第四章 I burn everything to ashes. -6-
瞬間移動能力に頼り、地下街から天空街へ移動した白衣の男はため息をつく。
「
紫煙を吐き、短くなった煙草を捨てて靴底で踏み潰す。
眼前に広がるのは、レンガ造りの街並みだ。背の高いマンションなどがないのは、ここが上空一〇〇〇〇メートルに位置しているから気流の関係だろうか。
だが、そこには住民が一人もいやしない。
時刻は午後五時、そんな時間に住宅地から人が消えるなど通常ではあり得ない。
「――テメェの仕業かァ?」
後ろを見ることなく、それでもそこに人がいることを確信して、白衣の男は言う。
「……柊茅里の病室に彼女の姿がありませんでしたから。最悪の可能性を考慮して、アリスラインの三街全ての管理区周辺一帯を避難するよう指示させていただきました」
彼の背後、五メートル程度離れた位置にカチューシャの少女――七瀬七海はいた。乱れた髪を直すこともなく、彼女は手にしたランスの切っ先を白衣の男へと向けて答えた。
「なるほどォ、そいつは賢明な判断だなァ」
「あとは誰かがこの管理区周辺に転移したという情報が入ったので。――まさかあなたがここにいらっしゃるとは思いませんでしたが」
「認識が甘ェンだよォ、馬鹿がァ。――このアリスラインには逃げ出したオレの商品がいるンだろォがァ。オレが来ねェ道理があるかよォ」
所長の言葉に、七瀬は唇を噛むしかなかった。
完全に彼の掌の上。――七瀬が裏切ろうが裏切るまいが関係ない。初めから彼は、こうしてアリスラインを掌握するためだけに動いていたのだから。
自分の行動すらきっと彼は見越している。そんな根拠のない恐怖が、七瀬の身体を足下からむしばんでいく。それを押し殺すように、七瀬は冷静と冷徹を装った。
「単身で能力者の街に乗り込むとは、度胸だけは認めましょう」
「テメェらが束になったところでこのオレに勝てるとでも思ってやがンのかァ? ――冗談にしても笑えねェなァ、オイ」
嘲る所長へ、七瀬は躊躇なく突進してその水のランスで刺突を繰り出す。
相手は無能力者。たとえ支配されていた記憶が彼女の体を縛りつけることになろうとも、それでもレベルAの能力者である七瀬が負ける道理なんてない。
――はずなのに。
「目障りなンだよォ。――消えろォ」
それだけだった。
その言葉だけで、所長に触れる寸前で水のランスは空間の狭間に飲み込まれてしまったみたいに消失した。刀身の半分を失い、回転を保てなくなったランスは自壊し、地面の上でばちゃばちゃと水たまりになる。
「なにが……っ!?」
「何も驚くことじゃねェだろォがァ。――能力者は作るモンだろォ。だったらそれを無効化する方法だって作れたっておかしくはねェよなァ?」
そう言って、彼は袖をまくってみせる。
そこには、蛇が何匹も絡みついたような、そんな真っ黒な刻印が浮かび上がっていた。
「そんな……っ!? 遺伝子操作と薬物投与がなければ、能力は発現しないはずでは……っ!?」
「あァ、そォだ。遺伝子操作がねェと超能力は発現しねェ。だが、二十二種の超能力とは別口に作るンなら他の方法だってあンだよ」
得意げに所長は語り、とんとんと自分の頭を指し示す。
「オレは自分の脳にマイクロチップを埋め込むことでそのインターフェースを獲得したァ。テメェらの能力による改竄をシミュレーテッドリアリティから破棄する、
本来ならべらべらと自分の手の内を明かすことは馬鹿のすることだ。自分の弱点を露呈するだけで何の意味もないから。
だが、今だけは違う。
所長はそこに弱点がないことを知っている。だからこそ、それを突きつけることで絶望を植えつけられる。
「テメェらの能力はオレには効かねェ。黙って研究所に戻ってろよォ、
