第二話 いつかの彼女。涙の理由



ブレザーを脱ぎ捨て、ベッドの脇に放り投げる。きちんと片づけないと。そう思っても、身体は鉛のようで、ちっとも動いてくれない。それに、心も……


(はぁ、出鼻くじかれちゃったなぁ)


ベッドに倒れ込む。柔らかな布団、顔をうずめると、大きなものに包まれているようで落ち着いてくる。そうしていると、身体の力が抜けてきた。そして、今日の出来事が浮かんでくる。あまりに多くのことがありすぎた。あの日の彼女との再会、入学式、そして、図書室での一件……お礼は言えた。そのはずだ。なのに、心のなかに、モヤモヤしたものが残り続けている。


それを振り払おうと、布団のうえで寝返りをうつ。けれど、心は晴れてくれない。


(やっぱり、このままだと納得できない……)


だって、なにも返せていないから。自分は命を救ってもらったのに。


けれど、どうすれば。いくつもの疑問が頭をよぎる。何かしたい。でも、何をすればいいかが分からない。考えるほど、深みに嵌まっていく。


どれぐらいの時間が経ったのだろう。未だ、答えは出ない。やがて、僕は重い腰を上げる。


(考えていても仕方ない。とりあえず、今日は気分を切り替えよう)


そう思い、部屋の隅の本棚の前に立つ。本棚には、所狭しと、いくつもの本が詰め込まれている。ライトノベル、SF、ミステリー、ホラー、ファンタジー。ざっと見るだけで、さまざまなジャンルに手を出していることが分かる。思わず、笑いそうになる。本はその人の心を映す ということがまことしやかに囁かれているけど、これが本当ならば、僕の心はどうなっているのだろう。そして、一冊の本を取り出す。タイトルは『セカイの終わり、君とのエンドロール』ライトノベルだ。


椅子に座り、適当なページを開く。もう何回も読んでいるので、内容は覚えてしまっている。それでも、ページを開き、物語に触れていると、気持ちが落ち着いてくる。僕にとって、本を読むという行為は世界と折り合いをつけるための術だった。


物語のなかでは、ちょうど、クライマックスのシーンだった。宇宙人の少女。彼女は、ただそこにあるだけで、無数の隕石を引き寄せてしまう。いくつもの隕石は世界に降り注ぎ、甚大な被害をもたらしていた。だから、少女は命を狙われることになる。そして、少女の命を狙うのは主人公の少年、渉(あゆむ)。彼は少女の命を奪おうとするが、その過程で、彼女の内心に触れていき、彼女の命を奪うことに躊躇いを覚え始める。だが、渉の葛藤とは関係なく、世界の崩壊は進んでいく。隕石が降るなか、渉は一つの決断をくだす……


視界がかすんでくる。強烈な眠気に襲われ、意識が朦朧としてくる。


(駄目だ。布団へ戻らないと……)


腰を上げ、布団に戻ろうとするが、身体は思うように動いてくれない。そして、僕の意識は沈んでいく。





あれから、数日が経った。ぼくの悩みとは関わりなく、時間は進んでいく。未だ、彼女のために何が出来るのか、その答えは見つかっていない。


(どうしたものかなぁ……正直なところ、検討もつかない)


そのとき、前の席から声が聞こえてくる。関口くんだ。


「穂鳥―。部活の仮入部の話だけど、おまえはどうする?」


「へ? 仮入部」


思わず、素っ頓狂な声が出てしまう。いったい、彼は何の話をしているのだろう。


「そう。仮入部。先生の話聞いてなかったのか?」


知らなかった。ここのところ、彼女のことで頭が一杯で、先生の話をキチンと聞けていなかったかもしれない。


「うん……ちょっとボーっとしてて……」


「はは、五月病には早いぞ。で、どこに入るつもりなんだ」


「そうだね……うちの高校に文芸部ってあったっけ?」


「確か、あったと思う。」


そう言うと、関口くんはある冊子を取り出す。そこには、部活の一覧表とそれぞれの部活の活動内容。そして、活動場所が学校の地図に明記されていた。


「ほら。ここ見ろよ」


彼がある場所を指さす。そこは、三階の片隅の一室。ちょうど、図書室の隣の教室だった。





放課後、僕は、三階の片隅の一室の扉の前にいた。そう、文芸部の部室のまえに……


(緊張するなぁ……どうしよう。一年生が僕だけだったら)


