第62話 悪魔の選択 4
痛みを感じる間もなく、というのは嘘だ。
強烈な痛みが、僕の意識を引き戻した。
頭をすり潰す痛み。
目が充血して、そこから涙があふれている。
痛覚があらゆる痛みに変換して、頭全体を蝕む。
「あれ?」
強烈な痛みはあるが、顔がそこにあった。
思い出した。
この痛みは、あの時の痛みに近い。
「女の子に変わる時……」
口の中からよだれがあふれている。
「な……」
天使が絶句していた。
「なぜだ……。貴様……、なぜ死なない」
痛みはあるものの、身体は動く。
今は考えている暇はない。
止まらない涙を無視して、天使の懐に入り込む。
天使の方も、僕が「生きている」という事実を受け入れられず狼狽している。
ならば、これが最後のチャンス。
僕はもう一度、天使の胸に刺さったグルカナイフの柄を掴んだ。
握りしめるだけで、身体全体に痛みが走る。
「くっそあおおお」
叫びで痛みをごまかしつつ、グルカナイフをひねる。
何か、スイッチが入ったように、手応えがなくなった。
「な、なぜだ……」
天使が僕を見た。
崩れ始めている。
解像度が粗くなっていく。
「それには、美少女の呪いがかかっているのさ」
天使の目が動いた。
その視線の先には、とうとうと語る悪魔。
「呪いだから強烈だぞ。何をどうあがいても、そいつは、美少女以外にはなれないんだ。美少女以外になろうとしたら、呪いという名の復元力が働いて、運命自体を捻じ曲げる。すでに、美少女という概念そのものになっているんだよ。だから、顔を吹き飛ばそうものなら、世界がその復元をはかる。だから、顔を吹き飛ばそうなんて、最大の悪手だったな」
「ぐ……呪い……」
「まあ、私は悪魔だからね。基本的には望みをかなえる方法なんて『呪い』しか知らないんだよ。すまないね」
天使が崩れていった。
「あ、ついでにそのナイフも呪いがこめてある。忘却の呪いさ。刺されたら忘れ去られるだけの、単純な呪い。何、天使なんてどうあがいても殺せないようなものは、存在を忘れさせて、この世から消えてもらうのが一番さ」
「き、貴様……」
「次に会ったときは、一緒に珈琲でもどうかな。美味しいのを淹れてあげるよ。君は、もう少し現世の幸せを実感した方がいい」
「貴様……」
天使が崩れて、小さくなっていく。
悪魔が天使を見下ろした。
「では、<<また会おう>>。お元気で」
「……」
天使は、床の染みになって、そして消えた。
あとには、グルカナイフだけが残った。
悪魔がそれを拾う。
「真琴!」
雅が抱きついてきた。
「真琴真琴真琴真琴……」
泣いていた。
泣きじゃくっていた。
「大丈夫。もう大丈夫だから」
僕も抱き返す。
「さ、これにて概ね、問題は片付いた、かな」
悪魔が軽い口調で言った。
「あ、そうそう。君の呪いの話を少ししておこうか。君は死なないというわけじゃない。注意したまえ。『美しく死ぬ』みたいなシチュエーションだと、君はあっさり死ぬ。気をつけたまえ」
「はい?」
「病床で、落ち葉が散るのを見ながら、とかそういうケースだ。儚げな『美少女』にふさわしいシーンかな」
「どんな冗談……」
「冗談じゃないよ。それが呪いだ」
たしかに、頭が吹き飛ぶ、という経験をすると、正直アレだ。
冗談とか、言ってられない。
「いや、さっき、相当痛かったんだけど」
「当たり前だ。普通の人間は『頭を吹き飛ばされた痛み』など、知らないまま、あの世へ旅立つが、君は、その痛みを感じることのできるようになったのだからね」
「げ」
「さて。二人とも、家に帰りたまえ。私は県警へ行ってくるので」
「県警?」
「県警の本部長から、今回の不祥事をなかったことにしたい、と魂を賭けた願い事を聞いてあげなければいけないのだよ」
「なかったことに?」
「死んだ人間が生き返ったりするわけじゃないけどね。警官たちの暴走ではなく、テロリストの暴走と、それに対する対処としての出動、という形に事象自体が書き換わるだけだよ。だけど、それに魂を賭けるというのだから。聞いてあげないと」
悪魔はニヤリと笑った。
「あ、君のお母さんは、多分交通事故という形で連絡が行くだろう。もう、蘇らせることはできないけどね」
「はい」
雅は頷いた。
「あ、透子先輩は?」
「ああ、君たちの学校の先輩か。心配しなくていいよ、というわけではないか。彼女は私の力ではない。人間の科学というか、医学次第だ。病院に運ばれていったからね。それこそ、神のみぞ知るというところだ」
「さて、それでは行くよ。また指示を出したら動いてもらうよ」
悪魔はそう言って、消えた。
「雅、行こうか」
「うん」
僕たちは店の出口へ向かった。
とまどいながら無線のやりとりをしている警察官たちの間を、二人で通り抜ける。
こうして、物語はひとまずの終わりを迎えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます