第四章 I burn everything to ashes. -5-

 膝から崩れ折れるように、東城大輝は瓦礫も気にせずにその場に座り込んだ。

 アドレナリンが切れたのか、鳴り止まない全身の痛覚の信号でガンガンと頭を殴りつけられているようだった。肩に至ってはもはや神経すら焼き切ってしまったらしく、感覚さえないのが恐ろしい。


「――でも、まだ終わりじゃない……」


 神ヲ汚ス愚者である神戸拓海の願望は真正面から打ち砕いた。気を失って倒れてこそいるが、回復したところでもう東城や柊に牙を剥くことはないだろう。

 だから、そこがスタートライン。

 まずは自身の治療だろう。それから柊の回復を確認して、七瀬とも計画を練っていかなければならない。

 欺瞞のためとはいえ研究所の側に立っていた能力者は、これでもういない。初めに七瀬に誓っていたとおり、一七〇〇の能力者をようやく救えるのだ。



「――とか、思ってンじゃねェよなァ?」



 声が、した。

 聞いた覚えなんてない。背筋にぞわりと這うような、そんな不気味な声だ。――けれど、神経を撫でるような語尾の伸びた感じが、どこか最近聞いたものに似ているようにも思う。


「誰だ……」

「つれねェこと言うンじゃねェよォ、実験動物モルモットォ」


 振り向けば、他の階層とを繋ぐ通路から、その闇を切り裂くような白色があった。

 白衣に身を包んだ筋肉質の肢体の男だった。髪は雑にオールバックに掻き上げていて、汚れ一つない白衣の下はコンビニへ向かう程度のラフな格好だ。――だが、そんな格好には見合わない真上から押し潰すみたいな威圧感がずっと放たれている。


「見りゃあ分かるよなァ」


 落ちくぼんだ目で、ぎらぎらとした眼光だけが東城を突き刺している。頬もこけているが、その獰猛な印象だけは微塵も衰えていない。

 紫煙をくゆらせ、その男は自身の胸元を示す。――そこに輝くのは、黄金のバッジだ。

 白衣とバッジ。それが示すものなんて、東城には一つしか思いつかない。


「……研究所の所長か……?」

「疑問形にする必要があンのかァ? なンでここに、って面してンじゃねェよォ。テメェだってここにいるんだろォがァ。誰かに入れてもらえばいいだけだろォがよォ。――まさかこのアリスラインに口を割らねェ強情なヤツしかいねェとでも思ってンのかァ?」


 つまりはそういうこと。何せ生まれてから二年前まで、能力者はすべからくこの男に支配されていた。地上に足を伸ばしたタイミングで所長に捕まってしまえば、逆らえずに協力を強いられてしまう者がいたって何らおかしくはない。


 そう。

 おかしいことなど何もない。

 はず、なのに。

 どうしたっては、許容できなくて。


 ――風が吹く。

 それに乗ってふわりと甘い匂いがして、柑橘っぽいその香りがどこか胸を焦がす。嘘だと、そう思いたくなるくらい。


「な、んで……」


 所長のその影に隠れるように、まだ一人、残っている。

 黄金色。

 恋い焦がれた、その色。

 凄絶なまでに美しい金色の髪があった。その肌の白さも、瞳の色も、すっと通った鼻も、薄桃色の唇も、何一つだって、どうしたって見間違えようなんかない。

 いるはずがない。たとえ神戸拓海がフリーズを起こしたって、まだ病院のベッドにいなければおかしい。

 なのに、その少女はそこに立っていた。


「ひい、らぎ……?」


 呼びかけに、その少女は、柊は答えない。

 固く口を結んで、ただ悲しげな表情で東城を見ている。


「何を、した……」


 声が震える。

 原因なんて考えるまでもない。目の前のこの男との因果がないはずがない。だから、東城の激情は一瞬にして臨界に達していた。血液が沸騰するかと思うほど瞬間的に湧いた憤怒が、そのまま業火となって溢れ出す。


