発火

第12話

 ミヤコワスレの苗を買ってから一週間後のその日、ネムは私の仕事部屋にひょっこりと顔を出し、サヨと三人で公園に遊びに行こうと誘ってきた。

「あんまり根詰めてもよくないしさ、ね?」

 特段疲れてもいなかったし、今日のうちに片しておきたい作業の残量を考えるとあまり気乗りはしなかった。サヨはしばしば、こうして三人での外出を提案する。そのたびに私は仕事を中断し、時には休むと決めていた日を返上しなければならないこともある。正直、これには少々滅入っていた。

 だが、サヨに関わることである以上、ネムの誘いを断ることはできない。これは絶対のルールだ。

 私は顔に笑顔を張り付けて快諾し、端末の電源を落として、コートを羽織った。


 ネムが虚空に向かって、ふわりとボールを放る。ボールは虚空でピタリと静止する。そして、今度は虚空が、弱々しくネムにボールを投げ返す。

 私はネムとサヨのキャッチボールをベンチから眺めていた。もちろん、拡張現実オーグメントからサヨを弾き出している私には、ネムの姿と、拡張現実オーグメント上のボールしか見えない。

 公園では私たちのほかに、何組かの母子連れが遊んでいる。そのうちの一組、砂場で遊んでいる親子の子供の頭上には、例の墓碑銘が表示されていた。

 砂場の砂は、〈REM〉と同期して動くように設定されている。つまり、実体のない幻でも、生身の人間と同じように砂山を作ることができる。もしあの子供を拡張現実オーグメントから弾いたとしたら、ひとりでに砂が持ち上がっているように見えるだろう。まさしく亡霊の起こすポルターガイストのように。

 〈REM〉と連携するああした発明は、「焼失の日」から四十年経った今も増え続けいる。この国は今なお優しくなり続けている。深く冷たい喪失の海に溺れそうな者に、救いの手を差し伸べている。あれらにもメザマシが一枚噛んでいるかと思うと、やはり何とも言えない気持ちの悪さを覚える。

 ネムの呼ぶ声が聞こえる。視線を戻すと、こちらに手招きをする彼女が見える。私は胃の辺りに重いものを感じながら腰を上げ、ネムの方へ歩み寄る。

「はい、サヨがパパとも遊びたいって」

 ネムが私にボールを寄越す。私はとりあえずそれを受け取り、先ほどまでネムがボールを放っていた場所に目を向ける。相変わらず、そこには何もない。

 すぐさまネムが走っていき、私の視線の先でしゃがみこむと、両の手をポンと空中に置く。小さな子どもの肩に手を置く仕草。つまり、あそこにサヨがいるということだ。

 私はそこにボールを投げる。放物線を描いたボールは、やはり空中で落下を止め、こちらに投げ返される。ボールは私に届く前に地面に落ち、二回、三回と跳ねてから私の手に収まる。幻に過ぎないそれに対し、拡張現実オーグメントと同期した私の触覚が質量を与える。

 軽く、柔らかく、しかし確かに存在しているとしか思えない「重さ」。

 もう一度放る。もう一度放り返される。行き来するボールを、ネムは幸せそうな笑顔を浮かべて目で追っている。私にとっては相手のいない虚しいキャッチボールでも、彼女の精神を良好に保つためには必要なのだ。そう己に言い聞かせ、私は見えもしないサヨの遊び相手を演じ続けた。

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