第126話 傷まだ深く


 試験が終わり日常に回帰。


 今日は日曜日。


「太陽の日……か。『光あれ』から始まったんだっけ。創世記は。そうなると土曜日が魔王の名を冠しているのどうなんだろう?」


 鏡を見ながらヘアピンで片髪を留める私でした。


「気合い入ってるな」


 久方ぶりのお兄ちゃん。


 最近は締め切りに追われていた様で、すこし顔色が悪い。お兄ちゃんの場合、締め切り直前は大体こんな感じだけど。


「良い事でもあったのか?」


「これからデート♪」


「……………………マジで?」


「嘘でもいいよ?」


「恋人が……?」


 お兄ちゃんの声は、掠れていたわかっていたことではある。お兄ちゃんは、その善良性を、私に仮託している。


「傍に居る」


「一緒に居る」


 そう私はお兄ちゃんに誓った。そうでもしなければ、この場にお兄ちゃんは立っていないはずだ。


「誰だ!?」


「ちょっと前に来たでしょ? 春人=アンデルス」


「デート……するのか……?」


「恋人だし」


「置いていくのか……?」


 ――誰を?


 とは聞けない。


 お兄ちゃんの弱さは、私が一番よく知っている。


「置いてはいかないよ」


「でも恋人って」


「お兄ちゃんの傍に居る。それはこれからも変わらない」


「俺と結婚しないのか?」


 出来ないでしょ。


 共依存の関係は、確かに在れども。


 揺らぐ視界。


 アイデンティティの崩壊。


 レゾンデートルの消失。


「陽子!」


 ギュッ、と……お兄ちゃんは抱きしめた。


「痛いよ……」


「見捨てないで」


「見捨てない」


「傍に居て」


「傍に居る」


「俺を見て」


「何時も見てるよ」


「でも誰かの物に為られたら」


「ソレでもお兄ちゃんを……裏切らない……」


「信じられない」


 ――人は弱い。


 お兄ちゃんはソレを知っている。誰よりも傷ついてきた人だから。


「お願いだから……」


 シスコン。


 シスターコンプレックス。


 シンタックスコンプリート。


「誰かの物に為らないで」


 ソレは無理だ。


 私は春人を愛しいと感じている。


「う……げぇ……」


 私を抱きすくめて、お兄ちゃんは吐いた。


 赤色の吐瀉物。


 過剰なストレスが、血流と為って、胃から吐き出される。


 急性ストレス疾患。お兄ちゃんは病人だ。それは今も変わっていない。その深度を……私は見誤っていた。


 百十九番。即日入院。


「お兄ちゃん……」


 意識をシャットダウンさせたお兄ちゃん。


 お気に入りの私服が、喀血で汚され、デート処じゃ無かった。


 そこまで私に依存してるとは思わなかった。


 知っていたつもりだったのに。


 あくまで、「つもり」でしかなかったらしい。


「陽子さん」


 仕事終わりに凜ちゃんが駆けつけた。


「先生の容態は?」


「命に別状は無いよ」


「…………」


 胸をなで下ろす凜ちゃん。


「ただちょっとストレス過多みたい」


「春人=アンデルス……」


「だね」


「業の深い」


「きっとお兄ちゃんにとって世界は私だから」


「シスコン」


「そう呼ばれる概念だね」


 陰陽陽子と陰陽陰子なんてまさにそれ。


 シスコンの具現化。


 でも、だからこそお兄ちゃんは私を支えに立つことが出来ていたわけで。私がそのハシゴを外してしまった。リミッター……と呼んでも良い。


「烏丸茶人……先生は……」


「まぁ。そうだよね」


「意識は?」


「不明瞭」


「まさか」


「すぐ起きると思うよ」


 私は凜ちゃんの懸念を打ち消した。


 少なくとも寿命以外で私より先に死ぬのはお兄ちゃんの本懐じゃないはずだ。


 私はどうすれば良いのだろう。どう応えればお兄ちゃんは血を吐かずに済むのだろう。


 本当は分かっている。けれど孤独は一人一人のモノで。内に抱えた病巣を、私は並列して取り除きたいだけの思い上がりだったのだろうか?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る