第一章 I must protect you. -4-

 ――それからざっと十五分。


「まさか二つ合わせてくるとは思わなかった」


 ダイニングに連れてこられた柊の前に置かれた皿には、ホットケーキをさらに卵液と牛乳、砂糖にひたしてまた焼いたフレンチトーストがあった。

 甘みと炭水化物の暴力である。別名カロリーの化け物。

 その威力は凄まじく、綺麗な焦げ目から漂うバターの香りが、作った側の東城の食欲まで根っこから刺激してくるほどである。


「美味しそう、ではあるけれど……」

「俺も作ってて思った。突発的に女の子に出すもんじゃないなって。――でもまぁ、昨日あれだけ動き回ってたんだからカロリーは相殺されると思うし」

「まぁ、うん……。――いただきます」


 少し躊躇した様子だったが、空腹には勝てないようだ。ナイフとフォークで綺麗に切って、彼女は小さな口でそれを頬張った。


「おいしい……っ」

「それはよかった」


 会話はそれだけ。

 それから黙々と食べ進めた彼女は、ぺろりと皿の上の二枚のホットケーキを胃の中に収めていた。かわいらしい腹の虫もさぞ満足であろう。

 口元を拭い、そこでようやく彼女は一息ついた。


「ありがとう、おいしかった」

「お粗末さまでした」

「……ただ」

「ただ? なんかまずかった?」

「即興であんなスイーツを作れるとか、あんたの女子力の高さにちょっと複雑な思いがある」

「放っといてくれ……」


 むぅ、と唸る彼女に、カチャカチャと食器を片付けながら東城は苦笑する。

 どこまでも、普通の会話だったと思う。別段他の女子と比較できるほど東城に親しい相手もいないが、カロリーを気にしたり甘いものが好きだったり、普通の女子高生ときっと何も変わらない。

 そんな彼女が――……


「――どうして命のやり取りをしているのか、って?」


 東城の表情から何を考えているのか察したのだろう。言葉を紡げずにいる東城を代弁するように、柊の方からのその質問を投げかけてくれていた。


「映画の撮影か何かよ、あれは。あんたは気にしないの。――じゃなきゃ、あの変な水のランスとかの説明が出来ないでしょ?」


 まるで諭すような口調だった。下手に東城が気にしていることを、あえてそんな無茶苦茶な逃げ口を作ることで納得させようとしてくれている。

 実際、その言葉を鵜呑みにすることが正解なのも分かっていた。本当に超常の力を手に殺し合っているのなら、もう東城の常識は通用しない。手を差し伸べることも出来ないし、無視することも出来ず、ただ苦悶の日々を送ることになる。

 ――けれど。


「…………違うよ」


 それでも、東城はその言葉を否定しなければいけなかった。


「あれは、そういうのじゃない」


 もはやそこに理屈はない。

 ただ、知っている。


「俺は知ってる。あれは、本物だって」

「……理由は」

「ないよ。ただ、まるで流れ込んでくるみたいに、そういう情報が頭に直接焼きついた。あれを否定するのは、いまの俺には出来ないよ」


 その言葉に、彼女は少しの間天を仰いだ。寸前の顔はいまにも泣き出しそうなくらいに崩れていたのに、もう一度東城と向き合ったときにはいつもと何ら変わらない表情でいた。


「たぶん、そうね。私の能力に共鳴してしまって、あんたも一時的にシミュレーテッドリアリティに繋がってしまった、とかそんなところかな」

「……日本語で頼んでも?」

「はいはい」


 軽くため息をつかれた気がしないでもないが、それを追求する間もなく柊は続けた。


「私たちの使っていたあの現象は超能力ってことになってる。私のそれはレベルSの発電能力エレキネシス霹靂ノ女帝エンプレスっていう名前を与えられてるわ」

「…………、」

「そんな顔しなくても順を追って説明するから待ってなさい。――その能力はシミュレーテッドリアリティっていう『世界の演算装置のデータ』にアクセスし、それを自在に書き換えて超常現象をもたらす力のこと。そしてこれが超能力の証ね」