二年生、三年生がいるなか、僕だけがポツンと座っているところを想像してしまう。嫌な想像を掻き消すように、頭を振る。心配しても仕方がない。そう思い、扉をノックする。


沈黙。反応がない。誰もいないのだろうか。もう一度、ノックする。やはり、誰もいない……?扉に手をかける。突っかかるような感触がない。どうやら、扉は空いているらしい。


(なんて、不用心な……)


学校のなかと言えど、鍵がかかっていないとは思わなかった。一応、中の様子も確認しておいたほうがいいかもしれない。深呼吸し、扉に手をかけ、ぐっと引く。


そこには、白髪の少女、天音施音がいた。


部室は簡素な作りになっていた。壁際にはいくつかの本棚が置かれており、そこには無数の本が几帳面に並べられている。そして、中央には大きな机が据えられている。きっと、この机を囲んで、あれこれと議論するのだろう。だが、今、ここにいるのは彼女だけだ。天音施音、彼女は椅子に座り、本を黙々と読んでいる。


呆気にとられる。まさか、彼女がここにいるなんて……


そのとき、彼女が顔を上げ、こちらを見た。


「あら、あなたはあのときの」


そう言うながら、彼女は耳栓を外す。道理で、どれだけノックしても反応が返ってこないわけだ。


「どうも……仮入部希望で来ました……ところで、他の部員の方たちは……?」


「ほかの部員? ああ、普段は来ないわよ」


まさか、そんなことがあるのだろうか。確か、うちの学校では、原則、部活に所属することが義務付けられていたような……


「ああ、なるほど。どうして来ないかを疑問に思っているのね。答えは簡単よ」


「と言いますと……?」


「わたしがいるから」


まるで、彼女は、なんでもないことのように言い放つ。そう、この状況を作ったのは自分自身であると。


「え……と。それだと、部活が潰れてしまうんじゃ……」


そう、部活を維持するには人数が必要だ。彼女だけでは、部活を維持するための実績がない。


「少しだけ、語弊があったわね。『普段』は来ない。けれど、定例会には集まるの。どうしても、集まらないといけないときだけ」


「どうして……?」


「簡単な話よ。部活に所属することが義務付けられていると言っても、全ての生徒が部活に積極的とは限らない。そして、この部活はそうした生徒の受け皿になっているの」


つまり、この部活は幽霊部員だらけで、実質的な活動はしていないということなのだろう。心のなかに、澱がたまっていく。まさか、こんなことになってるなんて……


「落胆した? ちゃんとした部活をやりたいなら、他のところに行ったほうがいいわよ」


確かに、落胆はある。けれど、ここには彼女がいる。なにより、そのことが重要だった。


「そうですね……落胆がないとは言いません。けれど、僕はこの部に仮入部することに決めました」


「そう、定例会のときは連絡するから」


彼女は淡々という。きっと、何回も言ってきたのだろう。それこそ、決まりきったことのように。


「いえ、ちゃんと活動します。活動日はいつです?」


そう言うと、彼女は目を丸くした。鳩が豆鉄砲を食ったような表情。彼女がそんな顔をしたことが意外で、呆気にとられてしまう。


「あなた……変わっているのね」


彼女に言われるとは思わなかった。確かに、変わっているかもしれない。幽霊部員だらけの部活に入部するなんて。


「はは……そう言えば、自己紹介がまだでしたよね。僕は穂鳥歩って言います。穂を摘むの穂に鳥で穂鳥です」


「そう。わたしは天音施音」


先輩はいつもの表情に戻っていた。先輩のために何が出来るかは分からない。それでも、この部活に所属するなか、それを見つけていきたい。


「ところで、何て呼べばいいでしょうか……えーと」


「好きに呼んでくれて構わないわ」


「じゃあ、天音先輩。あらためて、よろしくお願いします」


「ええ、よろしく」


こうして、僕は文芸部に仮入部することになった。





ページを捲る音が聞こえてくる。顔を上げる。天音先輩は黙々と本を読んでいる。声をかけることが忍ばれるほどに……


僕が仮入部してから、数日が経った。最初のころ、天音先輩はどのような活動をしているのだろう、そういった期待があった。けれども、その期待は儚くも打ち砕かれていった。毎日のように、部室に通っている。けれど、することは読書だけ。僕だけが違うことをするわけにもいかず、倣うように読書をしている。


