第一章 I must protect you. -1-


 夢を見る。

 幼い頃からずっと変わらない、誰かの夢。目覚めてしまえば内容なんて手ですくった水のようにこぼれていってしまうけれど、いつも同じ胸を穿つような空虚さが『その夢』を見たのだと思い出させてくれる。


「最近は、すっかり見なくなったんだけど」


 小さく呟いて、東城大輝とうじょうたいきは固まった筋肉をゆっくりとほぐすように伸びをする。学校の安っぽい木と鉄パイプのイスがぎしぎしと音を立てた。

 気づけばもう放課後だ。何か別段疲労がたまることがあったわけでもないのだが、昼食後の数Iと理科総合の時間は睡魔に敗北を喫し、SHRの間までぐっすりと夢の中にいたらしい。


「――なんや、今日は随分と気持ちよさそうに寝とったな」


 そんな東城に、同級生の一人が声をかける。

 長身でひょろっとした、糸目で面長の少年――白川雅也しらかわまさやだ。いつも通りの少し粗野ながら親しみやすい笑顔で、眠たげな東城を覗きこんでいる。


「寝不足なんだよ」

「そんなんでお前テスト大丈夫か?」

「…………なぁ、期末考査はとっくに終わってるんだけど、お前まさかまだ現実を……?」


 東城の問いかけに、白川はうつろな目で首をかしげている。

 既に七月も半ば、なんなら明後日には終業式というタイミングなので期末考査など二週間以上前に終わっているのだが、どうやら白川はその現実をまだ直視できていないらしい。「ふふふ、何を言っとるんや……?」と呟くその様子はあまりにも可哀想だった。


「まぁ最下位の雅也はともかく、午後から寝っぱなしだと休み明けのテストで困るよ――っていうのは、大輝には関係ない話かな」


 容赦ない発言に心を砕かれた白川が膝から崩れ落ちるのを尻目に、小柄で中性的な美少年がきらきらと輝く笑顔で会話に混ざる。四ノ宮蒼真しのみやそうま、白川同様に中学からの東城の親友だ。

 そんな親友の姿をまじまじと眺めて、東城は呆れたようにため息をつく。


「……まぁ成績の心配はもっともだとは思うけど、お前のその生活態度も直した方がよくないか? そのパーカー、校則ガン無視も甚だしいぞ……?」

「ほら、僕って童顔だしネクタイとかあんまり似合わないから。生活指導の先生の目はかいくぐってるからいいかなって」


 童顔というよりは女子のような顔立ちなのだが、それに触れると著しく機嫌を損ねるので東城も黙っておく。

 身長も顔の個性も、そして成績も服装もてんでバラバラの三人だが、不思議と中学から気が合った。入学して三人が同じクラスになってからはなおのこと、このメンツで行動を共にするのが当然の日常になっている。


「――で、そこの白川さいかいはなんで落ち込んでんの?」


 四ノ宮の服装に関しては未来の生活指導の先生の観察眼に任せるとして、東城は横でうなだれている成績ワースト1の親友を指さす。


「入試以降これっぽっちも勉強してなかったの自分じゃん。学年最下位まっしぐらの生活してたんだし、順当な結果だろ?」

「正論突きつけんなや! あと最下位とか連呼すんな!」

「周知の事実なんだから今さら隠したって、ねぇ?」


 四ノ宮がちらりと教室を見渡す。なんとも言えない生暖かい視線が白川を包んでいた。


「……東城、おかしいぞ。まるで本当にクラスじゅうが学年最下位は俺やと思っとるように見えるんやが」

「クラス中がテスト中のお前のいびきを聞いたからだろうよ」


 もはや救いようのない白川の虚栄などどうでもいいので、東城はその自業自得の泣き言をシャットアウトする。


「それで、この後は何か用事でもあるか?」

「僕はないからブラブラ帰ろうとは思ってるけどね」

「アホかお前ら! 明後日は終業式、夏休みの始まりやぞ! 今からファミレスに行って入念に計画を立てなアカンやろ!!」

「いや別に、遊びたいとは思うけどな」

「雅也、どれだけ補習が入ってると思ってるの……?」

「やから入念に計画を立てて隙間時間を利用するしかないんやろうが……」

「夏休みの計画立てるのにそんな悲壮感漂う理由聞いたことねぇよ……」


 学年最下位なんて取ってしまった白川の末路など言わずもがなである。とても夏休みを満喫できるとは思えない。


「まぁいいけど。理系科目は余裕だったけど、文系はちょっと俺も駄目で、いくらか自主的な補習入れるつもりだし。スケジュールすり合わせるくらいは付き合ってやるよ」


 呆れ混じりに東城がそう言うと、白川は涙を流してひざまずいて拝んでいた。どれだけ遊びたいんだろうかと、東城も心底引くしかない。


「けど、大輝も相変わらず偏ってるよねぇ。数学も理科総合も満点でしょ? それなのに歴史とか古典が壊滅的なのはどういうことなのさ」

「うちの理系科目が簡単なだけなんちゃうん? ほら、東城の他にも満点おるくらいやし」


 そう言って白川が小さく教室の端を指し示す。

 そこにいるのは、一人の少女だった。

 目を奪うような黄金に輝く髪。金糸のように繊細で、胸ほどの長さのそれを耳にかける仕草一つで絵になってしまうような、そんな圧倒的な美しさ。

 何度見ても見とれてしまいそうになるくらい、引力じみた魅力があった。


「……どうしたの?」


 端正な顔のその少女――柊茅里ひいらぎちさとが、こちらの視線に気づいて照れたような笑みを浮かべていた。


「なんでもないよ。ただ柊さんが全教科満点らしいっていうだけの話をしてただけ」

「あー……。まぁその辺は想像にお任せってことで。それに、そこの東城もそこそこいい成績だって聞いたけど?」

「俺のは理系科目だけだよ……。誰か古文と現文解くための方程式作ってくれねぇかな」

「……とりあえず文系の点数は聞かないでおいてあげる。それじゃね」


 くすりと笑って、柊はカバンを肩にかけて教室を出て行こうとした。


「――あ、それと」


 戸の手前で立ち止まって、金髪をなびかせて柊は振り返る。


「今日は早く帰りなさいよ」

「……? なんでだよ」

「なんとなく、よ。それじゃ、今度こそバイバイ」


 ひらひらと手を振って、柊は廊下へと消えていった。

 それを見送ってから、東城はふと横で挟むように立つ二人の悪友の嫌な目に気づく。


「…………なんだよ」

「別に。ただ大輝の柊さんへの視線って、他の子と違うような気がするなぁってだけで」

「柊と喋ると緊張するんだよ。なんか、圧倒されるっていうか」

「まぁえらい可愛えからな。スラッとしとるし、ほんまの美少女って感じ。東城の言いたいことは分からんでもない」


 うんうんとうなずく白川と四ノ宮だが、居心地の悪い嫌な視線は変わっていない。


「……別に好きとか嫌いとかの話じゃねぇからな」

「そういうことにしとこうね」

「おい」

「安心せい。俺も彼女ほしい同盟やが、貧乳の柊には興味ないから」

「そんな同盟組んだ覚えはねぇんだよ、最下位」

「待てコラ、いま成績の話関係ないやろうが!!」

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