第26話 雅 8

「雅、お母さんいいこと考えたの。真琴さんに、雅の同級生になってもらおうと思うの?」



 は? え?



「真琴さんの相談員の方に相談したのよ。そうしたら、チャンスがあったら、学校へは行かせたいって。だけど、公立はやっぱりイジメとかで難しいし、私立はお金の問題があるらしいの。そこで、お母さん、聖天使の中途特待生試験をおすすめしたの。あれなら、合格すれば、学費の問題もないし」



 何、勝手なこと言ってるの。

 真琴は、中学なんて、とうの昔に卒業してるの。



「真琴さんにも会ってきたわ。そうしたらね、『雅のために』がんばってくれるって」



 え?



「で、でも真琴のアパートから、うちの学校って、結構遠いし」

「ええ。わかっているわ。だから、近くに新しくお部屋借りてあげるわ。雅も、そのお部屋で一緒に暮らしなさい」



 は?





 ああ。理解できた。

 そうか、そこまで含めた「計画」なんだ。

 私をこの家に置いておきたくないんだ。



 そうよね。

 私だって、別に「あなた」といたいわけじゃない。



 むしろ、ありがたい話よ。



「わかりました。真琴はきっと合格するわ。準備しておかなくちゃね」

「そうね。素敵なお部屋にしなきゃね」



 リビングを出ると、廊下に智哉がいた。

「出ていくの?」

「うん。多分ね」

「ごめんね」

「あなたが気にする必要はないわ」



 私は、そう言い放って部屋へと向かう。

 あー、嫌な人間だ。


 智哉には優しくしてあげなきゃ。



 私って心が狭い。

 嫌だな。



 真琴は、こんな人間のことをどう思うんだろう。

 真琴の理想は今の真琴。

 だけど、私は、それとは似ても似つかない。



 試験の日、私はお弁当を作った。

 何かしてあげたかった。

 何もできないけど。



 きっと、勉強だって、真琴の方ができる。



 私にできることって、何だろう。

 真琴にしてあげられることって、何だろう。




 そして、真琴は、きちんと合格してくれた。

 それも、勉強だけじゃない。

 時間のない中、スマホアプリを作っていたらしい。

 それを面接のときに見せたとのこと。


 凄い。


 私には思いつかない。



 私は、まっすぐに勉強することしか知らない。



 お母さんが嬉しそうに真琴のことを褒めた。

 お父さんが、その話を聞いた時、ちょっと興味を持ってくれたのは嬉しかった。



 まあ、お父さんの興味は仕事絡みなのは間違いないけど。



 そして、新しいお部屋は、「エンゼルコート星ヶ丘」の404号室に決まった。

 コンクリート造りの立派なお家。

 お母さんと一緒に選んだ。



 お部屋選びは、むしろお母さんの方が熱心だった。

 立地と使い勝手。それに防犯性。



 そして、夏休み中の、とある日に引っ越しをした。




「さー、できたわよ」

 お母さんは、とても幸せそうに言った。

 引越蕎麦よ、と蕎麦を湯がいて、綺麗に盛り付ける。


 まあ、幸せだろう。

 私という邪魔者がいなくなるのだから。



 ひたすら作って、ひたすら喋って、ひたすら片付けて。

 幸せそうに帰っていった。




「本当に来るとは思ってなかった」



「まずかった?」

 真琴が言う。


「ううん。ありがとう」


 これは本心。

 一人だったら、どうしていいかわからなかった、とは思う。


「い、いや、何というか……こちらこそ」

「でも、着替えとか覗いたら殺すわよ」

「はい……」



 まあ、ちょっと釘は刺しておかなきゃ。



「何かする?」



 二人で無為な時間を過ごす、というのは初めてだ。

 たしかに、何をしていいのか。


 何をしても「自分勝手」ということになる。

 でも、いいじゃない。

 好きなことをしていれば。



「お互い、自分の家でしょう。気を使いすぎるのはやめよ」

「うん」



 すると、真琴はゲームソフトを取り出してきた。

 種々様々。

 あたしは、ゲームをやったことがない。

 ない、というのは言い過ぎか。

 だけど、真琴がやっているような、リアルなゲームとかは、全然やったことがない。

 智哉も禁止されているから、触る機会がない。



「面白いの?」

「いくつか試してみるといいよ」



 真琴が適当に選んでくれた。

 映画みたいな映像の後、その映画みたいに見えるキャラクターを自分で動かすのだ。



 私は画面の中で走り、飛び、時には撃ち。

 行き詰まると真琴が助けてくれて。



 いつの間にか時間が過ぎていった。



 とりあえず、お風呂に入って寝る時間。


「「お休み」」


 そう言って、それぞれの部屋に入った。。



 一人の部屋は静かだった。

 隣には真琴がいる、とわかってはいた。

 今までの家だって、お父さんがいて、お母さんがいて、智哉がいて。



 だけど。



 この部屋は、何か違う。

 海の中。

 洞窟の奥底。



 そんな、隔絶された場所のイメージ。



 私は一人になった。

 家族のいる家は、私のものではなく、今日からはここが私の家になった。



 涙が出てきた。



 止まらなかった。



 私は一人だ。





「雅……大丈夫?」





 声がした。

 真琴だ。



 真琴。

 こんな変な環境のわたしのところに、一緒に来てくれた。


 会いたい。

 会えばいい。

 隣の部屋にいるんだ。



 私は枕を抱えた。



 そして、部屋を出て、真琴の部屋のドアを開けた。



 つかつかと歩み寄って、真琴のベッドに枕を置く。



「変なことしたら殺すからね」



 そして、布団に潜り込む



「エアコン二台動かすより、一台の方が節約できるでしょ」



 自分でも馬鹿な言い訳、とは思う。

 思いつつ、抱きしめた真琴の腕は温かい。

 かさかさと乾いてしまっていた私の心に、ゆっくりと浸透してくる。


「あ……あの」



 目が合った。

 心は男の人なんだよ、と私の中でアラートが鳴っていた。

 だけど、今はこうしていたい。

 安心したいから。



 私を拒まない人のそばにいたかったから。



「お休み」

「お、お休み」



 何となく、いつもよりよく眠れた気がした。

 その日から、毎夜、私は真琴のベッドに潜り込むようになった。



 両親といっしょに川の字で眠っているような安心感が、そこにはあった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る