第123話 アーマイリルガー


「最近楽しそうですね」


 尾崎豊の曲を弾きながら、凜ちゃんが声を掛ける。


 毎度毎度の音楽室面談。


 外面では、


「日高先生」


 と呼ぶしか無いので、


「凜ちゃん」


 と呼べる音楽室は、嫌いじゃなかった。


「超楽しい」


 グッとサムズアップ。


「良い事です」


「人の視線を気にして生きるのも疲れるしね」


「それをもっと早く気付けば」


「春人と出会えなかった」


「…………かもしれませんね」


「んだ」


 ピアノが鳴る。軽妙な音は澄み切っており、とても素人とは思えない……あるいは玄人ですら比較対象にならない高度に位置している。


「凜ちゃんも結婚とか考えないの?」


「一休さんですね」


「何故そこで一休禅師?」


「二次元から虎を出せってなもんで」


「テレビから陰陽陽子は出てこないよ?」


「それでお殿様も困ったわけですし」


「私で妥協する?」


「先生に刺されるので止めておきましょう」


 賢明だね。


 なにはともあれ。


「じゃあ独身貴族?」


「それも寂しくはありますけど」


「お兄ちゃん。お金持ってるよ?」


 億ション買えるくらいだし。


 お兄ちゃんと一緒に居れば、あらゆる贅沢が許される。凜ちゃんもソレは察しているはずだ。その上でヒールを気取っているのだから何だかな。


 それはお兄ちゃんだけでなく春人も一緒か。


「酒を飲んで、詩を歌って、華を愛でれば、生きていますよ」


「仙人だね」


「先生と酒を飲むから美味しいんです」


「妬ける」


「はは」


 アーマイリルガー。


「お兄ちゃんは幸せ者だ」


「陽子さんもね」


 うん。


「好きよ? 凜ちゃん」


「ええ。拙も」


 軽やかな鍵盤の叩く音。


「中間考査も大丈夫そうですね」


「今のところは」


 例外が無ければ。


「遺伝子ですね~」


「確かにね」


 ソレが全てでは無いにしても。


 言い訳なんていくらでもある。


 血液型で、人を差別する連中もいるくらいだ。


 その意味で凜ちゃんは寛容だ。


 お兄ちゃんにも必要な人だろう。


 私にだって必要だ。


 凜ちゃんの淹れるコーヒーは、薫り高い。今飲んでいる缶コーヒーより。それだけで、人は幸せを噛みしめられる。


「一応試験範囲は授業の通りなので」


「だったら問題ありません」


「学年一位は違いますね」


「凜ちゃんとお兄ちゃんにだけは言われたくないんだけど」


 どっちもをして規格外と評せる性能だ。私程度では到底追いつかない高みにいる。ソレを誇らないのもまた嫌味。


「そうかもしれません」


「かもじゃなくて事実でしょ」


「偏に知識は人生に彩りを添えてくれますから」


「それがわかんないのが若さだよ」


「わからないんですか?」


 ――酒の席に着いたこと無いし。


「一応乙女なんだけど」


「ここでは拙の生徒ですよ」


「15の夜」


「承りましょう」


 またピアノが歌い出す。


「凜ちゃん何処でピアノとか覚えたの?」


「エリート教育を受けましたので」


「詩も花も出来るんだよね?」


「習いましたからね」


「裁縫も?」


「生徒アンデルスさんほどではありませんよ」


「あれはサラブレッドだから。色んな……ほんと~に色んな意味で」


 両親の感性と遺産を受け継いだ、一種の究極。そして悲しみと寂しさの象徴でもあった。


 両親と会話するには、アトリエにこもるしか無いのだ。


 それだけは、私でもどうにも出来ない心の逆トゲ。


「いいんですよ」


 凜ちゃんの言う。


「そんなことはきっとアンデルスさんもわかっていらっしゃいますから」


「そっかな?」


「さほど愚鈍にも見えませんね」


 臆病だけどね。だから大事な言葉を飲み込んでしまうのだろう。その繊細さが……とても愛おしい。


「だから拠り所を陽子さんに見出したのは……たしかに最適解かと」


「私。何も出来ないよ?」


「傍に居るだけで救いになれる人は希少ですから」


「凜ちゃんも?」


「秘密です」


 ピアノが、盗んだバイクで。

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