第六話 The happy princess~ interlude~
ⅰ
放課後、文芸部の部室。ふと、前を見る。視線が交錯する。先輩がこちらをじっと見つめていた。瞬間、先輩の頬がサッと染まる。まるで、ほおずきのように。真っ赤に。
「どうしたの……穂鳥(ほどり)くん……?」
「いえ……その……」
言葉に詰まる。けれど、居心地の悪さは無い。むしろ、むず痒い。思わず、ガシガシと髪の毛をかいてしまう。それでも、むず痒さはおさまらなかった。
そう、あの日、僕たちは恋人になった。それ以来、何となく、落ち着かなくて、話すこともままならなかった。
何か話さないと。そう思っても、言葉は出てこない。縋るように、窓の外を見る。いつの間にか、空は茜さしていた。
「そろそろ……帰ります……?」
「うん……帰りましょうか……」
席をたつ。まだ、むず痒さが残っている。頭のなかに、靄がかかってしまったようだ。部室の扉にフラフラと向かっていく。そして、引き戸に手をかけようとする。そのとき、指先と指先がぶつかった。横を見る。先輩も、引き戸に手をかけようとしていた。
「先輩……どうぞ」
「穂鳥くんのほうこそ……どうぞ」
早く、手を動かさないと。そうしないと、外に出られない。けれど、身体は思うように動いてくれない。指先には、柔らかなものが触れていた。小さな指。頬が熱くなる。けれど、先輩に触れられている。そう思うと、少し嬉しくて。先輩も同じ気持ちなのだろうか。ふと、先輩の顔を見る。先輩はジッとうつむいていて、その頬は真っ赤に染まっていた。どれくらいの時間が経っただろうか。どちらからともなく、指先を離す。
「帰りましょうか……」
「そうですね……」
そうして、僕たちは部室をあとにする。指先が触れるか触れないかの距離を保ちながら。
ベッドに倒れ込む。そうして、柔らかな布団に包まれる。いつもなら、このまま眠ってしまう。けれど、今日は違った。今も、胸の奥が締め付けられているようだ。こうしていても、先輩のことを考えてしまう。小さな指、柔らかな感触、真っ赤に染まった頬……
気付けば、身悶えしていた。何度も、何度も、布団の上で寝返りをうつ。それでも、頭のなかの先輩は離れてくれない。頬が熱い。自分でも、何が何か分からなかった。
どれくらいの時間が経っただろうか。何度も寝返りをうったからか、布団はグチャグチャになってしまっていた。息をつき、仰向けになる。蛍光灯の柔らかな光が降り注いでくる。胸の奥の締め付けが少し弱くなった。そんな気がした。
(僕は……どうしたいのだろう)
あの日、先輩と恋人になった。けれど、恋人になってから、どうしたいかなんて考えてもいなかった。ただ、先輩に近づきたい。先輩のことをもっと知りたい。その一心だった。
(深く考えすぎなのかも……)
そう、簡単なことだった。先輩のことをもっと知りたいなら、先輩との時間を増やせばいい。勢いよく、ベッドから起き上がる。そして、かたわらのスマートフォンを手にし、机に向かう。そのとき、僕は一つの決意を固めていた。
ⅱ
「穂鳥くん、お疲れさま……」
「先輩も、お疲れさまです……」
部室の扉が開く。先輩だ。先輩も席につく。沈黙。やはり、むず痒い。けれど、僕は口を開いた。思い切って。
「先輩、今日は話があるんです。大事な話が」
恐る恐る、声をかける。すると、先輩の顔に陰がさした。
「なに……大事な話って」
先輩の声は震えている。もしかして、不安にさせてしまったのだろうか。このままではいけない。そう思い、話を切り出す。
「あ、違うんです。大事な話と言っても、悪い話じゃなくて、いや、大事な話であることに変わりはないんですけど……」
しどろもどろになる。思うように、舌が回らない。昨日、あれほど、今日のことを想定していたのに。
「その……先輩……今度の休み、暇ですか?」
