新暦九九五年 十一の月 その一
やや南の天頂に昇った太陽が、馬たちの短い影を地面に落としている。
レーン家の前庭に並んだ十頭の馬と十名の騎士たちの前に、ヴィレム・レーンが立っている。ヴィレムの前に、イリスが歩み出た。
「準備が整いました、父上」
レーンの言葉にヴィレムはうなずき、レーンの肩に手を置いた。
「頼んだぞ」ヴィレムは、レーンの背後に控えているレオに目をやった。「イリスを助けてやってくれ」
「お任せを」レオがこうべを垂れた。
「では、騎乗!」
イリスの声に、騎士たちが一斉に馬にまたがった。最後にイリスが馬上の人となったとき、フード付きのマントをすっぽりとかぶった騎士を乗せた馬が近づいてきた。イリスの隣に並んだ騎士のフードの奥から、シドルの顔が覗いた。
「私も行く」
イリスはヴィレムと視線を交わした。
「シドル殿が来ていただけるのなら、百人力」ヴィレムはいった。「ぜひ、お力をお貸しください」
「微力ながら」シドルがいった。
「では、シドル殿と若はしんがりを」レオが先頭まで馬を進ませ、騎士たちに告げる。「出立する」
「君まで来ることはなかったのに」
馬を進めながら、イリスはシドルにいった。
「戦力は一人でも多いほうがいいだろ」
「別に戦争に行くわけではないんだ」イリスは首を振った。「ユリウスを拘束すれば、それで終わる」
「あそこにはアマンダがいる」
「わかってる」イリスはうなずいた。「でもこれで、王弟派は大きな打撃を受けることになる」
「よりにもよって、あんなタチの悪いものを他国へ輸出してたとはな」
「禁制品を売って得た金は王弟派に渡り、奴らの活動資金となっている。金の動きもおおよそ把握した。大逆罪は免れないだろう」
「兄弟で争うなんて」シドルが首を振る。「愚かだ。しかも、たったひとつ違いの実の兄弟なんだろ」
「ああ」イリスがうなずく。「いっそのこと、彼らが双子だったらよかったのかも」
「なぜだ」
「双子は昔から不吉だといわれているんだ。のちのち禍根になると。王族では、双子が生まれたら、すぐにどちらかを殺すことが通例となっている。女児の双子も、男の血筋を絶やすといわれていて、同じようにどちらかを殺すことが多い」
「なんて残酷な」
「それが、血の命脈を保つということだ」
「これがうまくいけば、正当な命脈が保たれていくというわけか」
「もしもユリウスがこちらの動きに気付いていなければの話だけど」
イリスはちらりとシドルを見た。
「なるほど。それで直前になって決行のタイミングを早めたんだな」
「情報はどこから漏れるか分からないからね」
シドルはイリスの視線を受け流して、うなずいた。
イリスたちがユリウス・バウマンの居城に着いたのは日が暮れてしばらくたった頃だった。
堀の手前で馬上のレオが指笛を鳴らすと、跳ね橋が降りて城門がゆっくりと開いた。
騎士たちは門をくぐり、馬を降りた。
イリスの元へ、下男風の男が走り寄ってきた。
「守兵たちはすべて眠らせています」
「ご苦労だった」イリスは男にうなずいた。「それで、客たちは」
「取引はすでに終わり、居間でもてなしを受けています」
男とイリスのやりとりを、シドルはじっと見ている。
やがて男の案内で、イリスたちは城内へ入り居間の扉の前に立った。
男は懐から布を取り出すと鼻から下を覆い、うしろで縛った。
「既に『魔香』が焚かれています。直接大量に吸い込まなければ大丈夫ですが、お気をつけて」
騎士たちが全員、顔の下半分を布で覆ったのを確認し、イリスは扉を開けた。
部屋に入ったイリスは、思わず腕を口元にかざした。
布では防ぎきれない、薬草のような『魔香』の匂いがイリスを襲った。
しかし、イリスを不快にさせたのは部屋の中に充満している別の匂い――人間の汗と、体液の匂い、そして何人もの人間から発せられている、嬌声とうめき声だった。
薄暗い部屋の床に複数の人間がうごめいていた。
十人ほどの裸の男女が、体をからませている。二人、三人、四人の男女の組み合わせが様々な恰好でお互いの体をむさぼりあっていた。
一人の男が女を立たせてソファに押し付けると、背後から覆いかぶさり、腰を動かし始めた。
騎士たちは彼らには目もくれず、『魔香』が焚かれている炉の火を消し、魔力が封じ込められた砂を被せていく。
部屋の中の光景を前に立ち尽くすイリスに、裸の男が近づいてきた。液体の入ったグラスを持ち、空いた手でイリスの肩に手をまわした。
「なんだ、おまえ。子供じゃないか」男は焦点の定まらない目でイリスの顔を覗き込んだ。ろれつが回っていない。「まあいいや。お前もさっさと脱げ。ほら」
男は近くの椅子にどかっと押しを下ろし、床に仰臥している別の男の腰にまたがっていた女の手を取った。
「おい。こいつの相手をしてやれ」
女はのろのろと立ち上がると、倒れこむようにしてイリスの足元に跪いた。
「あら」虚ろな目でイリスを見上げ、女はいった。「イリスじゃない」
「ミセス・アッペル……」
イリスのくぐもった声に、女は答えた。
「今はミセス・バウマンよ。ミセス・フランカ・バウマン。そんなことより」フランカはイリスの股間に手をやった。上半身がふらふらと揺れている。「ねえ。いいことしましょう。大丈夫よ、私が教えてあげるから」
思わず後ずさったイリスの前に人影が割って入り、フランカにマントを羽織らせた。
シドルは、フランカを抱えるように立たせると、部屋の隅へ連れていき、ソファに横たえた。
騎士たちは男たちと女たちを別々に集めて床やソファに座らせた。『魔香』の効果で朦朧としている彼らはおとなしく指示に従っている。
「ユリウスがいません」
騎士の一人がイリスとレオに告げた。
レオは先ほどイリスに話しかけた男のそばにしゃがみ込んだ。
「卒爾ながら、南の地『目の国』の財務大臣補佐官ビクトル・コルテス殿とお見受けする」
「ああ。いかにもそうだが」だらしなく椅子に体を預けているコルテスは、大儀そうにうなずいた。「誰だ、お前は」
「ハーレン領主ヴィレム・レーン配下の騎士、レオ・ニスラと申します。東の地『太陽が沈む国』の王、デニス・ヤンセンの命を受け、禁制品の押収と不正な取引を防ぐため参りました。まことに遺憾ながら、『目の国』の方々には即刻退去していただくこととなりましょう」
「ふん」ろれつの回らない口調で、コルテスがいった。「これまでさんざん高値で売りつけておいて、今さら……」
「『魔香』の取引は南の地でも禁じられているはず。ここはおとなしく引き下がられるがよろしいかと」
「わかっている。あとでそちらの領主と話したい」
「もちろんです」レオはさらに顔を近づけた。「ところで、ユリウス・バウマン殿の姿が見えませんが、ゲストの方々を放っておいてどこにおられるのでしょうな」
「ああ。奴なら、塔だ。東の塔に奴の寝所がある。先に休むといっていた。なんでも、今日まで取っておいたお楽しみがあるとか」
レオは表情を曇らせると立ち上がり、イリスにいった。
「若はここで――」
イリスは首を振った。
「僕も行く」
そして、シドルを見た。
「私も行こう」
シドルはうなずいた。
「わかりました」
レオもうなずくと、騎士たちに指示を出した。
数人の騎士を連れて、イリスたちは東の塔に向かった。
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