第七話 The happy princess ~finale~



改札口を通る。そうして、構内を進んでいく。手の中には、温かな感触。先輩がそこにいることを感じる。今日だけで、先輩にぐっと近づけた。そんな気がする。けれど、もうすぐ、そんな時間も終わってしまう。まだ、この時間が続いてほしい。そう思うと、歩みが遅くなる。それでも、確実に、終わりは近づいてくる。やがて、僕たちは1番乗り場に辿り着く。


構内にアナウンスが響く。もうすぐ、先輩の乗る電車が来る。


「……施音(しおん)先輩、今日はありがとうございました。本当に楽しかったです!」

「歩(あゆむ)くん……私も……楽しかった!」


僕たちは言葉を交わす。否応なしに、別れのときを意識してしまう。別に、今生の別れというわけではない。明日になれば、学校で会える。そう思っても、この時間が終わってしまうこと。それが残念だった。思わず、先輩の手をギュッと握ってしまう。すると、先輩も、僕の手を握り返してくれた。きっと、このとき、僕たちは同じ気持ちだった。


電車が近づいてくる音がする。


「じゃあ、施音先輩、また明日」


「うん、歩くんも、また明日」


目の前を、電車が横切る。そのとき、けたたましい音が鳴った。それはブレーキの音。そして、女の人の悲鳴。一瞬遅れて、構内にはいくつもの悲鳴が響きわたる。何が何か分からなかった。


やがて、アナウンスが流れた。


「ただいま、当駅にて人身事故が発生いたしました」


人身事故。頭のなかで、その言葉が繰り返される。誰かが死んだ。けれど、現実感が伴わない。まるで、空に浮いているかのように。ふわふわとしていて。


どれぐらいの時間が経っただろうか。僕は我に返り、先輩の顔を見る。先輩の顔は青ざめていた。けれど、その瞳には強い意志が宿っていた。


(きっと、先輩は時間を巻き戻すつもりだ。あのときのように……一人で背負いこんで・・・・)


止めようとする。が、思うように、口が動いてくれない。だから、僕は手を伸ばした。





改札口を通る。瞬間、奇妙なものが脳裏を走る。それは光景。目の前を電車が横切り、けたたましい音が響く。そして、アナウンス……


思わず、頭を押さえてしまう。これは……「未来視」。けれど、何かが引っかかる。そう、違和感がある。そのとき、手の中の、温かいものが離れていった。僕のわきを先輩はすり抜けていく。その瞳には強い意志が宿っていた。


(マズイ……先輩はこの事故を止めるつもりだ。一人っきりで)


すぐに、僕は先輩を追いかける。思いとは裏腹に、先輩の背中はどんどんと遠ざかっていく。日頃の運動不足を呪う。それでも、足を止めることはしない。先輩を一人にしたくないから。


階段を駆け上がっていく。そうして、一番乗り場に辿り着く。辺りを見渡す。白髪(はくはつ)の少女が目に留まる。先輩だ。足の指がジンジンと痛む。けれど、泣き言を言ってられない。脇目もふらず、僕は駆け出す。先輩のもとへ。


「先輩!」


声を張り上げる。先輩は辺りを見渡していた。きっと、人身事故にあう人を探しているのだろう。そのときだった。僕の目の前で、一人の女性が身体を傾けた。線路のほうへ。ふと、目が合ってしまう。穏やかな表情だった。そして、彼女は姿を消した。けたたましい音が鳴り響く。そして、彼女の悲鳴。それは、僕の頭のなかで、繰り返される。何度も、何度も。やがて、嫌な臭いが漂い始める。鉄臭い、血の匂い。それは、人が死んだということを思い出させる。喉元を酸っぱいものが上がってくる。顔をうつむけ、それを吐き出す。血の匂い。吐き出されたもの。それらは混ざり合い、鼻をツンと突き刺す。視界がかすんでくる。さっきまでの時間が嘘のようだった。夢ならば、覚めてほしかった。


気付けば、肩に温かいものがあった。顔を上げる。先輩の手だ……


「歩くん、ごめんなさい……やっぱり、私、壊れてる……」





改札口を通る。そのとき、奇妙なものが脳裏を走る。それは光景。目の前で、一人の女性が身体を傾けていく。線路のほうへ。ゆっくりと。


喉元を酸っぱいものが上がってくる。けれど、何とか、それを堪える。そして、違和感の正体に気付いた。思い返せば、以前から、その兆候はあった。けれど、僕は気付くことができなかった。これは……「未来視」ではない。僕はこの光景を見たことがある。二度……


そのときだった。小さな声が聞こえてきた。それは嗚咽。後ろを振り返る。先輩はその場に座り込んでいた。


「先輩……」


「どうすればいいの……」


そう言うと、先輩は膝を抱え込む。その声は震えていた。きっと、先輩は揺れていた。助けようとした人が、自ら命を絶ったから。僕は先輩の孤独を和らげたかった。ただ、その一心でこう言った。


「先輩……先輩は一人じゃないです」


沈黙。長い、長い時間が経ったような気がする。やがて、先輩はゆっくりと顔を上げた。


「先輩、僕も覚えています。事故があったこと。先輩がその人を助けようとしていたこと」


「……どういうこと……?」


「既視感(デジャブ)です……僕は時間が巻き戻されたことを覚えている。だから、先輩は一人じゃないです」


ゆっくりと言葉を紡ぐ。先輩に伝えたかった。先輩は一人じゃないと。僕も同じ世界を見ていると。けれど、僕は気付いていなかった。その言葉が、先輩を壊してしまったことに。


「でも……それなら……あのとき」


先輩は呟く。分かち合えた。そう、思っていた。


「いや……わたし……なんてことを……」


先輩は両手で頭を抱える。様子がおかしい。そして、先輩は声をあげる。それは悲鳴。世界を壊してしまいそうなほどの。かくして、時計の針は巻き戻った。あの日へ向かって……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る