きだそうとした阿呆の口を、私とクレサシで塞ぐ。講堂からいくらか離れたとはいえ、まだ参加者の耳に入らないとは限らない――。
「あの」
いくらか怒気のこもった女性の声が、背後から投げられた。恐る恐る振り返った私の視線の先に立っていたのは、おそらく私たちよりも年下の、小柄な少女だった。普段はさぞかし愛嬌に溢れているであろう幼気な顔を、私たちに敵意を向けるべく精一杯歪ませている、そんな印象を受けた。
「さっきから聞いてたんですけど、セミナーであの映像を流したの、もしかしてあなたたちですか?」
背筋に冷たいものが走る。面倒なことになった。この少女が騒ぎ出せば、私たちは「卒業後」という憂鬱な未来から、めでたく遠ざかることになるかもしれない。
こうなれば、メザマシに言い訳をさせるしかない。幸い、奴はそれなりに口が回る。いつもいつも、碌でもない詭弁を垂れ流しているその口で、この場を収めさせるよりほかに手はないだろう。そもそも、元凶はほかならぬこの男なのだから。
そう思考を巡らせながら向き直った私の目に入ったのは、二人の裏切り者が走り去る後ろ姿だった。
「どうしてあんなことをしたんですか? どうしてあんなことができるんですか? 私、真剣にお話を聞きに来たのに。私たちみたいに、大切な人が亡くなって苦しんでいる人間を嘲笑うようなことをして、楽しいんですか?」
感情の昂りを必死で抑えているような声色で、少女は私に恨み言をぶつける。これは悪い夢だ。何かの冗談だ。私も逃げ出してしまおうか。いや、この娘をこれ以上刺激するのは、どう考えても悪手だ。
となれば、自信はないが、私が言いくるめるしかない。まったく、少女一人を相手に逃げ出して、面倒を友人に擦り付けておいて、何が「この国を変える」だ。メザマシの阿呆め。クレサシもクレサシだ。この場をしのいだら、奴らにはたっぷりと謝罪してもらおう。
私は意を決して少女に向き合い、憤怒で燃える瞳を覗き込む。さて、どうすれば彼女を宥めることができるだろうか……。
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