「テメェ、柊に何をしたって聞いてんだよ!!」


 爆発を推進力に、東城は一足で間合いを詰める。手には万象を焼き尽くし隷属させる紅のプラズマを握り締め、常人に反応できる隙すら与えることなく東城は振りかぶった。

 だが。


「残念だったなァ」


 言葉と同時だった。

 彼の握る深紅の塊が雲散霧消する。火の粉となってちりぢりになっていくその過程が、スローモーションのように映った。

 理解も出来ず、ただ慣性すら失ってつんのめる東城の顔面を大きな手が鷲掴みにする。


「テメェらの能力全部、オレたち研究所が作ったモンだぞォ。それがオレに通用するわけねェだろォがよォ」


 そのまま背中から地面に叩きつけられる。肺の中の空気が無理矢理に押し出されて、東城は一瞬呼吸の仕方すら忘れた。


「っか、は……っ!?」

「テメェを殺してェところだが契約があるンでなァ、そこで寝てろォ」


 喘ぐ東城を見下ろして、所長は嘲笑を向ける。

 隔たりがある。無闇に、無策に、無謀に突っ込んだところで手が届くはずもない。それでも、東城は射殺すほどの眼光で所長を睨みつけた。


「ふざ、けんじゃねぇぞ……っ」


 もはや蓄積された痛みが脳を突き破りそうなありさまで、それでも無理矢理に東城は立ち上がる。この眼前の男を焼き払わなければと、そんな憤怒に支配されて。

 ――なのに。


「手は出させない」


 まるで。

 その男を守るみたいに。

 東城と所長の間に、柊茅里は立ち塞がる。


「なに、してんだ……っ」


 アリスラインに所長がいる。その目的など能力者を再び捕まえ、研究を再開すること以外にないだろう。それを守るなど許される訳がない。

 けれど、彼女は東城の問いに答えない。


「イイねェ。その調子で頼むぜ霹靂ノ女帝よォ」


 その様子に満足げな笑みを浮かべて、所長は白衣を翻す。


「待てよ!」


 叫び業火を走らせる。だが柊に割って入られてはどうしようもない。彼女の鼻先で業火はぴたりと止まる。


「――ッ」


 柊という盾が、東城大輝に何もさせない。

 東城はただその悪魔のような白色が闇の中に消えるまで、炎をくすぶらせたまま睨みつけるしかなかった。


「ッ柊……っ」


 その呼びかけは紛れもなく糾弾だった。それでも、柊は動かない。


「――――…………所長がね、言うの」


 ぽつり、と。

 今にも泣きそうな顔で、それでも確固たる決意を込めて、彼女はそう言った。


「人の記憶を操る能力を作れる可能性があるって。――それがあれば、もう一人の大輝の記憶を移せるかも知れないって」


 ぞっとする言葉だった。

 そして、それだけで十分だった。

 柊が何につけ込まれたのかなんて、もう。


「お前……っ」

「だから、私は私の意思で所長に加担する。――ここであんたを足止めしさえすれば、願いを叶えてくれるって、そう契約したんだから」


 所長の味方をすれば、そんな能力者を生み出してもらえる。そうすれば、今の東城を食い潰すような形になっても、それでも、彼女が恋した『もう一人の東城大輝』を呼び戻せるから。


「自分が何してるのか分かってんのか……っ!?」

「分かってるに決まってるじゃない!!」


 叫び返し、柊は顔を伏せる。

 透明な滴が地面を濡らす。


「一七〇〇だけじゃない。九〇〇〇の能力者全員を自分のエゴで犠牲にしてるって。もう二度とあの大輝に顔向けなんか出来ないって。――いま目の前のあんたの尊厳も何もかもを踏みにじってるって! そんなの全部分かってる。分かってるけど、どうしようもないじゃない!!」


 涙を流し、引き裂かれそうな顔で柊は訴える。彼女にどれだけの葛藤があったかなんて、痛いくらいに伝わってくる。――それでも、その願いのために自分の良心を殺してしまったのだ。


「許されることじゃない。そもそも本当にそんな能力が作れるのかも分からない。出来ない可能性の方がきっと高い。所長がこの後で私との約束を反故にすることだってある。だけど、それでも! それでも、もう私にはそんな選択しかないんだから……っ!!」


