第四章 I burn everything to ashes. -1-


 あれから何をどうしたのか、よくは覚えていなかった。――あの場は七瀬に任せたはずだ。おそらく、柊のことも。

 やるべきことも見つからず、行く当てもなく、気づけば東城は地上に戻っていた。帰巣本能のようなものなのかもしれない。足取りは、半ば自動的に自宅の方へ向かっている。

 こめかみを締めつけられるような痛みがある。昼に食べたものが胃の奥で腐ったみたいな、おぞましい不快感と吐き気まで。

 じりじりと陽光は肌を焼き、蝉時雨が鼓膜を叩く。それらはまるで東城を追い立てるようで、ただただ焦燥感だけが募っていった。


「……分かんねぇよ」


 ――何が正しくて、どうするべきなのか。

 状況は一変した。けれどそれでも、それだけは変わってくれなかった。

 もう全部投げ出せたらどれだけ楽だろう。そんな思考がよぎる。

 元々、東城大輝は一般人だ。最強の能力者のクローンだとか、研究所がどうだとかアリスラインがどうだとか、そんなことは関係ないはずだった。

 だから、戻ればいい。

 自分の意思で進もうとした道だ。同じように自分の意思で引き返せる。今ならまだ、今まで通りに。

 ――そんなときだった。


「東城?」

「あれ、ホントだ。大輝だね」


 声がした。

 いっそ懐かしいとさえ思える声だった。


「お前、何してんねん。そもそもこの三日俺からの連絡ほとんどスルーしとったやろ」

「まぁ大輝は雅也と違って忙しそうだったから仕方ないんじゃないの? 終業式の帰りにいた女の子と何か用事があったみたいだし」

「………………終業式? 女の子? お前は何を言っとるんや?」

「待って。記憶を失うレベルにショックを受けてたの……?」


 どうしようもないほどにいつもの会話だった。

 白川雅也も、四ノ宮蒼真も、何も変わらないで東城の前にいる。

 それが泣きそうなくらい懐かしかった。


「……お前たちは、なんかの帰りか?」

「まだ三時やからな。補習行って昼食べてゲーセン行ったし、カラオケでも行こうかって感じやけど。――来るか?」

「……どうすっかな」


 日常に、いつもの世界に帰ってきた気がした。もう戦う必要なんかない。もう傷つく必要なんてない。

 もしかしたら、今までの記憶が全部夢だったのかも知れない。あんな荒唐無稽の連続だ。そう考えた方がよっぽど現実的だ。


 ――そう思うのに、足は根が張ったみたいに動かなかった。

 一歩だって白川や四ノ宮へ、その日常へ、近づこうとはしてくれない。


「なんかあったんか」

「ありすぎたな」


 何かを察したらしい白川に、それでも東城は適当にうそぶいて煙に巻いた。

 目の当たりにした光のあたたかさに、目が潰れそうになる。

 一週間前まで、なんの憂いもなく東城はそこにいたはずなのに。そこがいるべき場所のはずなのに。

 直視すら出来ない。その居場所が望めない。

 きっとそれが、答えなのだろう。

 分かっている。初めから変わってなどいない。

 だけど。

 


「相談はある?」


 四ノ宮は素直にそう聞いてきた。寄り添って欲しいのか、そっとしておいて欲しいのか。そういう対応を、望んでないのに忖度して押しつけようとしない。

 しかし東城は答えられない。

 きっとそれは、白川にも四ノ宮にも答えられないと分かっているから。


「…………そっか」

「……悪い」


 無言の意味を察してくれて、四ノ宮は少し寂しげにほほえんでいた。

 いい友達だと思う。

 自分にはもったいないくらい。

 ――そして、それは。

 彼らだけの話じゃなくて。



「このようなところにいらしたのですね」



 どこまでも丁寧な口調があった。

 けれど少し息は上がっていて、きっと、走り回って探してくれていたのだろうことは容易に想像がついた。

 乱れたブルネットの髪にさっと手ぐしを通し、カチューシャの少女――七瀬七海もまたあたたかくほほえんでいる。


「アリスラインを出るのは自由ですが、神ヲ汚ス愚者の示した期限まで時間があるわけではないでしょう?」


 息を整えながら、七瀬は白川たちの前でも遠慮なくそう話を切り出していた。


「……それ、こいつらの前で話してていいのかよ」

「今の大輝様が黙ってわたくしについてきてくださるとは思えませんし。――それに、名前で何かを知ることは出来ませんわ。元々が能力名やアルカナというのは能力の情報を外でやり取りするための隠語みたいなものですから」


 東城と七瀬の言葉に、白川たちはただ首をかしげている。確かに、この程度で彼らが何かに巻き込まれることはないだろう。


「とはいえ、あまり聞かれていいものでもありませんけれど」

「……席を外した方がいいみたいだね。僕らはちょっとだけ離れとくけど、――喧嘩とかはしないでよ?」

「ご心配なく。わたくしが大輝様と喧嘩などするはずがありませんもの」


 にっこりと彼女はそんなことを言う。今の東城の様子からはとてもその言葉に信頼など出来ないだろうに、それでも四ノ宮はうっすらと笑みを浮かべて、まだいぶかしんでいる白川を連れて道の端の方まで離れてくれた。


「――さて、それではあらためて聞かせていただきますわね」


 それを見送って、彼女は一つ息を吸って核心へ迫る。


「あなたは、どうしたいのですか?」

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