Epilogue それぞれの幸福論



いくつもの原稿用紙を段ボール箱のなかに詰めていく。一つずつ、丁寧に。やがて、段ボール箱がいっぱいになる。息をつく。ふと、辺りを見渡す。文芸部の部室。見慣れた風景。早いもので、僕が文芸部に入部してから、三年が経った。今日、僕は小鐘(こがね)高校を卒業する。


そのとき、部室の扉が開いた。一人の女性が顔を覗かせる。華奢な体躯。くりくりした目。そして、黒い髪。施音(しおん)先輩だ。


「おはよ、歩(あゆむ)くん」


「施音先輩、大学はどうしたんですか?」


「今日は休み。あと、もう卒業したから、私は先輩じゃないわよ」


「はは、先輩は先輩ですよ。それに春からは、僕も同じ大学ですし」


そう、先輩は小鐘高校を卒業し、地元の大学に進学していた。


「あれ……歩くん、それは……?」


そう言って、先輩は、僕の手元の段ボール箱を指さす。


「ああ、これですか。これは置き土産ですよ」


いつかの日を思い出す。春、先輩と一緒に備品整理をしたことを。そのとき、段ボール箱が開かれた。止める間もなく、先輩は中身を物色していた。


「あ、これ。あのときのリレー小説。懐かしいなぁ」


先輩は原稿用紙の束を持っている。そうして、原稿用紙をパラパラと捲っていく。


「あれ……?歩くん、ここ変じゃない?番号が同じになっている。ほら、この二つの作品……それに完結していない……?」


先輩の手元を覗き見る。そこには、『The happy princess』『Another tale of The happy princess』と記されていた。いずれも『ヘリオトロープの幸福』の続編だ。


「ああ、これですか。変じゃないですよ。あえて、こうしたんです」


あの日、僕は先輩の物語を否定した。自身のエゴをもって、先輩のことを縛り付けた。決して、そのことを後悔しているわけではない。先輩が生きて、傍にいれくれること、そのことはとても嬉しい。けれど、自分が正しいことをしたとも思えなかった。だから、どちらかを物語の結末としたくなかった。


そして、僕たちの後に続く部員たち。彼らには彼らの物語を描いてほしかった。そう、彼らなりの幸福論を……


きっと、幸福のかたちはそれぞれなのだろう。僕にとってのハッピーエンドは誰かにとってのバッドエンドかもしれない。それでも、僕はこの幸せを手放さない。


「ふふ、歩くんらしい」


「じゃあ、そろそろ行きましょうか」


どちらからともなく、手を繋ぐ。手の中に、温かな感触が広がる。繋いだ手。半径0メートルの距離。これが僕にとっての幸福論だ。

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半径0メートルの幸福論~Relative theory of happiness~ 仔月 @submoon01

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