 だから、彼女は反旗を翻す。

 ネックレスを握り締め、悲痛な表情を浮かべていながらなお、レベルSの霹靂ノ女帝は東城大輝に牙を剥く。


「…………させねぇよ」


 だから、東城もまた拳を握り締める。

 爪が食い込んで血が滴るほど、強く、固く。


「……ッ、なら、私はあんたを倒してでも……ッ」


 柊はそれ以上言葉を続けず、その代わりに地面を蹴った。

 突き出される掌底を東城は躱し、その手首を掴んで勢いを受け流すように彼女の体を投げる。華奢な体で、能力の補助もない格闘だ。さきほどまで最強の肉体操作能力者と戦っていた東城からすれば止まっているにも等しい。

 しかし投げられ半回転した柊はそのまま着地し、滞ることなく再度東城へと向かってくる。

 東城はそれに舌打ちしながら、今度は叩きつける形になってでも、と、同じように手首を掴もうとして――瞬間、柊の姿が消えた。


「――ッ!?」


 気づけば、彼女は東城の真横にあった。足下で紫電が散っている。


「靴底に鉄板か何か仕込んでるのか……っ!?」


 電気を操る彼女は、当然そこから磁力にも手を伸ばせる。靴に仕込みさえあれば、それこそリニアモーターカーの原理を体現できるだろう。

 彼女の加速度は東城のそれと同等か上回っている。とっさに身をよじろうとした東城のみぞおちへ、柊がベルトのバックルを磁力で引き寄せながら繰り出した中段蹴りがめり込んだ。


「っく、そ……っ!」


 こみ上げる嘔気を飲み下して、カウンター気味に東城は右手を振るう。――だが、その拳は虚しく空を切る。

 加速を極めた彼女の能力を前に、もはや触れることすら許されない。


「…………、」


 ただ無言のまま、彼女は攻撃の手をゆるめはしない。

 距離を取ったまま、スカートのポケットから何かを取り出した。それはどこにでもあるようなパチンコ玉だ。

 それを放り投げ、彼女の眼前で紫電が爆ぜる。

 背中を這うのは恐怖。それは本能の警鐘だった。それに抗うことなく、何の理解もないまま東城は右へと跳んだ。

 直後、力が込められず慣性に置き去りにされるような形になった彼の左の掌を、その小さな金属球の一つがかすめた。

 ただそれだけ。

 それだけなのに、肉がごっそりと抉り取られて血が噴き出した。


「っが、ぅぁ……っ!?」


 呻くことしか出来ず、東城はその場にうずくまる。ぼたぼたと流れ出た血がアスファルトを染めていく。


「今のは放電でレールを敷いて、ローレンツ力を利用して撃ち出しただけ。加減もしてる」


 次弾の装填があった。

 もがいている暇すらない。東城は即座に周囲の業火の温度を引き上げ、それを即座に壁にする。――神戸はタングステンでそれを突破したが、いまの柊にそれはない。元々目に見えないほどの速度では、放たれた金属球は空気摩擦でかなりの温度に達していたはず。そんな状態で炎の壁に衝突すればその瞬間に蒸発、電離し、その壁に取り込まれるだろう。

 壁の向こうは見えない。そうなれば、いくら柊でもいまの攻撃を力業で押し切ろうとしても、まず当てることは不可能。


「……私があんたの能力を、どれだけ間近で見てきたと思ってるの」


 声があった。

 瞬間、炎の壁に穴が空く。


「――ッ!?」

「レールガンは音速を超える。立て続けに同じ箇所に撃てば、その衝撃波で少しずつでも厚みは減らせるわ。――そして、あんたの反応より電撃の方が速いわよ」


 穴を塞ごうとするより速く、迸った紫電がほとんど狙撃のようにそのまま東城の体を刺し貫いた。反応なんて間に合うわけがない。呼吸を忘れ、内臓の全部が壊れたみたいに飛び跳ねる。鼻の奥がきな臭さで満たされて、視界が明滅した。

