第二章 I don't want to die yet. -1-

 うだるような暑さがあった。

 七五〇名近い生徒を一堂に集めれば、冷房設備をフル稼働させたところで気休め程度にしかなりはしない。ゆらゆら景色が揺れて見えるのは、陽炎なのか立ち眩みなのか。

 そんな謎の耐久レースこと終業式というこの世の誰一人として得をしないイベントから解放され、暑いながらも外の新鮮な風で少しばかりの涼を取りながら、うだうだと東城大輝は教室へと戻っていた。


「――……これは、死ねる……」


 幸いにも途中で倒れるような生徒はいなかったが、その第一号に東城自身が立候補しかねなかった。何せ、昨日の出来事からまだ一日しか経っていないのだ。

 七瀬七海の強襲を受け、自身が最強の能力者のクローンであると告げられ、それを飲み下した上で能力を使って戦い、勝利を収めた。

 あまりにも濃密な時間に体力は根こそぎ奪われている。一晩休んだ程度でそれがどうにかなる訳もなく、ただ立っているだけのことがこれほど過酷に感じたことなど、十六年近く生きてきて初めてだった。


「――何かやつれてない?」


 そんな東城の様子に、四ノ宮蒼真がいち早く気づいて心配そうに覗きこんでくる。――ちなみに、登校時は普段通りのパーカーだったが、式典ということで仕方なくきちんとシャツに着替えていた。


「気のせいだろ」


 気遣いに心の中では感謝しつつも、東城は適当にうそぶいた。

 昨日の出来事を吹聴する真似は、たとえ保護者や親友に対してでも出来ない。

 能力とは兵器だ。非道な研究の元に人工的に製造されている。――そんな彼らの存在が明るみに出れば、それが迫害に繋がらないとは言い切れない。

 そう柊に釘を刺され、東城もそれに従うと約束した。


「……だいたい、誰が信じるっていうんだ」


 離れのようになっている体育館からロの字型の校舎へと戻ると、廊下の窓からは中庭が見える。

 いつも通りの光景である。――昨日、七瀬七海との戦闘で壁もガラスも砕け散り、地面は切り刻まれ、あらゆるものが焼け崩れていたはずなのだが、そんな爪痕はおろか残滓すらどこにもない。


 柊曰く「七瀬と私の治療とか、校舎の修復とかはこっちで勝手にやっとくから帰りなさい。アイソレーションの影響でどうせ今日は休校ってことに書き換えられてるし、今後のことはあとで連絡する」とのこと。

 まさか柊の言うとおりに休校になって、しかも完璧に修繕されているとは思ってもみなかった。まるで時間が巻き戻ったよう――もしくは本当に何らかの能力で時間を巻き戻したのか――で、これでは昨日の出来事を誰に話したとしても精神科医を紹介されて終わりだろう。東城自身、何か悪い夢でも見ていたのではないかと思ってしまいそうになるほどだ。

 柊もまるで怪我などなかったかのようにけろりとして終業式に出席していた。話しかけるタイミングもなかったからまだ声をかけてはいないが、その姿を見れたことが東城の一番の安堵だった。


「何や、何の話や?」


 そんな東城たちに合流するように白川が話しかける。もう夏休みということもあってか、やたらとテンションが高く絡みがちだ。


「ん? 大輝の体調悪そうだなって」

「あー確かに。ガチの体調不良か?」

「違う。なんて言うか、昨日は色々あって、そのせいで今日はだるいってだけだ」


 適当にぼかして答える東城に白川は怪訝な顔を向ける。


「なんか怪しいなぁ、おい」

「やめなよ、雅也。――もし彼女とのデートだったりしたら詮索する話じゃないよ」

「…………でーと……?」

「四ノ宮、白川の脳がクラッシュしてるぞ。そんなバカの脳に負荷のかかる言葉を口にするんじゃない」

「六バイトのメモリもないなんて可哀想に……。ほら、雅也。立ち止まってると後ろの迷惑だからさっさと歩いて」


 四ノ宮に頬を叩かれ、ハッと白川は目を覚ます。


「何かおかしな言葉を聞いた気がするんやが……」

「安心しろよ、気のせいだ。おかしいのはお前の脳みそだから」

「それならえぇけど。……ん?」


 まだ再起動途中の白川の脳は途上の暴言を捕えきれなかったらしい。


「でも今のでこんなだと、僕に彼女がいるって知ったら雅也死んじゃうんじゃない?」


 四ノ宮がさらっと置いていった爆弾に、きょとんとしすぎて白川の顔が赤べこみたいになっていた。間抜けもいいところである。

 ややあって四ノ宮の言葉を反芻したらしい白川は、だらだらと汗を流しながら震える声で詰め寄っていく。


「おお、お前、そんな、うう、うそやろ……?」

「嘘じゃないよ。ゴールデンウィークくらいからかな」

「いい、いったい誰と……?」

「そこの女子大のお姉さんだけど」

「ジョシ、ダイ……? と、東城。ここ、こいつは何を言っとるんにゃ?」

「動転しすぎて呂律が回ってねぇぞ、お前……。まぁ俺も少しは驚いたけど、この顔だぞ? 彼女がいたっておかしくはないだろ」


 東城が指す四ノ宮の顔は、完全無欠の美少年である。中性的で幼さのある顔だが、それこそアイドル級の愛らしさで人気があるのもうなずける。この頭の悪い白川を見捨てずに受験まで面倒を見たりと、性格も満点だ。むしろ彼女が出来ていない方が不自然だろう。


「馬鹿な、そんな、あり得ん……。生まれたときは違えども彼女が出来るときは同じと誓い合った俺たちの絆が……っ」

「そんな誓いを立てた覚えはないんだけど」

「てかお前と同じ基準にしたら俺たちみんな孤独死すんぞ」

「ツッコミに見せかけて平然と俺を見下すのやめろや!」


 涙目の白川が叫んでいるが、東城は素知らぬ顔で教室への道を歩んでいく。

 そんな東城を追いかけて、目にいっぱい涙をためて白川は小さく問いかける。


「お前は俺を裏切ったりせんよな……? 柊に手を出したりとか、勝手に女子と仲良くなったりしてへんよな?」

「……不本意だが予定はないな」


 東城の言葉にぱぁっと花の咲くような笑みを浮かべて、白川はそれはそれは嬉しそうに「そうかそうか!」と肩をバンバンと叩いていた。

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