「え……暇だけど……」
沈黙。一瞬の間。やがて、先輩の顔がぱあっと明るくなる。
「今度の休み、どこかに行きませんか」
ⅲ
人ごみをすりぬけ、改札機に切符を通す。そして、駅前の広場を見る。どうやら、先輩はまだ来ていないようだ。手近なベンチに近寄り、腰かける。そう、今日は先輩とのデートの日。
そう思うと、胸の奥がムズムズしてきた。思わず、スマホを取り出して、自分の格好を確認してしまう。おかしなところはないだろうか。そんな不安がよぎる。それと同時に、先輩がどんな格好で来るのかが気になってくる。心が浮足立つ。まるで、自分が自分ではないみたいだ。
そのとき、改札口から、白髪(はくはつ)の少女が姿を現した。一瞬のうちに、目を奪われてしまう。彼女は、真っ黒なワンピースを纏っていた。首元や、袖口にはレースがあしらわれている。彼女の体躯は華奢であったが、それが可憐さを際立たせていた。そして、彼女は歩みを進める。僕のもとへ。
「穂鳥くん、おはよう……待たせちゃったかしら……?」
鈴が鳴るような声。くりくりした目。あどけない顔立ち。先輩だ。いつもと同じ。けれど、どこかが違う。
「穂鳥くん……?どこか変……?」
先輩が不安そうに尋ねてくる。瞬間、ハッと我に帰る。見惚れてしまっていた。そう、いつもと違う服装。それだけで、僕の視線は釘付けにされてしまった。
「いや!そんなことないです。とても似合っています!」
声が裏返ってしまい、頬がカーッと熱くなる。恥ずかしい。けれど、ここで目を逸らすわけにはいかない。先輩の顔を見つめる。先輩は鳩が豆鉄砲を食ったような表情をしていた。やがて、その頬が染まっていく。
「ありがとう……穂鳥くんも恰好いいよ……!」
むず痒い。逃げ出したい。でも、視線を外したくない。このままでいたい。そんなジレンマ。
「じゃあ、行きましょうか……」
「うん……」
そう、先輩は返す。見ると、所在なさげに、手を泳がせていた。思わず、抱きしめたくなる。けれど、その衝動を堪え、手をゆっくりと伸ばしていく。先輩のもとへ。やがて、指先と指先が触れ合う。
「手……繋いでもいいですか……」
先輩はコクリと頷く。耳まで、真っ赤に染まっていた。やがて、指と指が絡まっていく。手のなかに、温かな感触がいっぱいに広がる。小さな手。でも、確かに、先輩がここにいること。それを感じる。
そうして、僕たちは歩みを進めていく。ぎこちなく、けれど、一歩ずつ。
ⅳ
古びた紙の匂い。独特だけど、どこか癖になる。そんな匂い。そう、僕たちは古書店にいた。
「穂鳥くん!見て見て。これ、絶版のはずの稀覯本よ!こっちにも!」
手をグッと引かれる。凄い力だった。今や、先輩は、手を繋いでいることを意識していないほどに、はしゃぎまわっていた。
初めてのデートで、古書店巡りはどうなのだろうかと思ったこともあった。けれど、僕も先輩も本が好きだから。そう思い、ここを選んだ。どうやら、間違いではなかったようだ。思わず、僕は安堵する。
「ねえ、穂鳥くん?聞いてる?こっちとこっち。どっちが良いと思う?」
そう言う、先輩は二冊の本を掲げていた。そして、その値札を見て、ギョッとする。
「先輩、値札……」
ゆっくりと指さす。とても、僕たちには払えそうにない値段だった。
「え、値札」
先輩は本をひっくり返し、値札を確認する。すると、みるみるうちに、先輩の顔が沈んでいく。さっきまでのはしゃぎっぷりが嘘のようだ。そうして、先輩は二冊の本を元の位置に戻す。まるで、何もなかったかのように。
「穂鳥くん、あっちに行きましょ!」
また、手をグッと引っ張られる。先輩はさっきまでのことを無かったことにしようとしているようだ。思わず、苦笑する。けれど、また、違う表情を知ることができた。やっぱり、ここに来て良かった。改めて、そう思った。
ⅴ