 それでも、今のですらきっと電流が極端に小さく抑えられている。おそらく海外製なんかのスタンガンよりも威力は低い。

 まるで東城の心を折るように、少しずつ威力を上げているのだろう。東城を出来る限り傷つけないように、彼が諦める瀬戸際の威力で済ませるために。


「もう、やめてよ」


 絞り出すような声だった。


「あんたはあんたで、それでいいじゃない。もう大輝の真似なんてしなくていい。ここで立ち上がらなくていい。――だから、これ以上私の邪魔をしないでよ……っ」


 甘い。

 甘い、言葉だった。

 きっと目の前にいるのが彼女でなければすがっていただろう。


「……かも、しれない」

「分かってるでしょ。たとえあんたが最強の燼滅ノ王を十全に振るえたとしても、レベルSとの二連戦なんて出来るわけがない」

「だから、諦めろって……?」


 感電で焼けたのかそんなやり取りにすら喉が裂けそうに痛むのに、鼻で笑って。

 感電でまともな筋力も残っていなくて、がくがくと震える足を殴りつけてでも、東城は自分の力だけで立ち上がろうと足に力を込めた。


 そもそも、勝負にすらなっていない。

 東城は柊を傷つけられない。仮にここで殴って止めたとしても、もう一人の東城大輝への未練を断ち切れない限り何の解決にもならない。だが柊は、ここで一度東城を無力化すればいい。

 前提も勝利条件も何もかもが違っている。互いがそれぞれ将棋の駒と碁石を使って戦っているようなものだ。勝ち負けの概念が成立していない。

 それでも、東城は立ち上がる。


「いい加減にしろよ……っ」


 同時。

 地面を蹴り、それと爆発を合わせて柊との間合いをゼロにする。反射的に柊は腕を盾にしているが、気にせずその中央を殴りつけてはじき飛ばした。

 じんじんと拳に残る痛みは、いままでのどんな痛みよりも大きかった。


「俺が、お前を諦めるわけねぇだろうが……っ」

「――っ」


 ざっ、と。

 もう体に力なんて残っていないのに、それでも東城は地面を踏み締める。

 ここで膝を折ることだけは、たとえ死んだって出来なかった。


「俺がいま、どうしてお前と殴り合ってると思ってるんだ……」

「そ、れは……っ」

「分かってないふりをするなよ……。――これはお前が、俺かもう一人の東城大輝おれか。どっちを選ぶかって話でしかないんだ」


 腹の奥から、煮えたぎるみたいに感情が湧き上がる。それに呼応するかのように、東城の周囲で紅蓮の業火が逆巻いていた。


「この街のためじゃない。九〇〇〇の能力者のためでもない。――俺は、お前の望みの中心をかっさらうために戦ってんだ……っ」


 だから、立ち止まることなどあり得ない。

 勝利条件がないなど百も承知だ。殴って勝って、そんな単純な勝負で終わってくれやしない。人の心がそんなこと一つで変えられないことなど、当たり前すぎるくらいに当たり前だ。

 分かっていて、それでも譲れないから、だからせめて立ち続けるしかない。


「やめ、てよ……っ」


 その東城の姿に、柊の表情が揺らぐ。

 悲痛な顔で、それでも東城へ牙を剥いたあの瞬間はもう見る影もない。

 いまにも泣きそうなくらいにぐしゃぐしゃに崩れた顔で、ただ首を横に振っていた。


「もう立ち上がらないでよ……っ、私は、私は――ッ!」


 まるで駄々をこねるように、たった一つの思い出ネックレスを握り締めて、柊茅里は叫んでいた。

 直後、彼女の眼前で弾けた紫電は、電撃の槍となって真っ直ぐに東城を薙ぎ払う。

 ――はずなのに。

 それは東城の遙か後方ではじけて消える。

 東城の横で、まるで大蛇のように橙色のプラズマが蠢いていた。


「――な、んで」


 東城を仕留めるはずだった最大の一撃が霧消した。その光景に、柊はただ目を剥くしかない。それはほとんど彼女能力を否定すらしていたから。


 霹靂ノ女帝の恐ろしさはその手数だ。電磁力を自在に操れる彼女は、そこから利用できる応用の幅があらゆる能力の中で群を抜いている。――だがそれでもその神髄は、ただそのまま解き放つだけの電撃だろう。

 物質のほぼ全てを支配する東城の燼滅ノ王に対し、その支配対象から逃れた『電子』を支配した霹靂ノ女帝は、間違いなく天敵と言っていい。少なくとも霹靂ノ女帝に対しては、東城の能力は異例などとは決して呼べない、ただの発火能力に成り下がる。


