第八話 Another tale of The happy princess
ⅰ
放課後、僕は文芸部の部室を目指していた。いつものように。階段をゆっくりと昇っていく。瞬間、奇妙なものが脳裏を走る。それは奔流。頭のなかを、いくつもの光景がよぎっていく。夕陽が差し込む教室、大きな車、そして、白髪(はくはつ)の少女……頭を押さえてしまう。これは「未来視」。いや、違う。僕は、この光景を見たことがあるはずだ。奇妙な確信があった。
(先輩が……時間を巻き戻した……?)
思わず、身体が動いていた。階段を駆け上がっていく。そうして、三階に辿り着く。そのままの勢いで、足を進める。部室に向かって……
(このさきに先輩が……)
部室の扉のまえで立ち尽くす。頭の中では、さきほどの光景が繰り返されていた。線路に飛び込む女性、地面に座り込む先輩。きっと、先輩はあの出来事で打ちのめされている。けれど、どうすればいいのか。それが分からなかった。それでも、先輩を一人にしておけない。そう思い、扉に手をかけ、グッと開ける。
文芸部の部室。いつもの風景。そのはずだった。けれど、そこに先輩はいなかった。
ⅱ
あれから、数日が経った。先輩は忽然と姿を消した。まるで、いなかったかのように……あちこちを探した。部室、歩道橋、古書店。何度か、先輩を見つけたこともある。けれど、そのたびに、時間を巻き戻された。間違いなかった。先輩は僕を避けている。
(でも……どうして……)
どちらにしても、先輩を捕まえることは不可能だった。なにせ、時間を巻き戻すことができる。思わず、天をあおぐ。蛍光灯の柔らかな光に照らされる。いつかの日も、こうして、先輩のことを待っていた。けれど、今は、待つだけでは駄目だ。
(どうして、先輩が僕を避けるのか、それを考えなければないと……)
そのためには、あのときの風景を思い出さなければならない。そう、鮮血の記憶を……
思い出す。あのときの風景を。一人の女性。彼女は線路のほうにゆっくりと倒れ込む。そして、けたたましい音が響く。嫌な臭いが広がる。血の匂い……
喉元を酸っぱいものが上がってくる。思い出すだけで、身体が震えてくる。でも、先輩はもっと苦しんでいるかもしれない。そう思うと、身体の震えがおさまってきた。
恐らく、彼女は自らの意志でその命を絶った。そして、先輩にとって、誰かを助けることはある種の償いだった。そんな先輩にとって、自らの意志で命を絶とうとする人はどう映ったか。
不意に、奇妙なものが脳裏をよぎる。それは光景。いつかの日、先輩はこう言っていた。例え、アンソスがそれを望んでいなくても?と。
頭を押さえる。これは……既視感。今はない。けれど、確かにあった。巻き戻された時間の記憶。
そう、先輩はエゴに拘っていた。グラーディの行為を傲慢なものと考えていた。
(もしかしたら、先輩は揺れているのかもしれない……自分の行いが正しいものかと……)
けれど、それだけなのだろうか。そのとき、また、奇妙なものが脳裏をよぎった。既視感だ。「でも……それなら……あのとき」先輩は呟いている。その表情は真っ青だった。「いや……わたし……なんてことを……」先輩は頭を抱えている。そして、悲鳴を上げる。世界を壊してしまいそうなほどの……
(そうだ、僕は能力の秘密を明かした。それは、僕自身が気付いていなかったもの)
僕の能力は「未来視」ではなかった。巻き戻された時間での出来事を見ることができる「既視感」だった。
あのとき、僕は、これで、先輩の孤独を和らげることができる。そう思った。けれど、先輩は僕の言葉を聞いて、顔を青くしていた。
(きっと、あのときの言葉は言うべきではなかった……)
先輩を壊してしまったのは僕かもしれない。そう思うと、胸が張り裂けそうだった。
どれくらいの時間が経っただろうか。窓からはオレンジ色の光が差し込んでいた。あの日、先輩と恋人になった。けれど、ここに、先輩はいない。もう会えないかもしれない。そんな想像がよぎる。気付けば、温かいものが頬を伝っていた。
いくつもの思い出が湧きあがってくる。歩道橋での再会、先輩の涙、正式に入部した日のこと、リレー小説、夕陽に照らされるなか、二人で抱き合ったこと、一緒にデートをしたこと。そして、最古の記憶……
(最古の記憶……?)
