第二章 I don't want to die yet. -5-
――そんなアリスラインの紹介を経て、やってきたのはその三街の中で最大という天空街の商業区だ。
本当に万に満たない能力者だけで作り上げたのか疑いたくなるほど、ヨーロッパ調の立派な構造物が立ち並んでいる。とは言え、地上とは異なり高層の建造物はない。作る技能がないのか、あるいは上空一〇〇〇〇メートルという条件を考慮しての結果なのかは分からないが、これだけの繁華街で低層のものしかないという違和感は、むしろここが能力者の街であるという証左のように思えた。
「はしゃいでるなぁ……」
映るもの全てにきらきらと目を輝かせて、七瀬はショーウィンドウを眺めて回っている。本人は普段のように振る舞ってるつもりなのかもしれないが、初めての旅行で落ち着きをなくした子供のようである。
「大輝様大輝様、服を買いたいと思うのですが、見て回ってもよろしいですか?」
「いいけど、お前お金あるの? 男子高校生の俺にはおごってあげられるだけの甲斐性はないんだけど」
「…………見るだけにしておきますわ」
長く研究所にいたせいか『お金』という存在を失念していたらしい七瀬は、しゅんと途端に小さくなっていた。捨てられた子犬のようだが、しかしそれを救えるだけの余裕が東城の財布にはない。
「はぁ……。いいわよ、私が出したげるから」
「……よろしいのですか?」
「アリスラインはお店をやるか、街の運営に関わる仕事をすればお金をもらえるの。私は発電担当だし、出せる電力上限がないから給料もかなりいい方だし。ここで暮らしだしたらあんたも水道とかやるだろうから、いつか返してくれればいい」
先ほどまではあれほどいがみ合っていたような気がするが、そういう優しさを見せられるところは不思議でもあり、彼女の代えがたい美徳のようにも思う。
「…………なによ」
「何でもない」
それを指摘すると彼女は照れ隠しに怒りそうだなと、そんなことを思った東城はにやけた顔のまま黙秘を貫く。それでも何を言いたいか察したらしい柊は、少し頬を朱に染めながら唇をとがらせている。
「では、そのご厚意に甘えるといたしましょう。そのお礼として、わたくしがあなたの服も見つくろって差し上げますわ」
「別に私はいいわよ」
「年中制服というのは、自分のセンスに自信がないからでしょう?」
「う、ぐ……。だ、だって、能力のレベルを上げることに必死で、そういうかわいいこととか分かんないし……」
「……あなた、鏡を見たことはおありで?」
「そんな失礼な言い方をされるほどではない、とは思うんだけど」
「真逆ですわよ。それだけのルックスと、まぁ胸は乏しいですが、スタイルを持っていて、どれほどもったいなく生きているのですか。髪の毛一つ取ってもあなたに敵わないと涙を飲む女子だっているでしょうに」
「そう、なの……?」
さりげない悪口にも気づかず、柊は七瀬の言葉に困惑していた。
「はぁ。仕方がありませんわ。対等な勝負でなくては意味がありませんもの」
「ちょっと待って。対等な勝負って別に私は――……」
「いいから黙ってわたくしに従ってくださいな」
そう言うと七瀬は未だ半信半疑の柊を強制連行気味に引っ張って、店の奥へと消えていった。
「楽しそうでしたね」
「だなぁ」
それを見送る男子二人は、適当なベンチに腰かけて彼女たちの買い物が一段落するのを待つこととなった。
能力で気候を地上に近づけているらしく、うだるような夏の暑さを前に、東城は少しでも涼を得ようと体を投げ出すように広げた。
「東城先輩は中に入らなくていいんですが?」
「涼みたいとは思うけどな。あの輪の中に入っていく勇気はないよ」
窓越しでも、洋服を両手に抱えて楽しそうにしている二人の様子が見える。そこに男の東城が入ったとしても邪魔にしかならないだろう。
「…………先輩は、アリスラインに来てどう感じましたか?」
「急になんだよ」
藪から棒の話に、東城はチラリと神戸の顔色をうかがった。
「昨日、柊先輩から少しだけ聞いたんです。能力のことなんて知らない一般人だった東城先輩が、もう一人の、僕らの知る東城先輩と同じようにみんなを救おうとしてるって。――僕には、そんな勇気も力もなかったですから」
「あぁ、なるほど」
なんとなく神戸が何を言いたいのか悟った東城は空を見上げて、独り言のように答えた。
「敵わないなって、思った」