 莫大なエネルギーそのものの雷だ。たとえ最強の名を持つ燼滅ノ王であっても、防御の手立てがなければ一撃で絶命する。

 ――だから。

 東城大輝はそれだけを絶対に防ぐ手段を考え続けていた。


「……電気が流れるか流れないかって、どういう違いか知ってるか」


 紅蓮の業火を携えて、東城は言う。


「電荷が動くか動かないか。自由電子でも正孔でも、とにかくそれが動けるなら導体になる。理科の勉強のときにちょっと調べたんだ。――プラズマは物体から電子が電離して浮遊している状態なんだよな。ならプラスもマイナスも電荷は自由に動けるはず。導体として扱える」


 燼滅ノ王の能力は火炎と爆発、そして、プラズマを生み出し操ること。

 つまりは即席の避雷針。

 柊は東城の心が折れるまで出力を上げていく予定だった。だがそれはもう無意味だ。これより上回ったところで、もう東城には届かない。


「……導体っていうことは、磁力でねじ曲げられるっていうことだけど」

「やってみろよ」


 それでも強がる彼女へ、東城は不敵に笑う。

 業火やプラズマを磁力でねじ曲げようとしているが、東城はそれを演算力だけで押さえつけてみせる。

 それだけではない。

 リニアと同じ原理で加速を得ようと、爆発を推進にした東城が同じ速度で立ちはだかる。

 ベルトを磁力で引き寄せた蹴りを繰り出そうと、その速度すら利用して東城が迎え撃つ。

 金属球をレールガンとして撃ち出そうと、真正面から業火の顎に飲まれて消える。

 最大出力の電撃の槍を撃ち放とうと、プラズマの大蛇が地面へと全て受け流してしまう。

 一度は通用したかもしれない。

 けれど、二度目はない。


「なんで、どう、して……っ!?」

「当たり前だろ。――いまだけは、絶対に負けられない。ここだけは、ここでだけは、絶対に折れちゃいけないんだよ」


 それが全て。そこに大仰な理屈なんてなかった。策も何もかもが剥ぎ取られて、ただ、その心だけがある。

 だから、東城は体も頭も肉も血も神経も、全部焼き切れそうになりながらそれでも柊の眼前に立ち続ける。

 柊の能力のことごとくを東城は封じた。だが、レベルS同士の戦いだ。東城の攻撃もまたあの加速を持つ彼女には一つだって通用しないのだろう。勝ち誇るつもりもなく、そんなことは東城自身が一番知っている。

 勝負になんてなっていないのは、初めから今も変わっていない。

 とどのつまりは根競べ。

 ただ柊茅里の望む東城大輝を捨てさせるまで、立ち向かい続けるだけだ。


「やめてってば……っ。私は、もう一人の大輝に帰ってきてほしいんだって……っ!!」

「……もしも本当に、心の底からお前が俺じゃない東城大輝を望むのなら、それでもいいよ。俺なんかいらないって、そう言い切れるのなら」

「――っ」

「だけど、そうじゃねぇだろ……っ」


 言って、東城はほとんど密着するような距離まで詰め寄って、拳も振るわずにただ彼女の胸ぐらを掴む。

 息のかかるような距離で、彼女のタンザナイトのような青の瞳を見つめた。


「重ねるな、なんて言わない。一度だけでいい。たった一度でも、一瞬でもいいから」


 一度だって彼女は東城を見てくれてなんかいない。ずっとその瞳に映っているのは過去の東城大輝であって、自分ではない。

 やっと、そこに届く。



「――俺を見てくれよ」



 揺らぐ彼女の瞳の奥に、ようやく、今の東城大輝の姿が映し出される。

 血にまみれ、ずたずたにその身も心も引き裂かれながら、それでもなお立ち続ける――そんな姿が。


「わ、たしは……っ」


 彼を否定しようとする。だけど、言葉は続かない。

 見ないようにしてきた、蓋をして、なかったこととしてきたその葛藤をこじ開けられたのだ。彼女の表情はあらゆる感情が渦を巻いて、どうしようもないくらいに崩れていて――……


