喪失を忘れた国

第6話

 結局、メザマシとはすぐに別れた。店に居座って長話をする空気でもなかった。

「何かしら手を打つことだ。取り返しがつかなくなる前にな」

 そう言って、メザマシは大通りの雑踏に消えていった。

 私も私で、メザマシとは別の方へ歩き出す。まだ日は高いが、寄るべき場所はひとつしかない。そこで用を済ませたら、もう家に帰ろうと思う。なにより、寒い。


 コートを着込んだ男が、同じようにコートを着込んだ女性と店先で談笑している。女学生らしき集団が拡張現実オーグメント上で何かを鑑賞しては嬌声を上げている。初老の男女が、小さな子供の手を片方ずつ握っている。

 どれもいちいち注目するような光景ではない。

 まなじりを下げる女性の、女学生のうちの一人の、両親に挟まれて歩く子供の頭上に、あのテキストが浮かんでいなければ。


”Rest in Everlasting Memory”


 私たちは、拡張現実オーグメント上に再現された故人の幻とともに生きている。

 私たちは、常に私たち自身のバックアップを取られる。外見、嗜好、生活パターン、挙動の癖、思考の癖まで、本人が能動的に拒絶しない限り、それらの記録は政府が誇る巨大なデータベース〈Paraiso〉に保存され、いずれ訪れる絶命の日に備えられる。

 私たちは損なわれない。少なくともある程度以下には。死を悼んでくれる〈登録者〉がいれば、私たちは死後も彼や彼女の前に再び姿を現せる。バックアップを基に復元されたデジタルクローンは、ひとたび〈REM〉に登録されれば、彼や彼女に再会の喜びをささやき、その手を取って微笑んでみせる。そうして〈登録者〉の傷が癒えるまで、変わることのない姿で寄り添い続ける。

 私たちは喪失を知らない。少なくともある程度以上は。近しいものの死に一度は涙を流しても、葬儀が一段落ついてから役所で手続きをすれば、その日のうちに私たちは彼や彼女と再会できる。一緒に観るはずだった映画を観に行くことができる。夕食の席で他愛のない話をすることができる。故人にチケット代は発生しないことや、彼らが夕食を口にすることはおろか食器を手にすることもできないことに目をつぶれば、電子証明書の発行と変わらない手軽さで、悲劇以前の生活をほとんどそのまま取り戻すことができる。

 だから誰も彼も〈REM〉に縋りつく。街を歩けば、そこかしこで死者とすれ違う。意図的に弾き出さない限り、拡張現実オーグメントには〈REM〉に登録されているすべての死者が表示される。〈登録者〉は故人がいるものとして生活をするから、周りの人間からしてもその方が都合がいいのだ。

 もちろん、きちんと生者との判別がつくようにはなっている。死者の頭上に表示される墓碑銘によって。

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