第二章 I don't want to die yet. -2-

 ――その僅か三〇分後のことである。

 教室でのホームルームを終え、いつも通りの三人で揃って帰路につこうとした矢先の出来事だった。

 それは、校門にて。


「お久しぶりですわね」


 毛先を弄りながら、にっこりとほほえむ少女がいた。

 水色のカーディガンに白いワンピースがこれほど似合う人はいないだろうという、そんな美少女。

 何より、青いカチューシャにブルネットのその髪を今さら東城が見間違えるわけもない。

 七瀬七海。

 レベルAの液体操作能力者、波濤ノ監視者だとかいう能力者である。


「何してんだ……」


 にこにこ笑顔を振りまく彼女に、東城は一瞬立ち眩みがして額を押さえる。


「もしかして大輝、知り合い?」

「まぁ、その、昨日な……」

「馬鹿な……」


 悔しさに食い縛った唇から血を流し、白川はぷるぷると震えながら東城を見やる。


「さっき、ほんまについさっき言うたばっかりやんけ……。俺を裏切ったりせぇへんって……。女子と仲良くなんかせぇへんって……」

「……それは、まぁ、少しは悪いと思っている」


 主にタイミングが。


「…………いや、待て。ここは俺も混じってみんな仲良くパターンかも」

「あの、申し訳ありませんが、わたくしはこちらの方にしか用事がありませんから」


 わずかに希望を取り戻しかけた白川に対し、彼女はそう言って東城を指し示す。丁寧な口調だが「お前は帰れ」と言わんばかりの拒絶である。

 完全に心を砕かれた糸目の少年は両手を地面について、ハルマゲドンでも前にしたかのような絶望に打ちひしがれていた。


「世界に俺の味方はおらんのか……。世界は俺を弄んどったんか……」

「世界はそんなに暇じゃないと思うよ」

「血涙流すほどのことかよ、気持ち悪い……」

「うっさいわ! お前らなんか友達ちゃうわばーかばーか! このイケメン!」


 うわぁん、と子供のように泣いて白川は走り去っていく。


「……罵詈雑言のように褒め称えられたんだけど僕はどうすれば……?」

「とりあえず、あの馬鹿をフォローついでに慰めに行ってやってくれよ。――俺はちょっと用事があるみたいだから」


 頭を抱える東城に「分かったよ」とだけ応え、四ノ宮は呆れ混じりの笑みを浮かべてアホの子を追いかけるのだった。


「……で、何の用だ?」

「あらひどい。柊茅里から『後で連絡する』と言われていたのでしょう? せっかくですのでわたくしがお迎えに上がろうかと思っただけですわ」


 昨日までとは打って変わって柔らかい物腰だった。心なしか好意が声にも上乗せされているように感じなくもない。


「それで、どうして七瀬なんだ?」


 校門でいつまでも突っ立っている訳にもいかないので、東城は七瀬を連れ立って歩きながら問いかける。


「そもそも柊は同じクラスなんだし、柊が連れてきてくれればいいと思うんだけど」

「『今までろくに会話もなかったのに急に親しく声かけられないでしょ、クラスメートにどう見られると思ってんのよ』と、そういう質問が来た際の伝言を授かってますけれど」

「……………………迎えってことはどっか行くのか」


 そんな乙女心も分からないのですか? と半ば馬鹿にしたような視線には気づかないふりをしておく。


「柊茅里があなたをアリスライン自由都市へ招待したいそうで。その前に一度クラスメートのいないところで合流しよう、とのことです」

「アリスライン……? なんか聞き覚えがあるようなないような」

「能力者が暮らす街だそうですわ。詳しくは後ほど彼女から説明を受けた方がよろしいかと。――わたくしも昨日初めて入ったばかりで、理解が追いついていない面もありますし」