何かが引っかかっている。いつ、僕はこの能力を身に着けたのだろうか。生まれたときからではない。それは確かだ。なら、いつから……?
最古の記憶。そのなかで、僕は車に轢かれ、地面にたたきつけられていた。何度も、何度も。
そのとき、頭の中を、一つの考えがよぎる。数々の記憶、それらは結びつき、一つの像を結ぶ。最悪の想像。
(けれど、これならば、辻褄があってしまう……あのとき……事故にあっていたとき、僕は能力に目覚めていた。そして、先輩は僕を助けるために時間を巻き戻していた……)
巻き戻された時間のなか、先輩は、僕を何度も殺してしまっていた。他ならぬ、僕を助けるために。
ⅱ
文芸部の扉を開ける。いつものように。けれど、そこに先輩はいない。僕は、ふらふらと歩みを進め、席に着く。思わず、ため息をつきそうになる。
先輩は、僕の命の恩人だ。それと同時に、僕を殺し続けた人でもあった。頭を抱えてしまう。足元がふわふわとしている。現実感が伴わない。
先輩を助けたい。そのはずだった。けれど、どうしていいか分からなくなった。いつものように、天を仰ぐ。救いの手はない。ただ、蛍光灯の光が降ってくるだけだった。
そのとき、あることに気付く。机のうえに何枚かの原稿用紙が広げられている。思わず、手にとる。そこには『The happy princess』と記されている。几帳面な字。先輩の字だ。こんなことをしている場合ではない。そう思っても、視線を外せない。そうして、僕は先輩からのバトンを受け取る。いつかの日。そのままにされていたものを……
ⅲ
「そんな、どうして……僕は君と一緒にいたい。それだけなんだ」
グラーディはそう言います。その瞬間、私の心は温かなもので満たされました。ああ、少しの間でも、この人と一緒にいれて、良かった。私は幸せだった と。けれど、私のために、グラーディも犠牲になる。そんなことには耐えられませんでした。
そのとき、おとぎ話を思い出しました。それは幸福な王子さまのお話。
ある町のなか、王子さまの銅像がありました。銅像は宝石で飾られており、それは美しい姿でした。王子さまは困っている人たちを放っておけません。だから、彼は自らの身体の宝石を剥ぎ取り、多くの人たちに分け与えてしまいます。ツバメの力を借りて……やがて、王子さまの身体から、綺麗な宝石はなくなってしまいました。そこにあるものは、ただのみすぼらしい銅像です。そうして、街の人たちは王子さまの銅像を捨てました。それでも、王子さまは幸せでした。そうして、王子さまはツバメと寄り添い、最後を迎えます。幸福なまま……
私はそのおとぎ話が好きでした。けれど、どうしても、許せないところがありました。それは、ツバメです。どうして、ツバメも犠牲にならなけらばならないのか。わたしは、ツバメにも幸福になってほしかった。だから……
「ごめんなさい、グラーディ。私もあなたと一緒にいたい。けれど、駄目なの。私はあなたにも幸せになってほしいの」
そうして、私は姿を消しました。グラーディのまえから。
長い、長い時間が経ちました。やがて、街の外には、美しい花が咲きました。それはヘリオトロープ。献身の象徴。その身を捧げ尽くしても、王女さまは幸せでした……
最後の原稿用紙をそっと置く。気が付いたら、手が震えていた。許せなかった。先輩が一人ぼっちで消えようとしていることが。
席を立つ。じっとしていることなんてできなかった。部室の扉をグッと開け、廊下に出る。そこには、大柄な男の人がいた。
「やあ、一年。久しぶり。どうだい。調子は?」
あのときの彼だった。気になることはある。でも、今はそれどころではなかった。だから……
「すみません……急いでいるんで」