 そう言って、彼女は元々開き気味だった胸元をさらに少し開いた、あの淡いピンクの下着が見えそうになる。


「――どこ見てるわけ?」

「いや、その……」


 ジト目の彼女の言葉に視線を泳がせた東城は、そこで気づく。

 彼女のデコルテに、金色に輝く稲妻のような紋様が浮かび上がっていた。


「それって、手当てしたときにはなかったよな……?」

「これが刻印って言って、まぁインジケーターみたいなものね。能力を使うと、能力者の体のどこかに固有の模様が浮かぶ。タトゥーとかじゃないのは、消えてるのも見てるから分かるわよね」


 そう言うと、彼女の胸元の稲妻模様はふっと消えて肌の色に戻った。分かりやすいように、どこかで静電気のような放電でも起こす形で能力を使用してくれていたのだろう。


「シミュレーテッドリアリティと現実の関係っていうのは、コンピュータとディスプレイみたいなものね。コンピュータの方を改竄すれば、ディスプレイに出力されるものも強制的に変わるでしょ。過程を無視して結果だけを挿入できる。それが超能力よ」


 例えばそのシミュレーテッドリアリティとやらにアクセスし『放電する』という情報を挿入することで、本来は存在しないはずの電流を発生させる、ということだろう。現実味のない話だが、事実として目の当たりにしている以上は仕方がない。


「その情報の世界みたいなものに、お前の能力に当てられて俺も繋がってしまった、ってことか?」

「そう。飲み込みが早くて助かる。――だから、あんたは能力についての知識を『知る』ことが出来た。これならある程度は納得できるんじゃない?」


 筋は通っているように思えた。

 何より、どれほど荒唐無稽であっても、東城の頭の中に直接流れ込んできたあの知識の塊が、名前を与えられたことでスッキリと整理されていくのを感じる。

 柊の説明していた内容にはきっと偽りなどない。


「納得は、出来る。けど、それとお前たちが殺し合っていたことは別だよな?」

「……忘れてくれないかなーって期待してたんだけどなぁ」


 はぁ、とこれ見よがしにため息をつきながら、柊は言う。


「まぁこんなところで放置して、下手に首を突っ込まれる方がややこしいしね。気乗りはしないけど色々お礼もあるから、一回ちゃんとした説明はしてあげる。――ただ、その話まで信じるかはあんた次第だとは思う」


 そんな前置きをして、彼女一度深く椅子に腰かけなおした。


「で、殺し合ってたことの説明よね。仕方ないのよ。そもそも私たちはそういう。胎児から乳幼児期の遺伝子操作と薬物投与で、強制的に能力とシミュレーテッドリアリティへのインターフェースを脳に獲得させることでね。そうやって作られた兵器が私たちだもの」

「へい、き……?」

「あんな危ない能力が自然発生するとでも? そんなのおかしいじゃない。誰かが意図してねじ曲げて、誰かの思惑に沿った出力を与えられてなきゃ理屈に合わない」


 信じられるわけがなかった。

 先ほどのように、情報の逆流のような補助がなかったせいもあるかも知れない。だが何より、人の命や尊厳を踏みにじるような真似がこんな身近なところでまかり通っているなんて、信じたいわけがない。


「冗談、だよな?」

「残念ながら」

「だって、お前普通に入学してきたじゃんか」

「県外からね。――私の出身中学知ってる? あれ実在しないんだけど。そもそも戸籍の辺りからごまかしてるし」


 さらりと出てきたとんでもない言葉が、なおさら現実味を薄れさせていく。そんなことが簡単にできるわけがない。だからそれは間違っている。そんな当たり前の否定が先行して、どうしても柊の言葉が受け止めきれない。


「……一応、証拠写真みたいなものはあるけど」


 そう言って、柊はポケットから取り出した携帯端末を操作して、写真のフォルダを開く。

 差し出されたそれを見て、東城は即座に立ち上がってシンクへと向かっていた。脳が情報を処理するより先に、身体が拒絶反応を示していた。

 真っ赤な火があった。

 おそらくは、溶鉱炉。

 真っ白な灰のような何かが詰め込まれた袋の山。

 そしてその傍には、うずたかく積み上げられた動かない稚児の――……


「う、ぇ…………っ」

「深く認識しなくていい。ただ、失敗作はそういう風に処理されたっていう写真よ。いざっていうときに研究所を脅す切り札として用意してあるだけ。まぁこれを公開すると私たち自身も世間からどんな扱いを受けるか分からないから、実際には使えないイミテーションだけど」