能力を封じられた。それはつまり、打てる手の全てを封じられたに等しい。
能力者たちはその能力だけを極めて生きてきた。もちろんそれを扱うためにある程度の身体能力は底上げしているが、その程度。能力者を兵器として育ててきて、兵士としては育成しなかったのも、もしかしたら所長の計画の上だったのかもしれない。
初めから、勝てないように作られている。
だから悔しさに唇を噛んで、それでも問いかけるくらいしか出来なかった。
「…………あなたは、何をなさるおつもりなのですか」
「テメェらを檻にブチ込む以外に何があるってンだァ? ――何のために二年も待ってやったと思ってやがンだァ。このアリスラインって箱庭を完全にブッ壊すために決まってンだろォ」
そして、彼は背後にそびえ立つ一つのビルを指さす。コロッセオにも似た、高さのあまりない円筒形のビルだ。――そしてそれが、この天空街の管理区の中枢でもある。
「評議会の掌握……? あるいはライフライン……違う。まさか、あなたは――っ!?」
「やっと気づいたかァ。あァそォだァ」
悪魔のような笑みがあった。
「この島を落とす」
白衣の男は大仰に語る。
「この天空街は念動力能力者が島ごと空中に浮かせてンだよなァ。――だったらオレがそれを無効化すれば落ちるしかねェ」
「……っ」
「狙いは水上街の上ってなァ。そうすりゃァ一発で二つの街が壊滅だァ。地下街一つじゃ九〇〇〇人は入れねェ。生活基盤を失ったテメェらはァ、オレたち研究所に戻る以外の選択肢がなくなるってワケだァ」
アリスラインが三つに街を分けたのは、単なるリスクヘッジ。一つの街が壊れても他の二つで成り立たせるためだ。
だが、同時に二つが壊れることは想定していない。もしもそうなれば、能力者だけでは生活できない。――あとには所長の望む末路しか待っていないだろう。
「ですが、能力を消すだけなら水上街にこの島を落とすことは不可能です……っ」
「ンなモンは無効化の延長だァ。消すンじゃなく乗っ取ることだって出来ンだよォ。――あの管理区にさえ乗り込めば後はこの島はオレの思うがままってなァ」
嘲笑し、所長は言う。
その宣言を、否定できない。
対抗するための能力は無効化される。仮に管理区から能力者を退避させようにも、この島を保持している能力者がいなくなれば自壊するだけだ。打てる手立てなど残されていない。もはや、強がるようにその名を出すくらいしか。
「……この街には、大輝様がおられます」
「ンなことは分かってンだよォ。オレが何のために無効化で神ヲ汚ス愚者から霹靂ノ女帝を救ってやったと思ってンだァ? 利用して使い潰すために決まってンだろォがよォ」
所長は自身の無効化で柊の体内にあった、神ヲ汚ス愚者の支配するリンパ球を消した。東城より先に彼女を救い、それを利用したのだ。
「ここにはもうあの燼滅ノ王は来ねェよォ。――今頃は霹靂ノ女帝と共倒れだァ」
最初から、そのために。
きっと所長は神戸のことだって見抜いていた。何もかもを知っていて、あえて放置した。二年間、彼はわざわざ待っていたのだ。
アリスラインの情報を集めその欠陥を見抜き、レベルSが偶然にも現れることのないよう完全な形で無力化するためのタイミングを。
全ては、この一瞬のため。
「テメェはそこで指くわえて見てろよォ」
――なのに。
「させねぇよ」
声があった。
同時、燃え盛る紅蓮の業火が辺りを包む。
「――あ……」
その言葉は誰の口から漏れたものか。
ざっ、と。
地面を踏み締める音がした。
血まみれで、もう傷のない箇所を探す方が難しいありさまで、それでも、炎をまとったその少年は自分の足で立っていた。
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