part10 拝啓、お母さま。
「えるちゃん、えるちゃん」
「なーに? ガブちゃん」
「汗掻いたねえ」
「びしょびしょやねえ」
「汗流そっか」
「せやね」
日は西へと傾き始めていますがいまならまだ身体もすぐに乾く時間でしょう。焚火もあるので夜に身体が濡れたところでそれほど問題でもありません。
あたしとガブちゃんは服を脱いで海に飛び込みました。
風呂もシャワーもこの島にはないので、海で汗を流すしかありません。塩分で多少身体がべたつきますが、それでも頭のテッペンからつま先までを綺麗に流すことはきもちの良いことです。この島に流れついてから何度も海へ入っていますが——この島のビーチがとても美しく、泳いでいるだけで心まで洗われるような——そんな感覚を、このとき初めて全身に感じました。今日で八日目なのに——これまでずっと目の前にあったのに——不思議なものです。きっとこの瞬間にようやく気持ちに余裕が生まれたから、この島の美しさにあらためて気づけたんだと思います。ガブちゃんとふたりで海に潜ってカラフルな魚の泳ぐ姿を眺める時間を楽しむことができました。
海から上がって身体が乾くまでの時間に、裸のまま、ふたりで海岸を散歩しました。
「えるちゃん、えるちゃん」
「なーに? ガブちゃん」
「あっちには何があるの?」
と言ってガブちゃんは向こうの海岸を指さします。
「んー。行ったことないから、わからんわー」
「じゃあ行ってみよう」
「おう」
……というわけで、磯だまりのさらに向こう側へと歩いて進みました。いつもの砂浜とは違って、ごつごつとした岩が多くなっています。同じ浜辺でも場所によって大きく姿が変わるようです。
「足元気ぃつけや」
「あいあいさ」
と答えた瞬間に——案の定と言いますか、目の前のガブちゃんが、つるん、と足を滑らせました。
「ガブちゃん!」
すぐ後ろを歩いていたあたしがガブちゃんの背中を受け止めました。
「……セーフ」
「ありがとう」
「なあガブちゃん?」
あたしはどうしても気になっていたことを、ガブちゃんに訊いてみることにしました。「この背中に生えてるのって、本物?」
「ん?」
と言ってガブちゃんが首を傾げます。
「ジブン、背中に片翼生えてるやん?」
……こんな台詞、人生で一度でも言うことになるとはな。
「え、片方だけ?」
と言ってガブちゃんは首をくるりとまわし、自分の背中を見ようとしましたが——自分の背中を見ることはなかなか難しく、派手に寝違えた人みたいに、ものすごくキツそうな首の角度になっています。
「えぇぇーっ!」
と突然ガブちゃんが叫びました。「片方もげてる!」
「いま気付いたん!?」
「なんでなんでなんで!? ガブのぱたぱた、なんで片方もげてるの?」
と言ってガブちゃんがこちらをじっと見つめてきます。
「……いや知らんがな」
「ガブはただならぬショックを受けました」
……なんで文章みたいな喋りかたやねん。
「元々は両方生えてたってこと?」
とあたしは訊きます。
「もちろんそうだよ!」
とガブちゃんは答えます。「……って、あれ?」
「どうしたん?」
急にあたしの身体をまじまじと見つめて、ガブちゃんが目をまるくしました。
「えるちゃんは両方もげてるよ?」
……いやいや、元から生えてないねんて。
まるで「翼が生えていることがポピュラー」みたいな言い回し、なんなんですか。
「あたしは元々ないで?」
「え、そうなの?」
「うん」
「月に一度痒くならないってこと?」
……月に一度痒くなるの?
「ならんよ」
「すごーい」
……何がすごいんか、ぜんぜんわからん!
「すごいやろ? よう言われんねん」
「ガブのぱたぱた、なんでもげたんだろー?」
「なんでやろなー」
「まあでも、いずれ生えてくるから、べつにいっか」
……サメの歯ぁですか?
