天の穴

 辺りが、妙に明るい。


 終電に揺られ、酒が回り気持ち悪くなり、駅が閉まる時間までホームのベンチで気を失っていたから、大体午前一時くらいのはずだ。


 駅前は明かりがたくさんあるが、住宅街に入ってしまえば、男の俺でも少し怖いくらい、深夜は暗い。


 道を間違えたか?五年も住んで?

 上げるのも億劫な頭をどうにか上げて、息が止まる。

 何処だ、ここは。


 確かに俺は、住宅街を歩いていたはずだ。もし道を間違えたとしても、この光景はありえない。


 辺りには、建物が一つもなかった。


 辺り一面墨汁を満遍なく塗ったような黒一色。なのに、うぞうぞと蠢いてるように見える。


 冷たい汗が背中を流れる。酔いはとっくに冷めている。唾を飲み込むのも痛いくらい、喉が乾いている。


 一歩でも歩いてはいけない気がした。動いていないのに、呼吸が荒い。


 もう一度辺りを慎重に見回すが、地面は黒く、空は暗く、それなのに、妙に明るい。


 そうだ、この明るさは、いったい。

 吸い寄せられるように、視線を上へ、顔は真上へと誘われる。


 そこには、大きな月があった。

 丸く、握り拳くらいありそうなその円は、まるで穴が開いているようだった。


 目が離せなくなる。徐々に大きくなっていき、近づいてきてると理解したときには、それが何だか、わかってしまった。


 大きな目だ。目であり穴。光り溢れる虚。

 膝をつき、そのまま背中から倒れた。


「はは、ははははは!はは……」


 ああ、偉大なる神よ!この世界に、御身という救済を!


 私に裁きを!


 父なる腕がいくつも伸びて、俺は神と一つになる!なんて、なんて幸せなのだろう!


 はは!はははは!


 「はは……は?」


 気がつけば、俺は天井に向けて両手を上げていた。


 どうやって帰ってきたのか覚えていない。何か、恐ろしいものを見たような気がするのだが。


 ぞくりと背筋に悪寒が走る。


 振り向くが、家の中に誰かいるはずもない。


 悪い夢を見たようだ。気晴らしが必要かもしれない。

 そう思い、ちょうど休日ということもあり、出掛けてみることにした。


 買い物や映画館、行ってみようと思っていた飲食店。

 いいリフレッシュになるはずだった。


 それなのに、一日中ずっと、背中に誰かいるような気がした。見張られているような不気味さだ。


 だが、どうしてだろうか。

 得たいの知れない恐怖が膨張していくなか、家への帰り道で、俺は笑っていた。


「はは、はははは、ははは、はは」


 それはまるで、知らない誰かの声に聞こえた。




          了。

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小さな物語たち リリィ有栖川 @alicegawa-Lilly

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