第120話 トゥモロー


「モテモテですね」


 下校時間過ぎ。


 何時もの音楽室。


 私は、凜ちゃんのピアノを聞きながら、何時もの如くの缶コーヒー。薄利多売の苦さはコーヒーにも反映されていた。


「だってしょうがないじゃん」


「陽子さんは優しすぎますよ」


「これって優しさ?」


「不幸な人を見たくないんでしょう?」


「そうかもだけど~」


「先生もそうで、アンデルスさんもそうと」


「お兄ちゃん……怒るかな……」


「錯乱はするでしょうね」


「やっぱり?」


「おそらくですけど」


「お兄ちゃん以外にも居たなんて知らなかったんだもん」


「その辺はまだ子どもですよ」


「大人ぶっちゃって」


「お酒も飲めますし」


「他にもいるの?」


「テレビを見てください」


 ニュースね。たしかに不幸は珍しくないんだろう。別段、私は私を特別とは思っていない。ちょっと病気かも知れないけど。


「けれどお兄ちゃんは身近で」


「アンデルスさんも身近になってしまった……と」


「あう」


 論弁では凜ちゃんに勝てない。たしかに春人と一緒に居る機会が増えて、そこに心情を託している側面は否定も出来ない。


「じゃあ日高先生がお兄ちゃんを籠絡して」


「性病が恐いので遠慮しておきます」


「おお」


 大人な回答。


 やっぱり凜ちゃんは格好良い。


「何か聞きたい曲はありますか」


「トゥモロー」


「ではその通りに」


 逢魔時に良く響く。


「仕事は良いの?」


「努めて素早く終わらせました」


「はぁ」


 嘆息。


「気が重いですか?」


「だね」


 お兄ちゃんも、春人も、愛しいと感じる。


 この気持ちは何だろう。


 ――慰み?


 ――同情?


 ――共感?


 ――あるいは軽蔑?


 最後者かも知れない。


 基本的に、「私は不幸じゃ無い」が前提にある。


 いままで虐められたことも、理不尽に奪われたこともない。


 陰口やイジメは少し受けたけど、それで自暴自棄になる繊細さを持ち合わせてもいないのだ。私の図太さが嫌にもなる。


「では、なんでしょう」


 凜ちゃんの言葉がテーゼ。


 たしかにコレは、何なのだろう?


「では拙が恋人になりましょうか」


「ソレも良いかもね」


 お互い本気じゃ無いから軽口が叩ける。


 ソレを知っての凜ちゃんだろう。


 ソレを知っての私でもあった。


 憎まれ役は、慣れていらっしゃる。悪役の扱いも手慣れたものだ。


「お兄ちゃんなんかには勿体ない」


「先生が相手ではこちらが役者不足ですよ」


 そっかな?


 凜ちゃんの方が格好良いけど。


 さらさらの髪とか、静謐な瞳とか。


 知的成人男性の鏡だ。


 ソワカ。


「結局、陽子さんはどうしたいんですか?」


「春人を一人にしたくない」


 春人が誰かを求めるなら、私はその止まり木になりたい。雨が降るなら傘になりたい。風が吹くならコートになりたいのだ。


「壊れているのは陽子さんも一緒ですね」


「そんな高尚な物じゃ無いよ」


「だから美しいんです」


 ――打算も無い心配など滅多に見られませんから。


 凜ちゃんは、ポツリと呟いた。


「まずは何事も話し合い……でしょうか」


「奇策の用いようも無いしね」


「ええ」


 明日。


 百万回のアイラビューを語ってみよう。


「なら贈るべき言葉は」


「言葉は?」


「世界が平和でありますように」


 そうだね。


 正にその通りだ。


 争いの渦中にいて、平和を望まぬ輩が居るモノか。


 その意味で、たしかに平和を望むしか無いのだろう。


「中間考査も近いってのに」


「陽子さんなら大丈夫ですよ」


「お墨付きには感謝です」


 飲み干した缶コーヒー。


 傾けると、ポタリと一滴落ちた。


 舌で舐め取る。


 この世は無常だ。


 夢の大切は、今の大切じゃない。

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