「ご予約されていた、穂鳥さまですか? こちらへどうぞ!」
店員さんの快活な声が響く。僕たちは、とあるイタリアンレストランに来ていた。ふと、店内を見渡す。ほぼ満席だった。念のため、昨日に予約をとっておいて良かった。思わず、胸をなでおろす。
「ご注文が決まりましたら、お呼びください。それでは、ごゆっくりどうぞ」
席につく。見ると、先輩の身体はガチガチに固まっていた。
「穂鳥くん、このお店、高くないの?凄そうなところだけど……」
「大丈夫ですよ。ちゃんと調べてきましたから。お手ごろな価格らしいです」
本当だ。昨日まで、デートのとき、昼食をとるにはどこが良いのかを必死に調べていた。なにせ、初めてのデートだ。何も分からなかった。ひたすらに調べた。そうして、このお店に辿り着いた。
「よかった……手持ちのお金で足りなかったらと不安になっちゃって……」
そう言って、先輩は頬をわずかに赤らめる。瞬間、胸が締め付けられそうになる。今日は、先輩にドキドキさせられっぱなしだ。そう思うと、ささやかな悪戯心が湧いてきた。
「先輩、そう言えば、先輩って僕のことを名前で呼んでくれないんですか?」
気軽に尋ねる。まるで、何でもないことのように。わずかな間があった。先輩の頬が真っ赤に染まった。そうして、先輩は手をブンブンと振る。
「そんなの無理!今だって……恥ずかしくて倒れちゃいそうなのに……」
先輩はメニュー表で顔をかくしていた。けれど、完全に隠れてはいない。こちらを伺うように、目を覗かせている。
頬が熱くなる。恥ずかしい。逃げ出したくなる。けれど、衝動を必死に堪え、ほんの少しの勇気を振り絞る。
「じゃあ、僕が呼んだら、呼んでくれるんですか?」
そう、尋ねる。声は震えていた。
未だ、先輩は顔を隠している。そのとき、携帯のアラームが鳴った。こんなときに誰だろう。確認してみる。先輩からだった。
『本当に呼んでくれたら、いいよ』
そう書かれていた。前を見る。先輩は目を覗かせ、こちらをジッと見つめていた。そして、僕は決心する。
「施音(しおん)先輩……」
先輩と呼ばないことはできなかった。僕にとって、先輩は先輩だったから。
沈黙。どれぐらいの時間が経っただろう。そのとき、小さな声が聞こえてきた。
「……」
「え……先輩?」
「歩くん……」
胸の奥が高鳴る。心臓の鼓動さえも聞こえてくるようだ。視線が交錯する。
「施音先輩」
「歩(あゆむ)くん」
そうして、僕たちは名前を呼びあった。何度も、何度も。そのあと、イタリアンを食べた。けれど、どんな味だったかは覚えていない。
ⅵ
暗がりのなか。スクリーンの明かりがぼうっと浮かび上がってくる。そうして、上映が始まった。
どうやら、初デートには映画が良いらしい。必死に調べているとき、そんなことを目にした。最初は、僕も疑った。映画館では会話も何もないのでは?と。けれど、調べてみても、安価のデートスポットは限られていた。先輩はともかく、僕は運動が苦手だ。だから、活動的な場所は避けたかった。別に、先輩のことを疑っているわけではない。ただの見栄だ。そうして、僕は藁に縋った。
スクリーンでは、話題の映画が上映されている。物語は、少女と少年が出会うところから始まった。今、物語は佳境に差し掛かっている。運命の悪戯から、少年と少女は引き裂かれる。そのとき、手に温かなものが触れた。先輩の手だ。ふと、横を見る。先輩の視線はスクリーンに釘付けになっていた。どうやら、意識していないらしい。
僕は、先輩の手をそっと握り返す。そして、物語の終わりは近づく。スクリーンでは、少年と少女がキスをしていた。先輩がギュッと握り返してくる。また少し、僕たちの距離は近づいた。そんな気がした。
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