街の中は人で賑わっている。学業もなければ、会社らしい会社もないのがこのアリスラインだ。平日の昼間であろうと関係なく人は大勢いて、おのおのが楽しそうに店を巡っている。
これが本当に能力者の街なのか、始めに外周でこれが浮島であると見せつけられていなければ信じることなど出来なかっただろう。それくらい、当たり前の日常がここには広がっている。
「能力者は二年前までずっと研究所に閉じ込められてたんだろ? そこに苦痛があったのかどうかまでは俺には分からないけれど、きっとその状況は俺の知る『普通』じゃない」
「そう、ですね」
「なのに、目の前にある光景は紛れもなくその『普通』なんだよ。地上で、俺が週末に見るような光景と変わらない。――そんな街を作り上げようと、能力者を引き連れてたのが俺のオリジナルなんだろ? 俺には逆立ちしたって出来る気がしないよ」
知るはずもなかった『普通』という概念を、しかしそれでもオリジナルの東城は一から作り上げて見せた。それがどれほど偉大なことか、もはや想像することすら出来ない。
その英雄を、神戸拓海はきっと間近で見てきたのだろう。
だから彼はこんな問いを投げかけた。
今の東城と彼の知る東城は違うと分かっていて、それでも、その英雄の根源を知りたいと思ったのだ。
「……でも、それでいいんじゃないか? 憧れもするし妬みもするよ。だって今は届かない。――だからまぁ、頑張っていこうかなってだけで」
確かに今は力がない。――だが、それが立ち止まる理由にはならない。
力の有無も、勝算の可否も関係ない。そんなものでうずくまるのなら、きっと東城大輝はここにいなかった。
「……やっぱり、敵わないですね」
「だよなぁ」
「そういう意味じゃないですけどね」
何か呆れた様子の神戸が肩の力を抜いたようにも見えた。――あるいは、諦観のようにも。
「ところで、東城先輩」
「なんだ?」
「先輩は、どっちが好きなんですか?」
唐突な質問に、東城は息を吸うタイミングを間違えて「ぶふ!?」と汚い音で咳き込んでしまった。涙目で恨みがましく横の神戸を見るが、その年下の真面目そうな少年はすました顔でたたずんでいる。
「ど、どっちって……?」
「柊先輩か、七瀬先輩か、ですけど」
何を当たり前のことを、とでも言いたげに神戸はきょとんとしている。
「なんで急にそんな話になるんだよ……」
「二人がいたらさすがにこんな話できないでしょう?」
「柊とはクラスメートだけどほとんど話したことないし、七瀬にいたっては出会って二日も経ってないんだ。そういうのを考えられる訳ないだろ」
「じゃあ、柊先輩のために命を張ったのは何でです?」
痛いところを突かれ、東城はただただ黙殺するしかない。
「でも襲撃された七瀬先輩のために立ち上がったり、こうして一緒に歩いたりしてるのもやっぱり七瀬先輩の方に一目惚れしたとかかなぁって」
「何でもかんでも恋愛と結びつけるのは思春期の悪いところだと思う」
「じゃあ違うんですか?」
「…………、」
格好をつけて大人ぶった回答をしてみたが、切り返されたことに否定が出来ないのだから情けなかった。
「やっぱり七瀬先輩ですかね。出会いはちょっとマイナスかもですけど、胸とか――」
「へぇ、面白そうな話してるわね?」
がしっ、と。
東城がリアクションするより先に、神戸の頭蓋が鷲掴みにされていた。
「ひ、柊先輩……? あの、服は……?」
「店選びからしっかりやりたい、とか言って七瀬はパンフレットとにらめっこしてるからこっちに来たんだけど。――それで、胸が何だって?」
みしみしめきめきと嫌な音が聞こえてくる。アイアンクローで頭蓋から悲鳴が聞こえてくるなど初めてで、東城はがくがくと震えるしかない。
「ちょ、先輩!? ごめんなさい! 本当にごめんなさい! だからアイアンクローだけじゃなくて指先から放電するのやめてくださいね!? 脳みそ焼け焦げそうなんですけど!!」
「ちょっとなに言ってるか分からない」
神戸の嘆願も虚しく、柊の怒りは収まる気配が全くなかった。むしろエスカレートしていって、金色に輝く髪の間からバチバチと紫電が走るのが見え始めている。
「た、助けて東城先輩!!」
「ゴメン神戸。まだ俺も死にたくない」
助けに入れば同罪のレッテルを貼られ、たぶん東城まで殺されてしまう。なのでしっかりと手を合わせ、安らかに神戸が眠れるようにと願って黙祷を捧げるのだった。
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