第9話好きになってくれた人はあがり症

 二人の来訪は突然だった。何の連絡もなしに兄夫婦が愛奈の住むマンションにやってきたのだ。もし留守だったらどうしてたんだと聞くと、愛十が「今日はずっといると思ってた」と胸を張りながら言ってきた。その自信はどこからやってくるのか。


「で、何かあったの?」

「いやさ、愛奈って結婚とか考えてないのかなって思って」

「……それを聞くためにわざわざ東京まで?」

「もちろんそれ以外にもここまできた理由はあるよ。ところで、そろそろ中に入れてくれないかな」


 確かにいつまでもドアの前で話しているわけにもいかない。二人を部屋に入れてお茶の準備をする。


「さっきの話だけど……私は結婚は考えてないわ」

「そうなんだ。ちなみに、男性とデートするのはアリ?」

「まぁ……時間があれば食事くらいなら」

「でしたら! ぜひ会ってもらいたい人がいるのです!」


 今まで沈黙を保っていた佳代がポンと両手を合わせて声を上げる。察するに、この二人は愛奈に男性を紹介したくてやってきたのだろう。

 あれよあれよと言いくるめられ、普段はあまり着ないブラウスやスカートで身を包み、ボサボサの髪も綺麗なストレートヘアにする。いつも寝癖にジャージだから違和感の塊だ。


「まぁ! お綺麗ですよ!」

「それはどうも……」


 佳代に手を引っ張られて待ち合わせ場所だというカフェに行く。その間、愛十は何が面白いのかずっとニヤニヤ笑っていた。


「ま、ま、ま、愛奈さん、きょ……あ、ほ、本日はお日柄よく……その、お、お会いできて、うれし、嬉しいです!」

「ええと、お名前は……」

「あ、き、気が利かなくてすみません! 僕、萩野隼人はぎのはやとと言います。よ、よろしく、お願いします……」

「私は吉木愛奈です。こちらこそよろしくお願いします」


 声がどもり、顔が茹でられたように真っ赤になっている彼が、兄夫婦が紹介したいと言っていた男性だ。緊張しすぎてコーヒーカップを持つ手がカタカタと音が鳴るぐらい震えている。


「彼、とても良い人なんですけど、ご覧の通りあがり症で……特に好きな人を前にするといつもこんな感じになってしまうんです」

「な、慣れれば、大丈夫」

「と、本人は言うんですけどねぇ……」

「はぁ、なるほど……ところで好きな人っていうことは、私とどこかで会ったのかしら?」

「あ、それは俺が愛奈の写真を見せたんだよ。ほら、この前佳代と動物園に行っただろ? その時の写真、お前の顔が面白くてつい見せちゃったんだよ」

「は? ちょっと、許可なく見せないでよ」

「ごめんごめん。あ、ここのお代は俺が持つからさ、それで許してくれよ」


 動物園で撮った写真って、私が臭いのせいでグロッキー状態になっていた時のやつじゃないか。そんなの絶対に良い表情じゃない。というかその写真で好きになるとか、この隼人っていう男性の目は大丈夫なのか。

 などと失礼なことを考えていると、


「というわけで、ちょっとで良いので彼とデートしてもらいたいんです」

「お、お、お、お願いします!」


 ブンッと風を切る音を立てて隼人が頭を下げる。


「私からもお願いします。彼、これでも今日はけっこう喋れている方なんです。その努力に免じて、どうか!」

「愛奈、俺からも頼むよ」


 三人に頭を下げられて、他の客の視線が愛奈達がいるテーブルへ注がれる。ここで断ると嫌なヤツだと思われるじゃないか。


「兄さん、今日の夕食のお金。せっかくのデートなんだし、高いとこ行くから」


 愛十は一瞬だけ逡巡したが、すぐに「わかった」と言って財布の中身を確認し始めた。

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