このままではマズイ。確かに、ここは幽霊部員だらけで、部としては機能していないかもしれない。それでも、ここには、二人いる。きっと、出来ることがあるはずだ。そう思い、辺りを見渡す。そのとき、ある考えが脳裏をよぎる。


「天音先輩。ちょっといいですか?」


沈黙。どうやら、読書に没頭しているようだ。確かに、僕も読書に没頭しすぎて、夕飯を食べ忘れてしまい、母に呆れられたことがある。だから、先輩の気持ちはよく分かる。けれど、ここで引き下がるわけにはいかない。


「天音先輩!」


声を大きくする。先輩が顔を上げた。


「あ、ごめんなさい。読書に没頭していて……」


「いえ、大丈夫です。ちょっと聞きたいことがあって……」


「なにかしら?」


「天音先輩ってどういう作品を書かれるんです」


何気ない疑問。ここは文芸部だ。文芸部では小説を書く。少なくとも、僕の中学ではそうだった。もしかしたら、天音先輩も作品を書かれているかもしれない。そう思った。


先輩の顔を見る。また、鳩が豆鉄砲を食ったような表情をしている。ここ数日で分かったことがある。確かに、天音先輩は近寄りがたい雰囲気を帯びている。けれど、時々、とりわけ、驚いたときには素の彼女が出てくる。


「……まさか、そんな質問をされるとは思っていなかったわ。けど、文芸部員なら、当たり前の質問かもしれないわ……」


先輩がゆっくりと返事をする。僕の質問を咀嚼するように。どうやら、かなりのショックだったらしい。今まで、この部活ではどのような活動がされてきたのだろうか……


「そうね。ちょっとだけ待ってもらえるかしら」


そう言うと、先輩は席を立つ。そして、本棚のほうへ近寄っていく。背筋をピンと張り、手を必死に伸ばしている。どうやら、本棚の最上段に収められたものを取ろうとしているらしい。けれど、先輩の身長ではわずかに届かず、指先が触れるか触れないか。見てられず、席を立つ。


「これで合ってます?」


そう言い、原稿用紙の束を取り出す。


「そう、それで合っているわ……」


見ると、先輩は顔をうつむけていた。かたわらの椅子をチラチラと見ている。どうやら、椅子を持ってくることを忘れるほどに動揺していたらしい。


原稿用紙の束を手に取り、席につく。


「これが天音先輩の作品ですか?」


「ええ、そうよ」


目を下ろし、タイトルを確認する。そこには、『百一匹目の羊』と記されていた。


「読んでもいいですか」

「ええ」


そうして、僕は触れていく。先輩の世界の一端に。





息をつく。窓を見ると、空に赤みがさしている。いつの間にか、かなりの時間が経っていたらしい。ふと、前を見る。先輩が伺うように、こちらをじっと見つめている。


「……どうだった?」


頭のなかで、言葉を慎重に選ぶ。先輩の作品は、一種の童話だった。あるところに、百匹の羊がいる。羊たちは牧草地を転々としていく。やがて、群れのなかに、百一匹目の羊が生まれた。けれど、百一匹目を賄えるだけの牧草はどこにもない。だから、親の羊のかたわれは群れを去っていった。そうして、百一匹目の羊は百匹目の羊となった。とても救われない。残酷なお話。


「そうですね……まず、引き込まれたことは事実です。先輩の筆致は、羊たちの悲劇を淡々と描いている。ある意味、それはドライと言えるかもしれないですが、この作品にはマッチしている。淡々としているがゆえ、その残酷さが際立つ……そんな気がします」


率直な感想を言う。遠慮が足りないかもしれない。それでも、先輩は自分の作品を見せてくれた。それならば、真剣に応えたい。そう思った。


先輩の顔を見る。ジッとうつむいている。言葉を誤ったかもしれない。と、そのとき。


「……」


「え……?」


先輩の口がもごもごと動く。見間違いだろうか。


「ありがとう……今まで、そんなこと言ってもらったことないから……」


先輩の頬はわずかに赤らんでいた。あくまで、顔をふせがちにしたまま、こちらをじっと見つめている。


「いえ、僕のほうこそ、差し出がましいことを言ったかもしれなくて……」


教室のなかに、夕陽がさしこむ。温かな光がぼくらを包み込む。少し、先輩に近づけた。そんな気がした。


「でもね」


と、先輩は呟く。いつもの表情。まるで、それは人形のようで。


「あの物語は悲劇ではないの。わたしにとって、あれはハッピーエンド」





放課後、僕は部室の扉の前で立ち尽くしていた。窓際からは夕陽が差し込み、廊下を赤く染めている。頭のなかでは、先輩の言葉が繰り返されていた。


(どうして、先輩はあんなことを)