 七瀬は東城の一歩先を軽やかに、心底から楽しそうに歩いていく。


「そうか、お前も解放されたのか」

「えぇ。発電能力者の頂点の霹靂ノ女帝にかかれば電子制御の首輪など取るに足らないものなのでしょうね。チョーカーの形に見せかけてGPSや様々な抑止の機構が搭載されていたのですが、全て無効化してあっさりと外していました」

「……いいのか? 残された能力者はまだ……」

「それを気にしてわたくしも激昂しましたが、一蹴されましたわ。『逃げて連絡がつかない状態で人質を傷つけたところで何の効果があるの? そもそも研究所にとって能力者は商品なんだから、無駄に傷つける理由とかある?』だそうで」


 言われて、確かに東城も納得した。言い方は悪いが人質を見捨てるという選択をしたのであれば、研究所にはもう引き戻す手立てがない。実際に危害を加えたところでそれを知らせる術もなく、それで損をするのはただただ商品を失うだけの研究所だ。


 可能性があるとすれば、内部の能力者に向けて『七瀬が脱獄したから誰かを見せしめに』と脅しをかけて後続を断つくらいだろうが、貴重な商品を見せしめに浪費するくらいならそもそも七瀬が逃げたこと自体を秘匿した方が効率的だ。

 聡い七瀬がそんな簡単なことに気づかないわけがない。それにすら気づかないほど、彼女は追い詰められていたのだろう。


「首に圧迫感がないというのは素晴らしいですわね」


 そう言って、彼女は髪をさっと掻き上げてうなじを東城に見せつける。その仕草がどこか艶っぽく、東城は思わず視線を逸らす。


「わたくしの刻印は首筋なのでずっと隠れていたのですが、今ははっきり見えますわよね?」

「街中で能力使うんじゃねぇよ……」


 波紋のような青い刻印がうなじで輝いているが、焦点を外したまま東城は髪を上げている七瀬の手を叩いて隠させる。


「あら、照れていらっしゃるのですか? 可愛らしいですわね」

「……なんか昨日までと別人みたいだな」

「これがわたくしの素ですわ、大輝様」


 ふふふ、と上品に笑う七瀬に、東城は目を丸くして立ち止まる。


「…………大輝、様?」

「はい、大輝様」

「え? なにがどうなってそんな敬称が?」

「重圧に押し潰されそうになっていたわたくしを、あなたがすくい上げてくださったのです。命を狙っていたわたくしすら救うのだと、そう言い切れるあなたの強さと優しさに心を奪われるのは当然でしょう?」

「心を奪われる……?」

「好き、ということです」


 ぽっと頬を赤く染めながらも、一切オブラートに包むことなく七瀬は直球で思いの丈をぶつけてきた。

 昨日の今日で彼女にどんな心理的な変化があったのか東城には知るよしもないが、少なくとも第一印象だった『危なくて怖い』というイメージを粉々に吹き飛ばすだけの告白だった。もはやアルカナなどという肩書きなど忘れさせるほど、ただの乙女そのものである。


「……あの、え? マジで言ってる?」

「あら、何かおかしいでしょうか?」

「いや、おかしいも何も、昨日は俺を信じないと言って殺そうとしてたはずなんだが……」

「まさか。世界中全てが敵に回ろうともわたくしは大輝様を信じ抜く所存ですのに」


 手首がねじ切れんばかりの凄まじい掌の返しに、東城も閉口するほかない。


「ご返事は結構ですわ。――というより、昨日二度も襲撃している時点で大輝様の好感度など聞くまでもありませんし。ですから、それを挽回するまでは気になさらないでくださいな」


 そう言いながら、彼女はするりと東城の左腕に絡みつくように腕を回す。ぎゅっと、その豊満な胸を押しつけるように腕を組む形で。

 多方面から押し寄せる動揺に対処できずにいる東城に対し、七瀬だけは幸せそうにずっと笑っていた。


「当分は一方的にお慕いさせてくださいませ、大輝様」

「いい、のかなぁ……?」


 そもそもまだ何も解決していないはずだが、と思う東城をよそに、七瀬は半ば引きずるように目的地へと案内するのだった。

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