第121話 引退宣言


「~♪」


 私は上機嫌に髪を櫛で梳いておりました。


「御機嫌ですね」


 凜ちゃんの苦笑。朝食を準備してくれている。お兄ちゃんは、最近夜型になっている。大学は、並行しているけれど、仕事は夜の方が捗るらしい。


 私にはまだわからない世界。


 三つ編みおさげも、伊達眼鏡も止めた。


「おや、今日は一段と愛らしい」


「凜ちゃんのお墨付きだね」


「陰キャは止めたので?」


「引退宣言」


「それまたどうして?」


「恋しい人の前では、可愛くなりたいお年頃」


「乙女ですね」


「元からのはずなんだけど」


 ジト目~。


 たしかに陰キャだったけど、一応、心は乙女のつもりだったんだけどなぁ。


「コレは失礼をば」


 苦笑いの凜ちゃん。


「乙女じゃ無くて何に見えるのさ?」


「いえ、どこか年齢不相応に達観していらっしゃるから」


「そかな?」


 凜ちゃんの評価に……私は自覚が無い。別段自分が大人とも思っていないし、視界の狭さには嫌にもなる。年齢不相応かな?


「ええ。諦めがいいとも申せますね」


「にゃ~」


 不本意。


 ソレはわかんなくはないけど。


「けれど安心しました」


「何に?」


「恋心を持ってらっしゃったのですね」


「恋……かな……?」


「恋しいお相手では?」


 そうなんだけど。


「環境人格の問題もあるし」


「?」


 そりゃ凜ちゃんは知らないよね。


 多分、私以外で知ってるのは、お兄ちゃんと春人だけだろう。心配させるのもアレなので、此処では言及しない。しても意味ないし。


 朝食を食べて、身なりを整え、すっぴんメイク。


 凜ちゃんは一足早く出勤した。


 追いかけて私も家を出る。


「行ってきます」


 と寝ているお兄ちゃんの仕事部屋に向かって。


 それから我が家とは別のマンションに顔を出す。


「やっほ」


「ども……」


 春人が出た。


 長い前髪で顔を隠し、伊達眼鏡でモブキャラを装う。


 けれど此度に於いては……。


「だーめ」


「何が……?」


 答えず、ヒョイと伊達眼鏡を取る。それは一つの宣言ではあった。私としては宣戦布告に相違ないけども。


「伊達眼鏡同盟は終了」


「ふえ……?」


 首を傾げる愛らしい春人。その御尊貌は、とても尊くて。だから乙女の心を揺さぶって仕方がない。


「春人は私が好き?」


「好意的……です……」


「キスしたしね」


「ごめんなさい……」


「嬉しかったよ?」


「ふぇやわ……」


 だから、


「陰キャは引退。はい。ヘアピン」


 私は、春人の前髪を、ヘアピンで纏めて横にずらす。


 覗いた顔は『美貌』の一言。神懸かりと言って過言ですらない。おそろしく出来上がった愛らしさが乗っていた。


「可愛い!」


「ふじこ……」


「女の私でもどうにかなっちゃいそう!」


「光栄……です……」


「じゃあ今日からイチャイチャしようね?」


「いい……の……?」


「今更」


「あう……」


「じゃあまずはハイ!」


 右手を察し出す。


 握手。


 ――と見せかけて、春人の右手を左手で掴む。


 指を絡ませて、恋人つなぎ。


「ふじこ……」


「ん。良い感じ」


「本当に……?」


「光栄な栄光」


「現実の実現……」


 少なくとも空虚な虚空ではない。


「私はちゃんと此処に居るから」


 春人は一人じゃ無い。


 一人にしない。


 してあげない。


 そう信じれば、太陽だって暖かいものだ。


「ちゃんと……居るの……?」


「離れたりなんかしないよ? もしそうなら恨み節で刺して良いから。なんなら弁護士に相談して遺書でも書こうか?」


「いえ……。流石にソレは……」


「ふぅん? ま、いいけどね」


 ポカポカの太陽は今日も陽気だった。

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