少し、先輩に近づけたと思った。でも、また、突き放されてしまった。あのとき、僕はどうすればいいか分からず、何も言うことができなかった。そして、今も迷っている。


けれど、いつまでも、こうしているわけにはいかない。背筋を伸ばし、深呼吸をする。そして、扉をグッと開ける。


そこには、先輩がいた。ただ、いつもとは様子が違った。椅子に座り、机に伏している。


血の気が引く。先輩はぐったりとしている。その姿はまるで……瞬間、嫌な想像が頭をよぎる。思わず駆け寄る。すると、規則的な呼吸音が聞こえてきた。恐る恐る、顔を確認する。穏やかな寝顔だった。


安堵が広がる。嫌な想像は、杞憂に終わってくれた。我ながら、馬鹿げた想像をするものだと自嘲する。


そのとき、かすかな声が聞こえた。先輩の声だ。


「……ごめんなさい。だから、置いていかないで」


先ほどとは違う。目はギュッと閉じられ、何かに耐えるような表情をしている。


「朱鐘(あかね)……わたしを一人にしないで」


そして、先輩の瞳から、一筋の滴が零れた。


そのとき、僕のなかで何かが変わった。確かに、僕に先輩のことは分からない。今も、昨日の言葉の真意は掴めない。けれど、先輩を一人にしたくない。そう思った。


踵を返し、扉をそっと閉める。なすべきことをなすために。


教室を目指し、一足飛びに、階段を降りていく。そのとき、下から、茶髪で大柄の男の人が上がってきた。


「よっ、アイツには会えたかい。一年」


彼は……あのときの。先輩の居場所を教えてくれた人だ。


「はい。あのときはありがとうございました。それよりも今は急いでいるので」


頭をスッと下げ、脇を通り抜けようとする。


「引き返すなら、今のうちだぜ。あまり、軽い気持ちで関わらないほうがいい」


振り返る。彼は真剣な表情でこちらを見つめていた。


「どういう意味ですか?」


そう尋ねる。意図は分かる。それでも、尋ねずにはいられなかった。彼が何を考えているか、それが気になったから。


「どうもこうもない。言葉通りの意味だよ。あいつはイカれてしまっている。誰かが関わらなくても、あいつだけで『幸福』なんだ」


彼は淡々と語る。まるで、全てを悟ったかのように。部室での先輩の姿を思い出す。先輩は独りだった。確かに、先輩には不可解なところもある。だけど、それは僕も同じだ。僕も、『未来視』のことを隠している。他者との隔たり。それを理由に、近づくことを諦めることは簡単だ。でも、僕は先輩の涙を見てしまった。そして、彼女を一人にしたくない。そう思った。だから……


「確かに、僕には先輩がどういう人なのかは分かりません。必ず、理解できるとも言いません。それでも、僕は先輩のことを知りたい。一人にしたくないんです」


言い放つ。心臓の音がやけにうるさい。今にも、身体が飛び上がってしまいそうだ。


「そうか。なら、止めねぇよ。頑張りな。一年」


そう、彼は言い。その場を去っていった。





部室の扉を開ける。一枚の紙を握りしめて。階段を急いで駆け上がったからか、息が切れかかっている。思わず、膝に手を当て、顔をうつむけてしまう。


「穂鳥くん……今日はもう来ないと思ったわ」


先輩は本を読んでいた。もう、その眼に涙はなかった。


「先輩……これを……渡しに来たんです」


そう言って、一枚の紙を差し出す。


「これは……入部届……?」


そう、僕は文芸部に正式に入部することを決意した。特に、深い考えがあったわけではない。ただ、先輩のことを知りたい、信じたい。そして、先輩を一人にしたくない。そう思っただけだ。


「でも……まだ、仮入部期間は終わっていないわよ。せめて……それが終わってからでも……」


しどろもどろになりながらも、先輩は言葉を紡いでいく。けれど、僕の気持ちは変わらない。だって、もう決めてしまったのだから。


「いえ、もう決めたんです。お願いします。先輩」


頭を下げる。窓際から、オレンジ色の光が差し込み、部室を満たす。あのときと同じ。けれど……


「あなたって、本当変わってる」


顔を上げる。先輩はかすかに微笑んでいた。その日、僕は文芸部に正式に入部することになった。



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