そんなやり取りをしながらごつごつとした海岸沿いを進んでいると——。
「えるちゃん、えるちゃん、あれ見て!」
とガブちゃんが前方に指をさしました。「洞窟だー!」
「わー、ほんまや」
このあたりの陸側は崖っぽくなっているのですが、その崖に横穴が空いていたのです。
「調べてみよう」
「おー」
崖の入口はあたしの腰ぐらいの高さにあって、「よっ」と手をつけば簡単に登ることができました。なかに入ってみると洞窟はそこそこ広さがあって——三畳から四畳くらいでしょうか? 天井はそれほど高くはありませんが、三畳半くらいのスペースがありそうに思えます。
「ここに住もう」
とガブちゃんが言いました。「雨をしのげるし、獣からも身を守れます。獣がいるかどうかはまだわかりませんが。いかがでしょうか、えるちゃん隊員!」ピシッ。
「すばらしい判断だと思われます! ガブちゃん隊長!」ピシッ。
あたしたちは海岸沿いを戻り、一度雑木林に入って大量の藁を集めました。ツルで藁をぎゅっと縛って、松明の完成です。ガブちゃんの話によると、二、三時間は燃えるそうです。まだ火を付けていない薪もツルで縛ってひとまとめにし、焚火を洞窟まで移動させました。
「これでお引っ越し完了かな? 忘れものないかなー?」
とガブちゃんが言って、自分たちの服を忘れていることにあたしが気が付き、もう一度砂浜に戻りました。その頃にはとっくに身体が乾いていたので、その場で着替え、ふたたび海岸沿いを歩きました。いろんなことをやっているうちに日が沈み始めています。
「えるちゃん、えるちゃん」
「なーに? ガブちゃん」
「〈おさかなスポッと〉を見よう」
……すっかり忘れてた!
「魚、かかってるかなあ?」
「きっとかかってるよー」
磯だまりに行って罠を海中から引き上げます。中身を岩のうえにばしゃっと出してみると——小魚が一匹入っていました。ガブちゃんの言っていたとおり、ドジョウのような細長い魚です。
「すげえ、入ってた!」
「入ってたねー!」
「んー……でも一匹だけかあ」
「もうひとつのほうも見てみよう」
と言ってガブちゃんはもうひとつの〈おさかなスポッと〉も海中から引き上げ、同じようにして中身をその場で出しました。あたしとガブちゃんは岩のうえに躍り出たものをみて喜びました。……なんと、こちらの罠には小魚が三匹もかかっていたのです。魚の種類はぜんぶ同じドジョウみたいなやつですが、小さくて簡易的な罠で、合計四匹もの捕獲に成功したのです。
「やったー!」
「やったねー! 今日の晩ご飯は焼き魚だー!」
「「いえーい!」」ハイタッチ。
その後、罠を仕掛けていたすぐそばでカニを一匹見つけ、ちゃんと火を通せば大丈夫だということで、そのカニも持って帰ることにしました。
洞窟の基地に戻り、焚火で食材を焼きます。小枝で魚に串を打ち、じっくりと焼き上げます。カニについては直接火の中に放り込みました。
「いっただきまーす」
「いただきまーす」
ドジョウを食べるのははじめてでしたが、白身がふわっとした食感で、あっさりとしていて美味しいです。身も美味しいですが、焚火でパリッと焼けた皮が最高です。
これまでに食べた焼き魚のなかでいちばんかもしれません。
しっかりと火を通したカニはガブちゃんとふたりで半分こし、殻ごとぱりぱりといただきました。あれほど苦かったカニ味噌がなぜか火を通すことで甘くなっていて、濃厚な味わいが癖になりそうです。
火を通した食事は何日ぶりでしょうか?
美味しくて安全で、こんなにもすばらしいものだったんですね。
ふと気が付いたのですが、今日はまだガブちゃんとサバイバルをはじめた初日です。なんとも密度の濃い一日になりました。
ガブちゃんは「サバイバルに必要なのは『水』『食料』『火』『基地』の四つ」と言っていましたが、たった一日でそのすべてが揃ってしまいました。
それにしても、ガブちゃんのサバイバル知識には驚かされます。火を起こすやり方を知っていたり、魚を捕る罠の作り方を知っていたり……到底素人のものとは思えません。
プロの方ですか! と以前心のなかで突っ込んだことがありますが、何かしら、こういうかんじのことを専門としてやっていた経験があるのかもしれません。
「ガブちゃんって、サバイバルの知識すごいなあ」
「んー、そうかなー?」
「ほんまに凄いよ。竹ひとつで火を起こしたり、魚捕ったりって、ふつうはできんよ?」
「えへへー。そう言われると照れますなあ」
と言ってガブちゃんは自分の頭をかきます。
「いま思えば今日一日を無駄なく行動できたと思うし。なんでこんなに詳しいん? まったくの素人やとは思えんねんけど」
「そりゃまあ、まったくの素人ではないかなー」
「どこでその知識仕入れたん?」
「ガブはいっぱい『ディスカバリーチャンネル』観てたからね!」
