メザマシ

第2話

「よう、まだ生きてたか」

 メザマシは私の顔を見るなり、品のない笑みを浮かべて言った。学生生活の終わり、役所に勤めることにしたと聞いたときには、とうとうこいつもまともな神経を持ち合わせるようになったかと、友人として安心したものだったが、どうもそれは早合点だったらしい。

 あの頃と少しも変わらない性根の曲がりっぷりに、私は会うたび関心する。同時に、こんな男に仕事を任せるこの街が心底心配になる。

「心配なんて今更だな。この街が、この国がイカれてるのなんざ、ガキの頃からわかってたことじゃないか」

 私の嘆息を意に介さずににやけたまま、メザマシは灰皿を引き寄せ、煙草に火をつける。

「〈REM〉のことなら、イカれてると騒いでたのはお前だけだろう。クレサシのやつはともかく、俺は同調した覚えはないぞ」

「つまり、俺だけに先見の明があったわけだ。お前さんは今になってようやく〈REM〉の異常性に気づいて、あのアホは気づくどころか飲みこまれちまったわけだからな」

 得意げに煙を吐き出す悪友に、勝手に言っていろと返してメニューを開く。今時拡張現実オーグメントのメニューを採用していない、古臭い喫茶店だ。メザマシに付き合わされて利用しているが、今ではなんだかんだ私も居心地よく感じている。ラミネートされた紙のメニュー。薄暗い照明。客の目につく場所に設置された、汚れた換気扇。ヤニをたっぷり吸いこんで、独特な臭いを放つ海老色のソファ。私が知らないはずの時代で満たされたここが、なぜだか懐かしい。

「おい、拡張現実オーグメントを切れよ。せっかく現実だけを見てればいい店に入ったんだ」

 メザマシの言葉に黙って従うことにする。こめかみを少し強く押し込むと、メザマシの頭上に投影されていた彼のステイタスやら、視界の右端に表示されていた今日の降水確率やらニュース速報やらが消える。


「こんな街中にこれだけボロい店があるってことが、どういうことだかわかるか」

 はじめて連れてこられたとき、ずいぶんボロい店だとぼやいた私に、メザマシは言った。

「旨いコーヒーを出してるってことか?」

「違う」

 きっぱりと首を振るメザマシに苦笑すると、こいつは度々そうするように顔を近づけ、もったいつけて言ったのだった。

「『焼失の日』を生き延びたってことだ。それがどれだけの奇跡なのか、どいつもこいつも忘れてやがる。店主までもがな」


「お前、クレサシとは会うか?」

 ともに青春をドブに捨てた友人の名を出すと、メザマシはあからさまに眉を顰めた。

「俺が? お前さんはともかく、俺が会うわきゃないだろう。あんな軟弱者」

「ひどい言い様だ。お前のたった一人の理解者だったじゃないか」

「理解者だと。お前さんだってわかってるだろうが。あの小心者は、ただ居場所を失いたくなかっただけだ」

「奇特なことじゃないか。俺やお前の隣なんて、普通は金を積まれても願い下げだ」

「あいつの話はいい。どうなんだ。奥さんは」

 私の軽口を受け流し、メザマシはそう切り出した。直後にやって来た間の悪い店員に、私はブレンドを、メザマシは不機嫌そうにアメリカンとプリンパフェを注文した。

 無表情のままテーブルを去る店員を見送ってから、私は答える。

「どう? 相変わらずだよ」

 メザマシは呆れたというように上を向き、黄ばんだ天井へ向けて煙を吐き出した。

「まだ〈REM〉に頼りきりか。もう五、六年は経つだろうが」

「丸五年だな。別に異常なことじゃない。〈登録者〉が故人の死を乗り越えるのには、大抵それ以上の時間が要ると医者も言っていた」

「お前さん、それを真に受けるのか。やかましくて面倒な患者や家族を黙らせるためなら奴ら、そのぐらいの嘘は平気で吐くぞ」

「どうして嘘だと言える? 街中には未だに『焼失の日』の死者が佇んでいる。四十年前の死者の幻を、未だに心の支えにしている者がいる証拠だ」

「ああいうのは大抵、文字どおりの亡者の類だ。〈登録者〉はとっくに立ち直ってるにも拘らず、故人を消してしまうのが忍びないからと、ずるずると残してしまう。あるいは単に消し忘れているかだ。そういう事例は少なくない。〈登録者〉にさえ忘れられ、かといって役所の方で勝手に消すわけにもいかず、結果的に街を彷徨うしかなくなった哀れな連中さ」

「さすが、詳しいじゃないか」

 私の皮肉に、メザマシはふん、と鼻を鳴らす。

「相も変わらず〈REM〉の管理業務か? それだけ〈REM〉を毛嫌いしてるお前が。まったく、気の毒なことだな」

「いいか。俺はな、お前さんや奥さんのことを想って言ってやってるんだ。あんなものに頼るような不自然を長く続けると、そのうち取って食われるぞ」

「取って食われる?」

「昔から言って聞かせてるだろうが。俺のような人間や年寄りどもが、あのシステムを何と呼んでるか」

 "墓荒らし"。もしくは"悪魔の手招き"。〈REM〉が一部の人間からそう揶揄されているのは事実だ。

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