第二章 I don't want to die yet. -3-

「…………で、どういう状況なわけ?」


 集合場所らしい、繁華街の外れにある喫茶店。

 そこに東城が訪れると同時、出迎えた金髪の少女は表情の一切合切が途絶えた顔でそう問いかけた。

 東城が振りほどけないよう、七瀬はがっちりとしがみつくように彼の左腕をホールドしている。どこからどうみても男女の仲のそれだ。


「……怒ってます?」

「私が怒る理由はないと思うんだけど」

「じゃあなんでそんな怖いの……?」


 どす黒い何かが心の底から滲み出ていて、微塵も顔は怒っていないのに裸足で逃げ出したいくらいだ。たぶんハムスターくらいならこの気迫だけで殺せる。


「あら嫉妬ですか?」

「…………私が、何に、嫉妬するって?」

「ご自覚がないようなら結構。わたくしの独壇場になりますから」


 こめかみの辺りが痙攣している柊と、勝ち誇ったように髪を払う七瀬が笑い合っている。

 それなのに何やらバチバチと見えない火花が散っているような気がして、東城は冷や汗を流しながらさっと角のボックス席に移動する。


「そ、そう言えば朝も思ったけど、怪我治ったんだな」

「……ついでみたく言われるのは腹が立つんだけど」


 むすっとしたまま東城の対面に着席する柊は、当然のように東城の横を陣取る七瀬を睨んでいる。


「いや、元からちゃんと心配してたんだよ。傷のない綺麗な顔見たらやっぱり安心したし」

「その、真正面から綺麗とか言われると、そういうのじゃないって分かっててもドキッとするんだけど……。――んん。けどまぁそうね。アリスラインに帰れば肉体操作能力者の能力で再生してもらえるからね。痕も残ってないから安心してよ」


 最初はもごもごと口内で言葉を紡いでいたが、一度咳払いした柊は優しい声音で言った。――その優しさが東城への気づかいだというのは、言われなくても分かる。

 一昨日の深夜に東城は彼女の肩の傷を手当てした。こんな風に傷が治るなら、その肩の傷だって本来はアリスラインに戻れていればすぐに治せていたはずだ。半日もない時間とは言え傷を抱えていたのも、そもそもそんな傷を負ったのも、全て東城が原因だ。たとえ今は治ろうとも、その間の彼女の苦痛は本物だ。

 そうさせないようにと柔らかな声音だったのにもかかわらず思い詰めていく東城に、デコピン一つでその面を上げさせて柊は言う。


「あんたが気にすることじゃないからね。私が勝手にあんたを助けようとしただけ。あんたがいま無傷なのは、全部あんたが戦おうって決めて立ち上がったからだし。――正直、昨日のあの啖呵には色々と言いたいこととか説教とか説教とか説教とかあるんだけど」


 笑顔から一転して、ごごご、と地鳴りがするように柊の怒りがまたわき起こってくるのを感じて、東城は慌てて七瀬へ視線を移す。

 だが、助け船を求めたつもりなのだが、彼女の表情は何故か昨日のような作った笑みに満たされていた。


「……あの、七瀬さん?」

「あら、柊茅里の心配はするもののわたくしの怪我の心配はしてくださらなかった大輝様。どうかいたしましたか?」

「………………昨日は盛大にぶん殴ってしまったんですが、御身のお加減はいかほどでございましょうか?」

「えぇ、すっかり治っていますわ。ですが少しばかり立ち眩みがするような気がしますし、大輝様に支えてもらっていても構いませんわよね?」


 機嫌を取ろうと立ち回ったところを、まるで先回りをするみたいに七瀬は言質を取っていた。こう言われてしまえば、まるで加害者のようになってしまった東城には七瀬を振り払う権利がない。

 そもそも既に席に着いているにもかかわらず腕にしがみつく七瀬に、柊の眉がピクピクと痙攣している。


「…………まぁいいけど」


 全然よさそうな顔をしていないのだが、突けばやぶ蛇なのは東城にだって分かる。そうだな、とか適当な相づちを打つしかない。


「それで、ここでやることでもあるのか?」

「ただの合流と休憩よ、特にやることはない。けど、もう一人来るから待ってて」

 もう一人に関して東城に心当たりがあるわけもなく、誰だろうかと首をかしげていると、察した柊が補足をくれた。

「私の仲間よ。研究所時代にオリジナル――って言い方はよくないか。の大輝と私、そしてそいつでよく一緒にいたの」


 そう言いながら、苦々しげに柊はチラリと七瀬を見やる。


「今でも私のバックアップをしてくれてて――一昨日はに奇襲で真っ先に戦闘不能にされてアリスラインの病院送り。おかげで私一人で大輝を守らなきゃいけなかったってわけ」


 それ、と指さされた七瀬の方は「なんのことでしょう?」と素知らぬ顔だ。


「で、その手当も終わってたしここで落ち合ってから本題に入ろうってね。そろそろ来る頃だとは思うけど」


 噂をすれば影、ということだろう。柊がそう言ったタイミングで喫茶店のドアが勢いよく開け放たれた。

 入ってきたのは、一人の少年だ。第一ボタンまできっちりとかけ、この暑さの中サマーベストまで着ている。根からの真面目さが滲み出ているような格好で、おそらく中学生くらいだろう。年上の柊やオリジナルの東城といたからか見た目に反して大人びているように感じるが、それでも幼さは残っている。