 柊の言葉が耳に入って来ない。

 ただ分かる。

 あれは、本物だ。

 あの写真は、決して偽物ではない。あの写真一つに込められた無数の怨嗟は、意図して作り出せるようなものでは絶対にない。


「これが私たちの生まれた環境。信じてもらえた?」

「お、まえ……っ」

「そんな睨まないでよ。それに人体実験じみたことは私たちの世代が生まれる頃にはほとんどなくなってたし、何より、


 しかし柊はそんな東城を笑い飛ばすくらい軽い口調で言った。その柔らかな吐息一つで、東城の心を軽くするみたいに。


「壊滅……?」

「そ。逃げたの。私たち九〇〇〇の能力者がクーデーターを起こしてね。――私たちがそのまま社会に出るとマズイから、こっそり生活できるような能力者だけの街を作って、いまは自由に私たちは暮らしてる。じゃなきゃ高校なんてかよってないわよ」

「それもそうか……。いや、でも、待ってくれ。それじゃあ昨日の夜、あんな風に街中で戦ってたのは……?」

「あれは、逃げ損ねて研究所に囚われたままの能力者よ。どういう交渉があったのかは知らないけれど、首輪をかけられて無理矢理に従わせられてる。あんな風に私を襲ったのも、命令があってのことでしょうね」

「あいつも被害者ってことか……」


 九〇〇〇の能力者、と柊は言った。それだけの数を完全に管理し、誘導することは不可能に近い。研究所から逃げようにも半ばで失敗し取り残されてしまうことは、容易に想像がつく。


「だから、巻き込まれて命まで危うかったあんたには申し訳ないとは思うけど、彼女へ怒りを向けるのはやめて欲しいかな。本当に私のわがままなんだけど」

「……それは、別にいいよ。怖いとは思ったけど腹が立ってるわけじゃない」

「ありがと」


 そう言って、彼女は東城にほほえみをくれる。

 自分だって一歩間違えば殺されていただろうに、それでも彼女は優しく笑っている。きっと、昨夜の彼女たちを放っておく気もないのだろう。どれほど危険な目に遭うとしても、救い出すつもりなのだ。

 強い少女だと、心の底からそう感服する。


「――俺に出来ることはあるか?」


 だから、気づけば東城はそんなことを口にしていた。その言葉が予想外だったのか、柊の方は目を丸くしている。


「……えっと、私の話聞いてた?」

「もちろん」

「殺し合ってるとか、そもそも兵器だとか、非道な研究の上に生まれたとか、全部きちんと説明したわよね?」

「飲みこみきれてる自信はない。けど、それでも……」


 ――昨夜のように、柊が血を流して傷つくのだけは見たくない。

 そう、心の底から思えてしまったから。


「……あんた、お人好しすぎるでしょ」

「そんなことはない、と思うけど……」

「言ったでしょ。私たちは兵器なの。この瞬間にもあんたの命を刈り取れる」


 彼女は人差し指をそっと、まるでナイフでもあてがうように東城の首に這わせた。気づけば、彼女の胸元には稲妻のような刻印が浮かび上がっている。


「あんたに事情を話したのは、変な誤解で首を突っ込ませないため。さっきみたいな状況になっても、次は助けてあげないから」


 柊の冷たい視線を前に、東城は何も言えなくなる。

 彼女は超能力のことを兵器だと言った。実際、ひと太刀でアスファルトを深く切り裂いている時点で、凶器の部類を逸脱している。それを相手に、一般人の東城に出来ることなどありはしない。

 こうして突きつけられた指先一つでも、彼女がその気になれば東城に身じろぎする暇さえ与えずに焼き殺すことが出来てしまうのだろう。

 分かっている。

 だから、無力を噛み締めるように唇に歯を立てるしかない。――それでも、決して頷くことは出来なかったが。

 それを見て、柊は呆れたようにまたため息をつく。


「強情なんだから。それに、手当までしてもらって一晩泊めてもらえただけでも私は十分に助かってるわ」

「だけど……」

「まぁ食い下がりたいのを無理に止める手を私は持ってないんだけど、それはともかく」


 そんな風に言いながら、彼女は東城の背を指さす。

 振り返ると、そこには何もない。――いや、正確には壁があって、そこにはカレンダーがかけられていて――……


「明日も――っていうかとっくに今日だけど――普通に学校でしょ。いい加減に寝なさいよ」

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