そう言って、脇を通り抜けようとする。そのとき。
「困っているんだろ。アイツがどこにいるか。教えてやろうか」
彼はそう言った。一瞬、自分の耳を疑った。彼は何と言った……?ゆっくりと後ろを振り向く。
「俺も、ここ数日、あの人の姿が見えないことには気付いていた。これでも、アイツは俺と妹にとっての恩人なんでね」
「あなたは……一体?」
「朱鐘(あかね)、この名前に聞き覚えはあるか?」
「……まさか……!」
「俺の名前は星野賢(ほしのさとる)。星野朱鐘の兄貴さ」
そうして、彼は語りだす。彼の物語を。
ⅳ
小学生のころだった。妹に友達ができた。それまで、妹に友達はいなかった。当然だ。ずっと、入院していたんだから。それから、妹は笑顔を見せることが多くなった。俺も嬉しかった。妹は明るく振る舞っていたが、それでも、どこかで無理をしているようだったから。だから、その子が友達でいてくれて、本当に嬉しかった。けれど、そんな時間は長くは続かなかった。妹の病状が悪化した。そして、あっという間に、朱鐘は死んでしまった。しばらくの間、俺は現実を受け止めることができなかった。抜け殻みたいに、日々を過ごしていた。そんなときだった。ある噂を耳にするようになったのは。白髪(はくはつ)の少女が、人助けをしていると。そう、少女の名前は天音施音(あまねしおん)だった。
アイツは自分の身体を壊すかのように、人助けをしていた。黒かった髪の毛も真っ白になってしまっていた。妹の友達が、そんなことをしている。とても耐えられなかった。だから、俺は近寄った。アイツのもとに。でも、上手くはいかなかった。アイツは完全にイカれてしまっていた。
あるとき、俺はこう尋ねた。「どうして、そこまでするんだ。朱鐘もそんなこと、望んじゃいない」と。だが、アイツはこう答えた。「そうかもしれない。でも、こうするしかないの」と。
とても理解できなかった。何度も説得しようとした。けれど、聞いてもらえなかった。そうして、俺はアイツのもとを離れた……
彼が息をつく。
「今でも、アイツは朱鐘とのことを後悔しているのか……」
それはかすかな呟きだった。意識しないと聞き取れないほどの。
「はい。後悔していると思います」
瞬間、彼はこちらをジッと見つめてくる。
「どうして分かる。一年、お前はアイツの何を知っている?」
声にはわずかに怒気が含まれている。理解できない。そう言いたげだった。
「説明している時間はないです。それでも、分かります。これだけは確かです」
かつての記憶が甦ってくる。それは巻き戻された時間のもの。先輩との数々の思い出。僕の中で、それらは息づいている。
沈黙。長い、長い時間が経った。やがて、彼は口をゆっくりと開いた。
「はは、一年。お前も大概だな。一つだけ聞かせてほしい。その言葉に嘘はないな」
真剣な口調。視線が交錯する。
「はい。嘘はないです」
はっきりと言い放つ。目を逸らさずに。わずかな間。彼はポケットに手を入れ、一枚の紙を取り出した。
「それは……?」
「死ぬ前、朱鐘が書いたものだ。何度も渡そうとした。けれど、アイツは受け取ってくれなかった。だが、お前ならば……」
それを受け取る。そこには彼女の想いが綴られていた。
「ありがとうございます……!必ず渡します!」
胸の中に、熱いものがこみ上げてくる。僕の中で、曖昧だったものが一つのかたちをとり始める。それは答え。先輩と向き合うための。
「アイツは病院の屋上にいるはずだ! この町で一番大きな病院、小鐘病院の屋上に!」
背中から声をうける。そうして、僕は走り出す。先輩のもとへ向かって。
ⅴ