「――ぁ」


 ぷつり、と。

 何かの切れる音が、聞こえた気がした。


「――――ぁぁぁああああああああああ!!」


 耐えきれなくなって、滂沱と涙を流して、柊は絶叫する。

 彼女の胸元の刻印が、狂ったみたいに光を放っている。


「なんだ……っ!?」


 突然の出来事に、東城も理解が追いつかない。

 だが、突き飛ばされるようにして東城が彼女から離れると同時、柊の全身から溢れた稲妻が無尽蔵に、無作為に、辺りを蹂躙していた。

 彼女の周囲は紫電が撒き散らされて、近づくことすらままならない。放たれる電撃は絶え間なく、まるで光の幕のように彼女の周囲を破壊し続けている。


 暴走。

 そうとしか形容できなかった。


 彼女の心が耐えきれなくなったのだ。自分がどうしたいのかすら分からなくなって、ぐちゃぐちゃになって、まともに能力も振るえなくなった。だから暴走が始まった。

 レベルSの霹靂ノ女帝だ。その能力が際限なく暴れ狂えば、どんな被害をもたらすかなんて想像すら出来ない。


「……に、げて」


 そんな状態で、雷鳴に掻き消されながら声がした。

 その電撃の檻の向こうで、彼女は苦悶の表情を浮かべていた。頬や腕に、ミミズ腫れのように火傷の痕が走っている。


「お前、打ち消せなくなって……っ!?」

「これ、は、クラッシュよ……。もう霹靂ノ女帝は、私には制御できない……っ」


 そう言って、さらに爆ぜるように紫電がいっそう光と量を増す。思わず飛びすさっていなければ、今頃その放電の嵐に飲まれていたかもしれない。

 感情の爆発は一瞬で、柊の表情は立て直されていた。――それはどこか、諦観のようなもので満たされてしまっている。


「自業自得よね……。――あんたを自分勝手に傷付けた罰ってやつ」

「黙って制御に集中してろ! 自分の能力に殺されるぞ!?」

「あんたも物好きよね。こんな面倒なのの何がいいのよ……?」

「いいから、くそ、どうすれば止められる!?」


 柊の能力が彼女自身に牙を剥いている。今はまだ打ち消せていないのはかすかな余波だが、それがあの紫電全てを身に受けるようになるまでは時間の問題だろう。

 そうなれば、彼女の体は骨も残さず灰になる。


「無理よ。私にはもう能力を止められない……。――だから、せめて大輝だけでも逃げてよ」


 そう言ってほほえみを向ける彼女を前に、東城は唇を血が出るほど噛み締める。


「ふざ、けんな……っ」


 こんな風になるまで追い詰めたのは東城だ。たとえどれほど譲れないものがあったにしても、それがこうして彼女の命すら脅かすような形になったのでは何の意味もない。

 だから、拳を握る。

 眼前のそれはほとんど地上ではあり得ない、災害すら超えた規模の能力。既に満身創痍の東城大輝にどうすることも出来はしない。

 立ち向かったところで待つのは死。

 どのみち、もう柊の身は持たない。

 だけど。


「俺がお前を諦めるわけがねぇって、言っただろうが……っ!」


 出来るかどうかなんて関係ない。

 彼女のためなら命だって惜しくない。

 そう思えたから、東城大輝はここに来たのだ。


「うそ。やめ、てよ……っ」


 その東城の姿に、紫電の向こうで柊は絶望にすら近い表情を浮かべていた。


「冗談でしょ。そんなの、そんなの駄目。これ以上私の勝手で――……」

「お互い様だろ、そんなのは」


 兵器どころか災害すら凌駕するその放電の嵐を前に、それすら焼き尽くすような紅蓮の業火を携えて。

 東城大輝は笑う。


「お前は助けるよ。――そして、俺を認めさせてやる」


 一歩を、踏み出す。

 そこから先は紛れもなく死地だ。一線を越えれば、もう命はない。

 それでも、もう躊躇はなくて。


「だから、そこで待ってろ」


 言葉はそれだけ。

 柊の制止すら振り切って、東城は雄叫びと共に地面を駆る。


 天壌を焦がす深紅の炎と無窮を誇る紫電の嵐が激突し――――…………

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