第10話 魔法少女ルルーリアはレディル王子を愛しています

 ここには、その青空を見上げる者は誰もいなかった。

 逗留していたホテルから荷物をまとめて馬車に乗せる彼等は皆、肩を落とし、うなだれている。

 それは交渉を終え、ズワルト・コッホ首都から帰国の途に就こうとしているレストリア人の外交団だった。


『地政学的な見地から、レストリア王国の全ての領地と主権はズワルト・コッホ帝国に帰属すべきものである。レストリアが属国として従う意思を示さない以上、帝国は武力による問題の解決を辞さない』


 あからさまなくらい脅迫じみたこの要求を外交の場で何とか収められないかと臨んだレストリア外交団だったが、入国前に持っていた彼等の希望はすべて打ち砕かれてしまった。相手の主張が余りにも一方的で取り付く島もなかったのだ。

 ズワルト・コッホ外交官達の中で唯一、友好的な態度で接してくれたのは外務参与として参加した魔法少女ルルーリアだけだった。彼女が取りなしてくれなかったら乱闘になりかねないほど両国の応酬は激しかった。

 レディルは従者として参加しただけなので会議の席に就くことは許されなかったが、会談の行方が芳しくないことは容易に伺えた。

 本国との間に慌ただしく報告や君命の早馬が行き交い、会議の合間にレストリアの外交官達が必死に打ち合わせする。殺気立った彼等の間で時として声を荒げる者もいた。


「尊大な態度ならまだ我慢出来る。だが我々の交渉材料をズワルト・コッホは『それは正しい認識ではない』と全て否定しやがる。こちらの提案する対象は全てズワルト・コッホが所有すべきもので交渉の対象ではないと学校教師みたいに説明するんだ」

「カードはすべてこっちのものだと言われて一体何が交渉出来る? これでは強盗へ談合を持ち掛けているのと一緒だ!」


 漏れ聞こえる話のいずれも憤懣に満ちたものだった。レディルは気を揉んだが、王族といえど部外者が口を出すわけにはいかない。出来ることと言えば、見知った顔があればその人柄を外交官達に教え、疲れた兄や外務大臣を労わることぐらい。交渉は数日たっても一向に進展しなかった。

 そして、破局は日程の終盤についに訪れた。

 それまで辛抱強く交渉を続けていたレストリア外相ルーゲンが、ズワルト・コッホの傲岸不遜な態度にたまりかね、拳をテーブルに叩きつけて叫んだのだ。


「大国の威を笠に着た無礼者ども! 我々が隷属を望み、憐れみを乞う為にここへ来たとでも思ったのか!」


 激しい怒りの言葉を浴びてもズワルト・コッホの外務特使は動じなかった。まるで自分が皇帝その人でもあるかのように顎を上げただけだった。勝手に言ってろ、とでもいうように。

 それぞれの王と皇帝の許へ再び早馬が飛び……翌日、会議は打ち切られた。

 結局、なにひとつ合意はなかった。決議も、共同声明も。会談は両国の亀裂を深め、対立を決定的なものにしただけだった。


 ……こうして、失意のレストリア人達は帰国の途に就こうとしていたのである。

 肩を落とし、馬車へ乗り込むギデオンやルーゲンは憔悴しきっていた。そんな彼等に交渉がきっとうまくゆくと励ましていただけに、レディルは慰めの言葉すら掛けられなかった。


(……あの小さな辻占も結局、ただの徒花になってしまった)


 交渉は決裂した。戦争の危機は更に高まるだろう。

 ズワルト・コッホの豊かな国力と強大な軍事力に対し、レストリアは小さく、兵力も貧弱だった。横暴な大国の威喝を恐れ、助けの手を差し伸べてくれる友好国もいない。

 レストリアはこれからどうなるのだろう……


 ――でも、父ちゃんが遺したこの国を絶対守らなくてはいけない。


 この先に絶望が待っていても己の身で出来ることを精一杯頑張ろう。もう、それだけしかない……レディルは唇を噛んで外交団の乗った馬車の隊列を追うべく、愛馬に跨ろうとした。

 そんな彼の袖をそっと引く者がいる。

 振り返るとズワルト・コッホの魔法少女ルルーリアがそこにいた。

 彼女は自分の仲介で開催した会議が破談となった後、ひっそりとレディルを待っていたものらしい。

 だが……そのヘテロクロミアの瞳には、謝罪とは別の暗い決意の炎が燃えていた。


「ああ、ルルーリアさん、このたびは色々とお世話を掛けました。本当にありがとうございました」

「レディル様、申し訳ありません。このような結果となってしまい……」

「貴女のせいじゃありませんよ」


 この少女の尽力がなかったら、ズワルト・コッホはレストリアと向き合うことすら拒んだだろう。レディルは精一杯笑顔を作り、頭を下げた。


「そんな恐れ多い……先日のお詫びに少しでも貴方のお役に立ちたかっただけです。この通り、何も出来ませんでしたが。ごめんなさい……」

「もういいのです、どうか顔を上げて下さい。レストリア王族の一人として貴女のお力添えに心から感謝いたします」


 ルルーリアの手を取りその甲にそっと口をつけて返すと、彼女の頬にさっと赤みが差した。


「僕はこれからレストリアへ戻ります。では、いずれまたどこかで……」

「お待ち下さい、レディル様!」


 引き留められ、怪訝な顔をして振り返ったレディルの腕に縋りつくとルルーリアは、思い詰めた顔で彼の顔を見上げた。


「正直に言います……私の属する魔法協会の意向もございましたが、会談が失敗することは当初から私、分かっておりました。ズワルト・コッホはレストリアの主張など最初から聞く耳なんて持っていなかったのです」

「……」

「ルーベンスディルファー殿下。私がこんな茶番劇をズワルト・コッホで開かせた目的は……貴方です。ここで、こうして貴方とお会いするために」

「お止めなさい。貴女はズワルト・コッホの外務参与でしょう。本来ならレストリア王族とこうして親しく話していることを見られたら誤解される立場なのに」


 いやいやと首を振ったルルーリアは胸に手を当て、苦悶の表情を浮べた。


「構いません。ルルーリアは……自分の心を抑えることがもう出来ません。レディル様、私は……私は……」

「ルリアさん、駄目です。それ以上仰らないで」

「いいえ。本当は気づいておいでなのでしょう? ルルーリア・マギカ・キルシェットは、初めてお会いした時からずっと……レーベンスデルファー殿下をお慕い申し上げておりました!」


 レディルは黙ったまま、この美しい魔法少女の告白を聞いた。

 まったく気づいていなかった訳ではない。社交の場で視線を感じて振り返ると、そこには必ずこの少女が潤むような眼で自分をじっと見つめていた。

 だが、互いに対立する国を負う立場なのだ。それに応えてはいけないと彼は思っていた。

 しかし、彼女の言葉を受けてしまった以上、どんなに困惑してももう知らぬ顔は出来なかった。

 ルルーリアの想いはそれほどまでに切実で真剣だったのだ。


「レストリアにはいずれズワルト・コッホ軍が進駐するでしょう。その際には王族の血統を絶てとジーグラー陛下は命じられるやも知れません。いえ、きっとそうなるでしょう」

「……」

「でも貴方だけは私の力で何とかお救いいたします。ですからどうか私を……」

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