第一章 I must protect you. -3-

 ぎぃ、とイスが軋む音で目が覚めた。

 いつの間にかその上で寝てしまっていたのだろう。時計を見ればまだ深夜の四時だ。どうしてイスなんかで、と寝ぼけた頭が疑問を呈するが、その答えはすぐ傍にあった。

 東城のベッドの上には、いつもならいるはずのない金髪の少女が横たわっていた。


「夢、なわけないよな……」


 ほんの数時間前に起きた出来事を夢の中にしてしまいそうになったが、彼女の穏やかな寝息やわずかに漂う柑橘っぽい匂いが東城に現実だと突きつけてくる。

 幸い、東城の保護者は昨日の夜から今日の昼前までの勤務で家を空けている。大事にされたくはなかったらしい彼女の願いは守られている。

 傷の手当ても、素人ながら東城が済ませている。傷があったのは背中の肩口で、出血の割に傷は浅くガーゼを少しきつめに当てれば血もすぐに止まっていた。おそらくあまり痕も残らないだろう。

 気を失っていた原因は疲労か何か。今はぐっすり眠っているようだ。


「……目、覚めるよな?」


 それでも、東城は不安になる。

 女子の寝顔をまじまじ見るのは無礼だとは分かっているが、十分すぎるほど可愛らしいのでその辺りはあまり気にしないでもらいたい、と言い訳をして覗きこむ。顔の血色はよく見えるが、それでも素人目だ。呼吸に乱れがないとか、その程度しか判断できない。

 そんなときだった。

「ん……」と柊が呻くように呟いて、その瞼がゆっくりと押し上げられたのは。

 ばっちりと目が合った。――ごく至近距離で。


「…………おはよう?」

「きゃあ!?」


 可愛らしい悲鳴と共に平手が飛んできて、東城は綺麗に頬をはたかれた。――間違いなく悪いのは東城である。


「わ、悪い。全然目が覚めなかったから不安で、いや、本当にゴメンナサイ」

「……ここ、どこ?」


 まだ前後の記憶が曖昧らしい柊はとりあえず東城の謝罪を棚上げにして、キョロキョロして不安げな面持ちで尋ねた。


「俺の家。病院とかはマズイって言ってたから、とりあえず手当だけでもと思って」

「手当……?」


 そう言って、彼女は上体を起こして自分の体を見下ろす。胸元に何かの葉をかたどったネックレスがあることに安堵しているが、それ以上に気にしなければいけないことがあることに彼女は気づいていなかった。


「ば、――ッ」


 東城が慌てて制止しようとするが、もう遅かった。

 彼女の体を隠していたシーツがすとんと落ちる。そして、そのまま淡いピンクの下着があらわになった。

 控えめながら美しいラインの胸からくびれた腰やへその、白磁のように透き通った眩いくらいの柔肌がさらけ出される。健全な男子高校生の東城には、その桃源郷のような光景から目を逸らすというのはあまりに無理な話だった。


「――――ッ!?」


 思考がフリーズしていた彼女がようやく自分の格好に気づき、ばっと慌ててシーツを抱えて胸元を隠した。そのまま、焼けた鉄もかくやというほど顔を真っ赤にして東城を睨みつけている。


「………………見た?」

「ミテナイヨ」

「じゃあどうやって手当てしたのよ!」


 とっさにごまかそうとした東城を、当たり前の指摘と共に柊から放たれた紫電が刺し貫く。全身の筋肉が痙攣して、呼吸を一瞬忘れた東城がビクビクと震えて倒れ込んだ。


「す、すみませんでした……。いや、脱がせないと手当が出来なかったからで、その、やましい気持ちはこれっぽっちも……」

「――……それは、まぁ、あり、がとう……」


 まだ納得はいっていなさそうだが、それでも手当をされたことには感謝を言うべきと思ったのか、甚だ不服そうに彼女は呟く。


「……ただ、謝らないからね。あと、いま見た光景は絶対に忘れること。すぐに。迅速に。たったいま」

「サーイエッサー」


 ドスの利いた声がして、少しでもためらえば感電死まっしぐらと直感した東城は壊れた人形みたいにこくこくと頷いて降伏する。

 修繕と洗濯の済んだブラウスを土下座のままの東城から恭しく差し出され、それに身を包んだ柊が「んん」と咳払いした。まだ若干赤らんだ顔のまま、まっすぐに東城を見つめている。


「とにかく、手当にはお礼を言うわ。それと、巻き込んでしまったことはごめんなさい」

「……俺も助けてもらってるから、その謝罪は別にいらない。――ただ、出来れば事情を聞かせてほしいとは思ってるけど」

「それは……」


 柊は言いよどんでいる。どう答えるべきか迷っているのだろう。

 ――そんなタイミングだった。

 くぅぅ――……、と。

 東城の鼓膜に、そんなか細い音が聞こえてきたのは。


「……あの、いまの」

「何も聞こえなかった」


 顔を真っ赤にぷるぷる震えながら、柊は言う。

 だが、くぅきゅぅ、と、少しだけ音量を上げて、それは彼女の腹の中から主張をしている。


「…………絶対、なにも、聞こえてない、はず……」

「いや無理があるよ」


 無理矢理力業でごまかそうとしているが、どうしようもない。腹の虫はどこまでも正直である。場の雰囲気とかそういうものは一切考慮してくれない。


「まぁ、その、なんだ。くしゃみとかはよくあるけど、お腹の音がカワイイっていうのは特技だと思うよ」

「感想とかいらないから!」


 気の使い方を間違えた東城の頭を、照れ隠しを込めた彼女の平手がスパーン、とひっぱたく。


「ま、まぁ時間も時間だしな。事情の説明とかの話は置いておくにして、命なんて大きいものを助けてもらってるんだし、お礼なんてどれだけしたって足りないよな」

「……うん?」

「何か食べたいものあるか? 冷蔵庫にあるもので作れると助かるんだが」

「……待って。あんたが作るの?」

「うちの保護者は見ての通り、夜勤とか色々あって家を空けること多いから。――まぁレシピサイト見ながらとか、箱の裏に従うだけで作れるお惣菜のもと的なやつとかだけど」


 そう言うと、彼女は頭を抱えて何か苦悩し始めた。東城には分からない葛藤があるらしい。


「……………………甘いものでも?」

「むしろ揚げ物って言われた方が困るよ。――ほとんど朝に近い時間だしフレンチトーストとか? あぁ、この前ミックス買ったからホットケーキも作れるかな。どっちがいい?」

「………………、」

「いや、あの、そんな悩まなくても……。分かったよ」


 少し呆れたように、でもそんな普通の女の子っぽい様子に安心とほほえましさがあって、東城は柔らかな笑みを浮かべて席を立つ。


「少し待っててくれよ」

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