第116話 言葉失い


「…………」


 眠りから覚める。


 気付けば頭を撫でられていた。


「お兄……ちゃん……」


 病室。


 病的に白い部屋。


 そのベッドで、お兄ちゃんは微笑んでいる。


「お兄ちゃん……!」


 涙。


 抱きしめる。


「止めてよ……本当に……っ!」


「…………」


 答えは返ってこなかった。


「お兄ちゃんは一人ぼっちじゃ無いんだから」


「…………」


「私がいる。傍にいる。一生いる。ずっといる。だから……だから……生きることを諦めないで」


「…………」


 優しく頭を撫でてくれる。


 その優しさはお兄ちゃんで。だからこそ愚妹の私には何より貴重な愛情だった。ソレがどれだけの意味を持つのかを、お兄ちゃんにも知って欲しい。


「お兄ちゃんが死んだら……私が一人ぼっちになっちゃう」


 両親は海外勤務だ。


「絶対……何があっても私はお兄ちゃんを見捨てないから……だから自殺だけは止めて……!」


「…………」


 スマホが文字を打つ。


『本当に?』


「お兄ちゃん……」


『ごめん』


 言葉にはせず、文字を打つ。


「失語症ですね」


 主治医はそう述べた。


 心的負荷。ストレス。鬱屈作用。防衛機制。


 それらが複合して、言葉を封じ込めた。


 そうお医者さんは述べた。


「喋れないの?」


『みたいだね』


 タブレットで、文字を打ちながらお兄ちゃん。


 精神的に言葉を封じ込めた。言葉の軽さを思い知ったからか。それとも私では役に立たないのか。どちらでもあるのだろう。お兄ちゃんの体験に私というファクターはあまりに弱すぎる。


 しばらくして、お兄ちゃんはタブレットで小説を書き始めるようになった。


 言葉が喋れない。


 それを逆用して、文字表現を突き詰めるらしい。


 小説投稿サイトで頻繁に活躍するようになったのもこのため。


 元の地頭が良い。


 私もそれなりに勉強出来るけど、お兄ちゃんは次元が違う。


 理三を余裕で通過するほど。


 当然文章力も高く、アマチュアながら、人気も出た。


 小論文も早い頃から書き始めていたので、文章の構築力も地金だった。


「楽しい?」


『妹が居てくれるから』


 妹モノの小説を書くのは、ジャンルにも影響を及ぼす。


 実際、古典作品にも、妹モノは、少なからず存在する。


 私をモデルに小説を書かれるのは……少し照れるけど、お兄ちゃんが言語のリハビリとするなら止める理由も無い。


『一生傍にいてくれるんだろ?』


「うん。お兄ちゃんが……望むだけ」


『妹萌え』


「そゆことは言わなくて良いの」


『陽子萌え?』


「光栄です」


 ギュッと抱きしめる。お兄ちゃんの体温が温かい。それだけで安心する。耐えて、耐えて、耐えて、心が壊れたお兄ちゃん。その毛布に私はなりたい。


「手首。痕残るね」


 自傷。


「死んでもいい」


 のセレクトボタン。


「例え何があったって、私がお兄ちゃんの傍に居るから。死のうとしちゃダメだよ?」


『善処する』


「イヤになったら私に逃げて良いから」


『有り難いな』


 またカタカタと、文章を綴る。


「それで食っていけるんじゃない?」


『然程かね』


「面白いよ。お兄ちゃんの小説」


『ありがと』


「えへへ~」


『萌え』


「お兄ちゃん大好き!」


 ギュッと抱きしめる。


「ずっとずっと一緒」


 私は無邪気にそう言った。お兄ちゃんが救われるなら、別にソレ以外はどうでもよさげ。少なくとも私には。きっとそれはお兄ちゃんの特別性で、特質性。完全能力を持つ自慢のお兄ちゃんであればこそ。


 格好良くて。


 優しくて。


 勉強出来て。


 誠実で。


 そんなお兄ちゃんのことが大好きだった。


「結婚しようね!」


『陽子となら幾らでも』


 それが不可能事と、私は知らなかった。


 知って、


「なら何かしら態度が変わったのか?」


 と問われれば、


ナイン


 としか答えられないのだけど。

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