第11話
「ああ、申し訳ない。長いこと付き合わせてしまいましたね」
「とんでもない」
ヒマワシ氏は機嫌よさそうにミヤコワスレの苗を手に取り、カウンターへと歩いていく。もしかしたら、他人とこうして話すのは彼にとって貴重な機会なのかもしれない。彼に家族があるのかはわからないが、少なくとも客足はこのとおりだ。
「ところで、花の世話で困っていることはありませんか」
「え?」
「よくいらしていただけるのは嬉しい限りですが、一方で心配にもなります。すぐに枯れてしまっているのではないかと」
苗をそっとビニル袋に入れながら、ヒマワシ氏は私を見る。図星だ。なんとなく罪悪感を覚える。
「そうですね。実はなかなか上手いこといかない。日陰には植えてやってるんですが」
「それはそれは。見てみないと何とも申し上げられないが、水のやり方に気を付けてみるといいかもしれませんね」
「水。一応たっぷりとやっているつもりですが」
「ミヤコワスレに限りませんが、まだ土が湿っているうちから水をやるのはあまり良くない。根腐れを起こしますからね。土が乾いたらたっぷりと。それが水やりのコツです」
「気を付けてみます。どうもありがとう」
軽く頭を下げて苗を受け取ろうと手を伸ばす。ところがヒマワシ氏は苗を差し出そうとせず、言葉を探すように俯いて黙り込んでしまった。客のいない店内に、静寂がぴぃんと響く。
「……あの」
「花が枯れるというのは、悲しいことですよね?」
ええ、もちろん。そう答えるしかないような問いだった。だからこそ、質問の意図が読み取れない。あるいは彼の苗をいくつも枯らしてしまった私を非難しようというのだろうか。穏やかにアドバイスをよこした以上、それも妙な気がする。
「そうですね。花が枯れるというのは悲しいことです。少なくとも、一般的には」
「一般的には? 本当にそうでしょうか」
何とも気の利かない私の返事に、老紳士は顔を上げた。顔中の皺が暗い影を作り、一瞬で十年分も老け込んだように見えた。
「悲しいことであるはずなんです、花が枯れてしまうということは。それは何も、その美しさが失われるからだけじゃない。まだほんの弱々しい苗だった頃からの記憶が、私の中に積もっているからでもあるのです。その花とともに積み上げてきた、私の日常の記憶。花が枯れてしまうということは、どう足掻こうと、それを二度と積み上げられなくなるということです。だから喪失というのはやりきれないし、枯らしてしまった自分を責めもする。そのやりきれなさや自責の念こそ愛着の在処であると、私は思うのです」
突然花の死について語りだしたヒマワシ氏に、少なからず面食らった。彼はそんな私を気に留める様子もなく、言葉を続ける。
「しかし、時代は変わった。時代は今、喪失を克服しつつある。喜ばしいことなのでしょう。歓迎すべきことなのでしょう。だからこそ、たまに嫌になるのです。それを上手く飲み込めない私自身が。なんだか、必死に悲しみに縋りついているようで」
ヒマワシ氏は自虐的に言って笑う。いや、笑おうと口元をひくつかせる。
「私も生花なんか売るのをやめて、造花でも売った方がいいのかもしれませんね。いや、いっそ
ヒマワシ氏の悲哀が、二人だけの店内にじんわりと充満した、気がした。
私は返すべき言葉を見つけられず、ただ「また、来ます」と呟いて店を出た。
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