 そんな彼が、目にうっすら涙らしきものを浮かべて、そのさらさらの黒髪を揺らしながら東城の傍まで駆け寄ってきた。


「ほ、本当に東城先輩だ……っ!?」


 感動の再会、ではあるのだろう。しかし、現在の東城自身には面識がない。どうリアクションするのが正解か分からず、困惑したまま柊へ助けを求めるように視線をやる。


「ほら、困ってるからちゃんと自己紹介してよ。あんたもこの大輝とは初対面だって分かってるでしょ」

「あ、そうですね……。――改めまして。僕は神戸拓海かんべたくみ。レベルAの肉体操作能力者セルオペレーターで、能力名は幻想ノ人トリックスターって言います」


 ぐしぐしと涙を拭って、深く頭を下げながら彼は名乗る。それに東城も簡易に返す。温度差はあるが、やはり初対面と感動の再会が混じるとこうなっても仕方がないだろう。


「……東城先輩ってことは、もう一人の俺も同じ名前なのか?」

「そうみたいですね。研究所としてもわざわざ名札をつけて預ける方が、違う呼称を付けられて追跡しづらくなるより楽だと思ったんじゃないですかね」


 そんな益体もない話の間に、神戸は少し落ち着きを取り戻していた。色々とわき上がった感情は少しずつ穏やかになり、ふぅと長く息を吐いて神戸は曖昧に笑う。


「色々と、喋りたかったこととかあるんですけどね。二年前はまだ僕も、本当に子供でしたから。少しは東城先輩に近づけたかなってそう期待してたんですけど、無傷であの七瀬先輩を倒したって聞いて、まだまだだなって痛感しました」

「あれは運がよかっただけだ。七瀬の精神状態が崩れてくれたおかげ。――まぁ、積もる話があるならまた聞くよ。オリジナルの俺っていうのにも、興味がないわけじゃないからさ」


 そんなことを言いながら、ふと東城は神戸の自己紹介を思い返して疑問符を浮かべ、七瀬を見やる。


「柊はレベルS、神戸はレベルA。そんで七瀬もレベルA。――それでどうやって一人で勝ったんだ、お前……?」

「あら。レベルAといっても、そこにヒエラルキーはあるでしょう? わたくしはその中での頂点、最もレベルSに近い能力者です。幻想ノ人ごときが相手になるわけがないではありませんか」


 さらりと、自慢でも何でもなく当然のように七瀬は言う。何か柊が言いたげだが、昨日負けた手前か苦々しい顔をするだけで黙っている。


「わたくしの波濤ノ監視者は水を自在に操ります。量や圧力、粘度などあらゆるパラメーターがわたくしの支配域です。形状操作が拙いのは難点ですが、運動を操作することで擬似的に形状を固定できていますし、液体操作能力者としての性能は限りなく最大値に近いでしょう」

「だから、作戦次第では二人が相手でも勝てるってことか」

「能力の相性もありますけれどね。それに、敵を徹底分析できるわたくしと何も手を打てない彼女たちとでは、始まる前から優勢劣勢が決まっていますから」


 七瀬がそもそも強いのは当然ある。だがそれでも同格、あるいは格上の相手と戦うに際し、彼女はそれだけの下準備をしていたのだろう。レベルAの中で頂点を自負する彼女が、それだけの労力と時間を割いて臨んでいたのだ。

 昨日は柊が負けた形になったが、それが単純な実力差だとは東城には思えなかった。――とは言え、そう柊が納得しているかというと全く別の話である。


「…………だから、次やったら私が勝つし」

「あら、負け犬の遠吠えとは随分と心地がいいものですわね。もっと吠えてくださっても構いませんよ?」

「……へぇ、そう。レベルSになれもしないくせに調子に乗ってて虚しくない?」


 止んだと思っていた視線による激突が再度勃発していた。何かの能力で本当に火花が散っているのではと疑いたくなるほどだ。

 そんな様子に呆れつつも止めもしないで、神戸が東城に耳打ちする。


「……なんでこんなに仲が悪いんですか?」

「そりゃ昨日あれだけズタズタにされてればなぁ……」


 柊からすれば屈辱だろう。格下に負けただけでなく、本当なら守り抜くつもりだった東城に逆に守られてしまった形だ。その結果にいら立つな、という方が無理な話だ。


「そういうギスギスとは違う気がするんですけど……。むしろ――……」


 神戸は密着している七瀬と東城に目を向けて、心底呆れたようにため息をつく。


「まぁいいですけど。――それより、本題に入りませんか?」


 犬猫の喧嘩みたいに唸りだした女子二人に、神戸が果敢に提案する。一昨日の晩もかくやという殺気が二人から滲み出ていたのだが、それを気にする様子すらなかった。彼女とずっといるから、そういう扱いにも手慣れているのかも知れない。


「……そうね。それじゃあ行きましょうか」

「行くって、あぁそうか。アリスなんとかって街か?」


 東城の曖昧な記憶に、柊は呆れたように肩をすくめながら指を立てた。



「アリスライン自由都市。――あんたが命を懸けて作りあげた街よ」

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