目の前には、屋上への扉がある。ここに先輩が……そう思うと、胸の奥が締め付けられそうになる。僕は先輩と向き合えるのだろうか。一瞬、そんな不安がよぎる。けれど、頭を振り、不安を追い払う。そして、前を見据える。ドアノブに手をかけ、ゆっくりと捻っていく。
扉を開ける。そこには白髪(はくはつ)の少女の姿があった。屋上の縁に立ち、今にも、飛び降りそうで……
「先輩!」
思わず、声を張り上げる。先輩がこちらを振り向く。その頬からは一筋の滴が伝っていた。
「穂鳥(ほどり)くん……どうして、ここが」
今にも、消えてしまいそうな声。
「星野先輩に教えてもらったんです。星野朱鐘さんのお兄さんに」
「そう……彼に……」
先輩の身体がユラユラと揺れる。今にも、落ちてしまいそうな。けれど、落ちずにいる。きっと、先輩は揺れている。今ならば、引き留められるかもしれない……いや、引き留める。
「先輩、これを読んでほしいんです。朱鐘さんからの手紙です」
そう言って、一枚の紙を掲げる。それは遺言。彼女からの手紙。
先輩の目が大きく開かれる。やがて、先輩はこちらに歩みを進めてくる。ユラユラと。一歩ずつ。けれど、確実に近づいてくる。そして、僕は彼女の手紙を差し出す。先輩が受け取る。その手は震えていた。そうして、先輩は彼女の意志に触れていく。
どれぐらいの時間が経っただろう。先輩の瞳から、大粒の滴が零れだす。ポタポタ、ポタポタと。滴が彼女の手紙を濡らしていく。
「……朱鐘……!」
先輩は膝をつき、手紙をギュッと抱えている。
そう、彼女は先輩のことを恨んでいなかった。それどころか、彼女に感謝していた。手紙にはありったけの感謝の気持ちが綴られていた。呪いなんてものはどこにもなかった。
「先輩、朱鐘さんは先輩のことを恨んでなんていなかった。だから、先輩が自分を犠牲にする必要なんてどこにないんです」
言葉を紡いでいく。僕の想いが届くように。しかし、未だ、先輩の表情は暗い。
「でも……私はあなたを……何度も……何度も……殺してしまった!私はあなたの傍にいる資格がない!」
心からの叫び。だから、先輩は消えようとした。不幸の元凶を絶つために。けれど、僕はそれを許さない。
「先輩、正直なところ、先輩が僕を殺してしまったこと。そのことにどう向き合えばいいのか。今でも、分かりません」
先輩の肩がビクッと震える。
「でも、これだけは言えることがあります。それでも、僕は先輩のことが好きです。例え、先輩が僕のことを殺したとしても、積み重ねてきたものは、決して、嘘じゃないから」
「でも……私は……!」
「部室に置かれたもの、読みました。先輩にとって、一人で消えていくことは幸福なのかもしれません。それでも……」
あれは、僕にとってのハッピーエンドではない。だから、僕は……
「申し訳ないと思うなら、僕の幸せを思うなら、僕の傍にいてください……」
声が震える。気付いたら、温かなものが頬を伝っていた。僕は、自分のエゴで先輩を縛り付けようとしている。これが正しいことなのか、僕には分からない。それでも、僕は先輩に生きてほしかった。
「施音先輩……僕を……一人にしないでください……」
確かに、ツバメを犠牲にしないことで、王女さまは幸福なのかもしれない。それでも、ツバメは王女さまにも幸せになってほしかった。
「歩くん……」
先輩の顔を見る。瞳からは大粒の滴が零れ落ちている。その瞳に僕の顔が映る。僕の顔もぐちゃぐちゃだった。どちらからともなく、歩みを進める。半径0.01メートルの距離。目と鼻の先に、先輩の顔がある。先輩はそっと目を瞑った。言葉はいらなかった。顔を近づけていく。やがて、唇に柔らかなものが触れる。半径0メートルの距離。その日、僕たちは結ばれた。
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