第117話 目覚め
「あー……」
久しぶりに過去の夢を見た。
お兄ちゃんが虐められた記憶。
自殺未遂。入院。失語症。
お兄ちゃんは高校を退学した。
高認を受けて、即上がり。
公立の難関大学に普通に入学。
その頃には言葉も取り戻していた。
シナリオライターとしては片手間にやっていて、そこから大学との兼業作家と相成り申す。
凜ちゃんとは、大学からの付き合い。
作品を読んで、お兄ちゃんのファンになり、私とも繋がりが出来た。
お兄ちゃんを「先生」と呼び、よく酒を飲む仲に。
だからわかる。
「お兄ちゃんも春人も一緒か」
起き上がる。
朝の目覚め。
電気ポットからお湯を注ぎ、インスタントコーヒーを飲む。
「さて、どうしましょ?」
早朝。
ホケッとコーヒーを。
しばらくニュースを見て無聊の慰め。
「おや、起きられましたか」
凜ちゃんが入ってきました。
合い鍵は既に渡してあるので。
「コーヒー飲む?」
「陽子さんが淹れたコーヒーなら補正が掛かりますね」
「多謝」
インスタントコーヒーを差し出す。
「先生は?」
「徹夜続きみたいよ?」
「お忙しそうですね」
「サラリーマンが言う?」
「ガキの相手は慣れてますので」
「前から思ってたんだけど」
「何ですか?」
「お兄ちゃんの何が好きなの?」
「それは……?」
「付き合って、世話して、酒を飲んで、談笑」
「先生が好きだからですよ。何が……と問われれば少し困りますけども……理由が必要ですか?」
「わお」
「いえ。そういう貴人の嗜みではなく」
「なぁんだ」
「腐ってますね」
「お兄ちゃんの傍に居られる人間は限られるからね」
「ええ」
「で、何?」
「単純に感性ですよ」
「感性」
「先生の小説を読んで啓蒙しましたので」
「ふむ?」
「これでも昔はあまりいい人間では無かったんですよ」
「凜ちゃんが? 日高先生が? 日高凜が?」
「ええ」
コックリ。
「は~……」
素直には頷きがたい。
「エリート思考で育てられたので、自分以外の周りはクズだと信じて疑っていませんでした。そしてそれをひた隠しにする外面の良さも完備していたので」
実際に顔も良い。
勉強も出来る。
スポーツも。
武芸百般も。
人当たりも良い。
さぞモテるだろう。
「けれど、大事な人の優しさだけが、拙には理解が出来ませんでした」
「だからお兄ちゃんの……」
「妹愛に啓蒙されました」
そう凜ちゃんは言う。
大切な人への大切な想いがお兄ちゃんの小説には溢れている。人生を賭けてでも守り通したい。慈しみたい。幸せの中で生きて欲しい。そんな願いが、お兄ちゃんの小説の根幹ではある。
「私のこと好き?」
「ええ。とても」
穏やかな口調だった。
反面、裏切るような熱っぽい。
冷静と情熱を両立させうる声。
やっぱり凜ちゃんはイケメンだ。
本当に人間として、紳士として、どこまでも完成されている。その事が非常に嬉しくもあり、また勿体なくもある。
けれど……お兄ちゃんのおかげで愛に目覚めたのなら、それはたしかに私を好きにもなるだろう。
「だから今は、そんなダメだった過去の自分を、笑い飛ばして、酒の肴に出来るように……努めているつもりです」
苦笑。あるいは苦笑いか。コーヒーを飲みながら、そんな表情。
「凜ちゃんが周りをねえ」
「先生にくらいしか伝えていないので」
「私は凜ちゃん好きよ?」
「光栄です」
朝日が昇る。終わらない昼は無い。終わらない夜はあっても。太陽にだって寿命があるし、最終的に宇宙が熱的に死ねば、あらゆる意味で夜が支配する。けれどそれでも今のところは太陽は健在で。だから今日の朝くらいは信じても良いだろう。
「それでは朝食を作りましょうか。何かリクエストは?」
「予定通りで構いません」
「ではその通りに」
凜ちゃんは、エプロンを纏った。
勝手知ったるの典型例。
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