「そっかー、『ディスカバリーチャンネル』観てたんか。……って、ジブン、めちゃくちゃ素人やん!」
衝撃的事実です。
ガブちゃんド素人でした。
しかもガブちゃん、ドヤ顔で言い放ちました。
「なんで、ドヤ顔っ……なん!」
「えへへー」
——かなりツボってしまって、二、三分笑い転げました。
「えるちゃん、えるちゃん」
「なーに? ガブちゃん」
「明日は何したい?」
「んー。そやなあ。〈おさかなスポッと〉をあと何個か作って、魚いっぱい捕りたいかも」
……いうてまだまだお腹いっぱいにはほど遠いし、たくさん食べたい。
「いいねー」
「ガブちゃんはやりたいことある?」
「そだねー……ココナッツから水を取るのは大変だから、水源を見つけたいかも」
「なるほど。それは大事やな」
「あとベッドも作りたいかな」
「ベッドか! いいなあ。……この洞窟の床ごつごつしてて、今のままやとちょっと身体痛めそうやもんな」
「ふわふわのベッド作ろうね」
「うん。それは明日中にぜったいやろう」
「あと、島の探索もしたいかな」
「雑木林の奥のほうとかまだまだ行ってないもんなあ」
「反対側の海岸も、どんなかんじか気になるし」
「せやねえ」
「えるちゃん。もしここより良い場所を見つけたら……家建ててみよっか?」
「家の建て方も知ってるん!?」
「知ってるよー」
「『ディスカバリーチャンネル』すごいな!」
「すごいでしょー?」
ふたたびドヤ顔。
「ちょっと、笑かさんとって……」
「えへへー」
「……しかし家作りかあ。大変そうやけど、面白そうやなあ」
「ぜったい楽しいよ! あと、食器作りもやりたい。調理器具も。釜戸とか鍋とか作れば、料理の幅も広がるし」
「食材を保存する入れ物とか、水を保存する入れ物もほしいな。……やりたいことだらけやなあ」
「だねー」
この島でも生きることができる、生活を維持することができる、という状況になったからか——やりたいことが次々と湧いてきました。
「えるちゃん、えるちゃん」
「なーに? ガブちゃん」
「ガブね、この島でえるちゃんと出会えて、嬉しいよ?」
……真っ直ぐに目を見てこんなことを言われると、なんかちょっと気恥ずかしいな。
でも。
「あたしもガブちゃんと出会えて、ほんまに良かったわ」
***
拝啓、お母さま。
『無人島に何かひとつ持っていくとしたら何をもっていく?』という定番の質問にはその前提条件が欠けていまして、だからこそ定番の質問たり得るんだとあたしは思うわけです。「その島でサバイバルをする」という前提なのか「その島からの脱出を目指す」という前提なのか、はたまた「その質問それ自体を大喜利と捉えて、奇をてらった回答を目指す」のか……質問の受け取り方がそもそも人によって違っていて、そこに回答者の個性が出てくるんですね。
あたしの場合、「その島でサバイバルをする」という前提だとしても、「その島からの脱出を目指す」という前提だったとしても、ひとまずは「相棒」が欲しいな、というのが結論ですね。
その相棒というのは、常に明るい性格で、一緒に居てるとこっちまでいつの間にか笑顔になっているような、特に何もしていなくても隣にいるだけでリラックスできるような、だけど一緒に居てたら居てたですぐにやりたいことのアイディアが湧き出ておもしろい時間が急に始まるような——そんな相棒が、まず何よりも最初に欲しいですね。
独りというのはつらいです。
この島に来てから、特に最初の七日間はとてもつらい時間になりました。もちろん孤独だったというのもあるんですけど、ただ単純に無人島でサバイバルをするということがキツすぎるんですね。貝とカニで食あたりしたときとか、生牡蠣食べてノロウイルスに罹ったときよりも遙かにしんどかったです。あたしたち人類の祖先は四百万年前に誕生したとされていますが、まったく、どうやってここまで生き延びてきたんでしょうね? 病院もなし、ライターもなし、それどころか知識の蓄積もないって状態で……きっと、想像を絶する数の犠牲があったんでしょうね。
自然とともに生活をするのは、とてもとても大変です。
そしてここには、自然しかありません。
日中の日差しは人を焼き殺すが如く降り注ぎますし、夜になればその場から一歩も動けなくなるくらい、まったく何も見えません。
だけど、もしもなくしてしまったスマホを見つけて——まああり得ない話ですけど——奇跡的に電波が繋がり、お母さまとの通話ができたとして、お母さまはたぶんあたしのことを叱りながら「今どこいてんの?」とあたしに訊くと思うんです。
そのときあたしは、ちょっと申し訳ないかんじで、でもちょっと笑いながら、こう答えると思います。
天国に流れつきまして。
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