第三章 I want you to never say die. -2-


 七瀬の押しと柊の白眼視に耐えかねたのか、東城はそそくさとトイレに逃げていた。たぶんほとぼりが冷めるまで隠れるつもりだろう。

 そんな後ろ姿を眺めた柊は、気づけば「はぁ」と深いため息をついていた。


「ため息をつくと幸せが逃げるそうですが」

「……ほっといて」


 七瀬の含みのある笑みに、柊は短く返す。

 ――元々、柊は七瀬のことが得意ではない。

 七瀬が『奇襲を仕掛けてきた敵』という第一印象の最悪な相手であったことは否めないが、それとは無関係な部分でのことだ。そもそも柊だって、彼女がどうしてそこまでしたのかを理解しているし、そこにもうわだかまりはない。

 柊が七瀬を苦手としているのは、彼女が人の心の機微に人一倍さといからだ。

 二度の奇襲で格上であるはずの柊を追い詰めていたのがいい例だろう。一度ならず短期間の二度目ですら柊にあれほどの傷を負わせるには、きっと本人以上に本人の行動や心理を理解して掌握する必要があったはずだ。

 だから、話をするだけでも心底を見透かされたような気分にさせられる。自分ですら隠していたものを暴かれたような焦燥感に駆られる。――それがひどく不快で、恐ろしいのだ。


「ご自身の中で整理がついていないだけなら構いませんが、それを大輝様にぶつけるのはお門違いというものですわよ」

「……何の話よ」

「いら立つのは勝手ですがそれで大輝様を傷つけないように、という忠告ですわ」

「気のせいでしょ。別に大輝にいら立ったりしてない。まぁちょっと不真面目には思うけど」

「自覚がないのなら厄介ではありますが。――そうしてネックレスを握り締めているということは、そうではないのでしょう?」


 七瀬に言われ、カッと顔が熱くなるような錯覚があった。


「あなたの知る燼滅ノ王と、今の大輝様は別人です。たとえどれほど似通っているとしても、それは分かっているはずでしょう?」

「……分かってる。分かってるけど、分かんないの」


 きっともう何を隠しても無駄だろう。だから気づけば、ぽつりと隠していた本音がこぼれ落ちていた。


「どれだけ頭で理解しようとしても、どうしても重なっちゃうの。あの体もあの顔も、あの声もあの炎も、全部私が知る大輝のまま」


 オリジナルの東城は、柊茅里や今の東城の二個年上だった。オリジナルが能力を発現するのを確認してからクローンが生まれるまでの、最短の年齢差だろう。

 だからこそ、戸惑ってしまう。

 二年前に死んだオリジナルの東城の年齢と、今の東城は並んでしまった。どれほど大切に胸に抱いたって薄れそうになる記憶が、その姿を見るだけで鮮明に浮かび上がってしまう。

 重ねてはいけない。それは今の東城にも、かつての東城にもあまりに卑劣で最低な行為だ。そう思うのに、それでも脳裏にはいくつもの思い出がフラッシュバックし続ける。

 同じクラスになってもさほど距離を詰められなかったのは、それが理由。だがこうして能力を取り戻した姿を見てしまえば、もう堰を切ったように止められなかった。


「大輝が死んだって聞かされて、私の心は砕けて、穴が空いて、ぐちゃぐちゃに押し潰された。たぶん一生分泣いた。来世の分も涸れたかもしれない。殺した神ヲ汚ス愚者をこの手で屠って、そのまま自分も死のうって本気で思った」

「……それほどに、好きだったのですね」

「そう、ね。好きだった。本当に、心の底から大好きだった。だからどうしても諦められなくて、現実を受け入れられなくて、今の大輝に救いを求めちゃうの」


 それが醜いエゴイズムだと理解していてもなお、感情が止まってはくれなかった。理性や体裁を無視してでも、ただ寂寞と愛情が溢れ出る。

 だがそれでも、今の東城とかつての彼は別人だ。彼の傍に近づけば近づくほどその差異が際立って、それが神経を逆撫でされるみたいに気になって、いら立ちとなって漏れてしまう。


「大輝様はとても優しい方ですから、きっと、それを笑って受け入れてしまわれるでしょうね。それがご自身の心を傷つけているのだと自覚もなく」

「……そうね」

「これはあなたの胸の内のことですから、わたくしが必要以上に口を挟むつもりはありません。――ですが、わたくしは今の大輝様を愛しています。ですから彼を傷つけるような真似だけは決して許しませんわよ」

「……分かってる」


 言われるまでもない。自分がどれほど卑怯な真似をしているかなんて自分が一番分かっているし、そんな自己嫌悪もまたいら立ちとなって険悪な雰囲気を作ってしまう。――そう理解はしていても、それをコントロールできるかというのはまた別の話ではあるが。


「ところで」

「何でしょう?」

「やっぱり何日たっても、オセロひっくり返したみたいにそこまで全面的に大輝へ好意を見せつけられると戸惑うんだけど。――あんた、大輝を殺そうとしてたわよね?」

「これっぽっちも覚えておりませんわ。別の誰かと間違えているのでは?」

「あんたのそのふてぶてしさは見習いたいわね……」


 そこまで開き直れれば、あるいは柊ももう少し東城との関係に悩まずに済んだのだろうか。そんな風に考えてしまうくらい、七瀬のそのスタンスにはいっそ憧憬の念すら抱いた。


「まぁとにかく、今は神ヲ汚ス愚者の対策だけを考えましょう。大輝のスキルアップは必須だけど、それ以外に出来ることがあるはずだし」

「そうですわね。いくら燼滅ノ王という最強の力を有しているとは言え、それでかつて敗北しているわけですから。過度な期待は禁物として、より堅実な策は用意しておくべき――……」


 そんな七瀬の言葉は、軽快な電子音に遮られた。


「ごめん、着信があったみたい。メッセージかな」


 そう言って柊は何の気なしに携帯端末の画面を点ける。

 そして、戦慄が走る。



 画面に映し出されたのは、送られてきた一枚の写真。

 血にまみれて横たわる一人の少年の。



「何よ、これ……っ」


 真っ赤に染まってもなお見覚えのあるサマーベストは、神戸拓海のもの。顔で判別できないほどに血にまみれ歪められたその姿は、息があるかすらも分からない。

 地下街に残してきたはずの少年が、何ものかに襲われた。その事実だけがそこにはある。


「彼自身からの救援要請、ではなさそうですわね」


 苦々しく呟く七瀬の視線は、すぐに追加された新たなメッセージに注がれていた。

 ――Where is the Exception?

 すなわち、燼滅ノ王はどこだ、と。


「冗談じゃない……っ」


 ヒビが入るほど硬く端末を握り締めて、柊は唸る。

 それは一片の疑う余地もなく、神ヲ汚ス愚者からの宣戦布告だったから。

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